9時、起床。
朝から雨が降っている。
昨日、東京は梅雨入りしたそうだ。平年並みである。
仏壇の花がしおれて来たので、近所の「まいばすけっと」で仏花を買って来る。
「これで590円ですか。お手ごろな価格ですね」
チャイを玄関先に連れて出る。うちに自動車はないが(私も妻も免許をもっていない)、カースペースはあり、自転車が2台置かれている。屋根は付いている。自転車の籠の中はチャイのお気に入りの場所である。
起床から1時間後、トースト(はちみつ&オリーブオイル)、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
本日の『らんまん』。万太郎は印刷所の職人たちから石版印刷の全工程を教えてもらえた。よそ者は仲間内になった。そういう才能(といっていいと思う)が彼にはある。寿恵は高藤のプロポーズ(妾になるということだ)を前向きに考えている。しかし、彼の馬車で帰宅する途中、馬車が庶民を蹴散らして走る様子に嫌悪を覚える(当然でしょうね)、そして道端にしゃがんで雑草を見つめる万太郎を見かける。やっぱり自分はこの人のことが好きなのだ。そのことに寿恵は改めて気づく。
昨日のブログを書いてアップする。
ゼミの準備。
1時過ぎに家を出る。「寿ゞ喜」に昼食を食べに行く。
うな茶はまだ食べたことがないが、贅沢な茶漬けである。でも、今日はゼミがあるので(4時間近くの長丁場だ)、腹持ちのよいものを食べよう。赤重(鰻重の上)を注文する。
あっ、サラダがなくなった。鰻重にサラダ(レタス)は不要と何度もブログに書いて来たが、ようやく思いが通じたようである。まさかお店の人が私のブログを読んでいるとは思えないけれど。
代わりの小鉢の中は切り昆布の煮物である。うん、これなら鰻重の邪魔にならない。
落ち着いた気分で鰻重を味わう。7月になると土用の丑の日(今年は7月30日)に大量の鰻が消費されるので、よい鰻が少なくなる。そうなる前に食べておかなければ。
土用とは土曜のことではない(学生が読んでいるかもしれないので念のため)。立春・立夏・立秋・立冬の前の18日間を指す。鰻の文脈でいえば、立秋(今年は8月8日、この前後で「暑中見舞い」から「残暑見舞い」に替わる)前の18日間である。一日一日は十二支に対応しているので、丑の日が1回ないし2回含まれる。江戸時代、夏は売り上げが落ちる鰻屋が平賀源内で相談して、源内は「土用の丑の日に鰻を食べて夏バテに負けないようにしよう」(という意味の)キャッチコピー作り、それが功を奏したというわけだ。
「テラスドルチェ」で食後のコーヒーを飲もうかと思ったが、あまり時間がないので、電車に乗る。
ゼミの30分前に大学に着く。
4限・5限はゼミ。
4限は3年生のグループ発表。テキスト第7章「空間と場所」を読んで考えたこと、調べたことを発表してもらう。内容は都市社会学だが、本来、空間=都市ではない。社会学は人と人との相互行為を研究対象とするが、人と人との相互行為は特定の空間の中で行われる。それは家庭であったり、教室であったり、電車の車内であったりする。リアル空間だけでなくネット空間・バーチャル空間というものを想定することもできる。そして場所とは個人によって馴染まれた空間である。居場所なんていうのはその最たるものである。テキストはコロナ前に書かれたものなので、移動性(モビリティー)のさらなる増大(グローバル化)の強調で終っている。そこでグループでは、コロナ禍によって、移動性が一時停止した後の世界について考察することになった。パンデミックは移動性の増大によってもたらされたが、皮肉なことに、それが自己自殺的に移動性の制限ということをもたらしたのである。取り上げられたトピックスは、地方移住志向、オンライン授業、自宅での生活の見直し、自粛警察。
5限は4年生のゼミ論中間報告を2件。
「商店街と地域コミュニケーション」 「空間と場所」と親和性のあるテーマだ。小岩駅前のフラワー通り商店街をフィールドにして、それが地域住民と街とのコミュニケーションのインターフェースとしてどう機能しているか(機能していけるか)が研究テーマである。「現場百回」、フィールドワークはフィールドにどれだけ足を運んだかで決まる。
「現代人と老後~幸せな老後を送るためには~」 こちらは空間ではなく時間がテーマである。個人は生涯の中で異なる時期を生きる。「老後」(老年期)はずいぶん長いものになっている。もはやそれは「余生」という言葉では扱えない。生活していくためにはさざざまな資源が必要だ。健康、お金、時間、社会関係・・・。健康とお金は減る。時間は一日の自由時間は増えるが、人生の残り時間は減る。社会関係は一般的に縮小するが、工夫次第で拡張できる面もある。
今日は時間を5分オーバーしただけで終る(6時45分)。空ははまだ明るさを保っている。白夜(びゃくや・はくや)という季語が使える。
ゼミ終えて〇〇〇〇〇〇〇白夜かな どんな中句が入るだろう。
同僚の岡部先生から『支援』13号をちょうだいする。年一冊の刊行であるから、もう13年続いているということである。それだけでも大したものである。
刊行の辞が毎号巻頭に載っている。
「ニーズ」と眼差さず、「当事者主義」とまとめず、シノゴト言いつつ、ジタバタやろう。そこのこを(少し気恥ずかしげに)宣言しておきたい。
このスタンスが長続きしている秘訣なのだろうか。
7時に大学を出る。
いつものように「ごんべえ」で夕食を食べる。
しかし、いつものようにカツ丼(+うどん)ではなく、釜揚げうどん(+かやくごはん)にする。昼食に鰻重を食べたので、そんなに空腹ではなかったからだ。釜揚げうどんも好物である。
「カフェ・ゴトー」に寄って行く。マスターに演習の学生のフィールドワーク(インタビュー)にご協力いただいたことのお礼を申し上げる。「カフェ・ゴトー」はこの夏で開業32周年を迎えるが、その前に代々木上原で6年間やっていたから、合わせると38年である。「一人で来ても(落ち着いて)一人の時間を過ごせるカフェ」というのがマスターのモットーである。
アイスココアを飲む。ホッとのココアを注文するつもりで「ココアを」と注文したが、店員さんはアイスココアの注文と思われたようである。もしかしたら勘違いしたかもしれないと店員さんが途中でやってきて確認されたが、すでにアイスココアが作られれている様子だったので、アイスココアでもいいですよと答える。私自身、注文するといにどちらにしようか迷い、あえてホットココアとはいわなかったのだ。出て来たものを飲もうと思ったのだ(笑)。
30分ほど滞在してから、地下鉄に乗る。
9時、帰宅。「あら、早いのね」と妻が言った。妻はまだ昨年度の感覚でいるのだ。そのときは帰宅は10時ごろが普通だった。もっと昔、ゼミが6限・7限だった頃は、9時半にゼミが終り、帰宅は11時頃だった。いまでは考えられないが、文構の多くのゼミがそうだったのだ。今は昔の物語。
本日提出のレビューシートのチェックを済ませてから、NHKの将棋トーナメント(録画)を観た。勝俣清和七段と伊藤匠六段との一戦で、先手は勝俣七段だったが、NHK杯では珍しく千日手(同一局面が4回くりかえされ)が成立し、前後入れ替えての指し直しになり、伊藤六段が勝った。終盤、勝俣七段が優勢のように見えた(AIの形成判断もそうだった)が、うっかりのような失着があり、逆転負けを喫した。感想で「伊藤さん相手にここまで指せて満足です」みたいなことを言った。伊藤が子供の頃から将棋教室などで指導していたようで、彼がプロになって強い棋士になったのがうれしくてしかたないみたいだった。
風呂から出て、アマゾンオーディブルで村上春樹『辺境・近境』を永山瑛大の朗読で聴きながら、今日の日記を付ける。
1時半、就寝。