8時、起床。シャワーを浴びる。
チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
朝刊にアラン・ドロンの訃報が載っていた。88歳。彼の全盛期である1960年代、私は小中学生だった。「甘いマスクの二枚目」という言葉はドロンのためにあるような言葉だった。私は野性味のあるバート・ランカスターが好きで、ドロンには無関心を装っていたが、ギターの教本にはかならず『太陽がいっぱい』のテーマ曲が載っていて、私は一生懸命練習したものである。ご冥福をお祈りします。
高石ともやさんの訃報も載っていた。82歳。中学生の私がクラスの友人とフォークバンドの真似事をしていたとき、なんといっても「フォークル」(ザ・フォーク・クルセダーズ)に傾倒していて、彼らのちょっと先輩の高石ともやの曲は泥臭く感じていたが、『想い出の赤いヤッケ』は好きでよく口ずさんでいた。ご冥福をお祈りします。
王位戦第4局二日目。先手渡辺の封じ手は予想通り(それ以外には考えられない)「8四角」だった。
そこから数手進んで、後手藤井の7三の桂馬が6五に跳ねたとき、解説の佐藤紳哉7段は予告通りかつら(桂)をポーンと外した。将棋界では有名なギャク(?)だが、初めて観た人はびっくりだろう。
対局中継を観ながら(午前中はそんなに動きはない)、昨日のブログを書く。
昼前に電話で予約した皮膚科に行く。
顔にできた吹き出物を診てもらう。こんなもので医者にかかるのはためらいがあったが、待合室に貼ってあるポスターに励まされる。塗り薬と内服薬を処方してもらった。
その足で耳鼻科に行って、いつもの薬を処方してもらう。持病の耳鳴りは先週末あたりから潜在期(比較的小さくなる)に入っている。経験的に潜在期は2週間くらい続くので、この間に原稿の方をできるだけ書き進めたいのだが、皮肉なことに、執筆のペースの方も減速期に入ってしまっている。
昼食はテイクアウトの鮨。握りと鯖の巻きもの。
食事をしながら、『僕のコーヒーが、誰かに届くとき』というノンフィクション番組を観た。バリスタになり、自分の店を持つことを夢見ていた青年が不慮の死を遂げた。両親が息子の遺志を継いでカフェを始めた。その店には大切な人を喪った人たちが顔を出すようになった。
観ながら、いただきもののフィナンシェと紅茶(珈琲は朝飲んだので)。
昼食休憩が明けて数手進んだ局面。藤井が優勢になっていた。
さらに藤井勝勢に。
ここでようやく渡辺に攻めの手番が回ってきたが・・・
駒を渡さずに(渡すと詰まされる)詰めろをかける手はないかと思案する渡辺。
2二角という手をひねり出した。詰めろ龍取りである。同金では4二銀以下詰まされる。「こんな手がありましたか。われわれはAIの形成判断を観ていますから後手の勝ちだとわかりますが、実戦で指されたら慌てますね」と佐藤が言っていた。
しかし、藤井は慌てなかった。2六桂、2八玉としてから、5五歩と焦点の歩を打ち、同飛と取らせてから5四銀と打つ。盤石の一手である。以下、数手で投了となった。第5局は8月27日・28日。藤井としてはここで防衛を決めて、竜王戦の第一局(10月5日・6日)までにたっぷり時間を取りたいところだ。
観戦しながら原稿(エッセー)を書いた。一種の観戦記なり。
夕食はカジキのソテー(バルサミコソース)。
グレープフルーツが入っているのは妻のオリジナル。
食事をしながら『降り積もれ孤独な死よ』第7話(録画)を観る。ようやく「現在」につながった。
チャイを抱っこして夜道を歩いていると虫の音が聞こえる。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
2時15分、就寝。