フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月26日(月) 晴れ

2024-08-27 12:39:28 | Weblog

7時50分、起床。

出勤で駅に向かう途中で我が家の前を通るとき、出窓にいるチャイを見るのを楽しみにしている人たちがけっこういるようなので、7時半くらいに起きて、一階の雨戸を開けたいと思うのだが、なかなか起きられない。妻は私より早く起きて、玄関先の薔薇に水をやったりしているから、そのときに雨戸も開けてくれるといいのだが、「一階の雨戸を開けるのはたかじさんの役目」と言って聞いてくれない。いつからそういう役割分担ができたのかわからないのだが、雨戸全部ではなくせめて出窓のところだけでもとお願いするのだが、ダメなのである。頑なであり、お役所的である。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

今日の朝ドラ。星家での同居生活が始まった。「家族らしさのない家族」である。「家族らしさ」を意識的に避けている雰囲気がある。とくに二人の子供がそうである。小さな頃から「家族らしさ」を経験してこなかったので(たぶんそれは航一が「父親らしさ」に欠けていたからだろう)、家族らしく振舞うことにわざとらしさを覚えてしまうのだろう。われわれは皆それぞれの家族でホームドラマを演じているのだが、ものごころついたときにはもう「子役」として舞台に立っているので、不自然さを感じないだけである。それでも思春期になれば、「家族って何?」「うちの家族って変じゃない?」と自分が演じているホームドラマに違和感や反発を感じるものである。家族の演技性に気づくのである。星家のギクシャクは、本来、そう簡単にはなくなるものではないが、朝ドラなので、これを毎朝観るのはつらいから、「劇的に」解消される可能性がある。

昨日のブログを書く。

一服してから、原稿(論文の第二章)の執筆を始める。一山越えた直後なので、順調に進む。先週の停滞が嘘のようである。

今日も雲の動きは大きいが、基本的に青空の多い空である。

2時過ぎに昼食を食べに出る。「寿々喜」で鰻重を食べようと思う。夏バテ対策だが、鰻を食べようと思う時点でそれほど夏バテはしていないのではないかと思わないではない。「寿々喜」は7月8日以来である。毎月、一度は訪れたい店である。ちなみに今年の土用の丑の日は7月24日と8月5日だった。そのあたりは混むので、あえて近寄らない。

お昼時を外したこともあり、店内に客はいなかった。赤重を注文して、焼けるのを待つ間、キンドル・スクライブで『村上春樹 雑文集』を読む。飲食店に入ったときに少しずつ読んできたが、そろそろ終わりに近づいている。最後のセクション「小説を書くということ」に入っている。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のロシア語版のための序文の中でこんなことを書いている。

 「僕は二つの世界を並行して、かわりばんこに書き進めていった。つまり奇数章に「ハードボイルド・ワンダーランド」を書き、偶数章に「世界の終わり」を書き、ということだ。今にして思うと、僕はそれぞれの章を書くときに、身体の中の別々の部分を使っていたような気がする。(中略)たとえば「世界の終わり」を書くときは僕は自分の右側の幻想の中に沈潜する。これはひどく静かな話だ。物語は高い壁に取り囲まれた狭いひっそりとした場所で進行していく。人々は寡黙に通りを歩み、あたりの音はいつもくぐもっている。それに比べると、「ハードボイルド・ワンダーランド」の部分はアクションに満ちている。スピードがあり、暴力とユーモアがあり、鮮やかな都会生活の光景がある。その世界は僕の左側の幻想の中にある。これらのまったく異なった世界を代わりばんこに書いていくというのは、僕にとって(僕の意識の運営にとって)きわめて心地よいことだった。(中略)そのようにして毎日、左右の脳と筋肉を動かしつつふたつの対照的な物語を書き進めているうちに、だんだんそのふたつの物語が共振性を帯び始めてくるのがわかった。つまりひとつの物語の中に存在する何かが、もうひとつの物語の中に存在しているべつの何かと、自然で自発的な結びつきのようなものを持ち始めてきたのだ。これは僕にとってとてもスリリングで楽しい成り行きだった。うん、これでなんとかいける、と僕は確信した。」(「自分の物語と、自分の文体」より)

「赤重」が運ばれてきた。「赤重」はこの店独特の符丁で、「鰻重の上」の意味である。多くの客がこれを注文する。3100円は鰻重の上としては安い。

うまい。ペロリと食べてしまった。

鰻を食べた後は「テラス・ドルチェ」で珈琲を飲むのだが、今日はまっすぐ帰宅した。

昼寝をする。

それから夕食までの間、原稿を書く。

夕食は豚肉生姜焼き、サラダ、タラコ、味噌汁、ごはん。

食事をしながら『降り積もれ孤独な死よ』第8話(録画)を観る。顔に傷のある男の正体はわかった(わかってしまった)ような気がする。そういう視聴者は多いのではないかしら。

チャイの毛玉取りをした後、妻が買ってきたソフトなパウンドケーキを食べる。

夕食後も原稿書き。今日はずいぶん捗った。しかし、明日はそうはいかないような気がする。考える→書く→考える→書くというサイクルなのだが、明日は考えることの多い日になるだろう。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。