フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月29日(木) 曇り、夕方から雨

2024-08-30 12:44:43 | Weblog

8時、起床。

一階の雨戸を開けに行く。チャイは和室のテーブル(掘り炬燵」の上に寝ていた。

雨戸を開ける(3か所ある)。

あくびをする。

かわいこぶってみる。

思いきり伸びをする(猫背の矯正)。

「今日も生きて行くニャン」

「今日も生きて行くケロ」(カエルは私が器の水を取り替える間もその場所を動かない)

朝食の前にチャイを抱っこして玄関先に出て、道行く人たちとずいぶん挨拶や会話を交わした。お向かいに住む小さな女の子とお母さん、同じく小さな男の子とお父さん、ご近所の中国系のご婦人。インドかパキスタンが出自と思われる若い女性(彼女は「チャイ!」とチャイに話しかけて頭を撫でるが、私は彼女の名前を知らない。勝手に「サラ」と思っている)。

今日も生きて行くために、チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

今日の朝ドラ。突然(でも予想通り)、星一家に変化が。まず息子が心を開いた。でも、娘の方は頑なだ。

今日のブログを書く。

村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』をキンドルで購入。新潮文庫の上下合本版で1661円。出版されたとき(1985年6月)にすぐに読んだが、以来40年、読み返したことはない。短編小説のよいところは気軽に読み返せるところだが、長編小説となるとそうはいかない。それは定年後の楽しみにとっておいたのだが、書庫に眠っている本たちはいまの私には活字が小さくて読み難い。宝の持ち腐れとはこのことだ。そこにキンドルという救世主が現れた。しかし、新たに購入しなおさなくてはならなくなったのは、老後の年金生活にとっては大きな誤算であった。文庫本価格で買えるとしても、文庫本そのものが昔に比べてずいん高くなっている。

1時半ごろ、昼食を食べに出る。

矢向の「ノチハレ珈琲店」へ行こう。

駅前の八百屋兼果物屋は閉店してしまった。お隣の二階建ての店舗(何だったかな)のシャッターも下りたままだ。いずれビルが建つのだろうが、この小さな駅に高いビルは似合わないだろう。

古い矢向の商店街を歩く。横断歩道は塗り替えの途中である(ですよね?)。

「ノチハレ珈琲店」には水曜日に来ることが多いが、昨日は自宅でコンビニおにぎりを食べながら王位戦を観戦していたので、今日になった。

空いているカウンター席に座る。キンドルを置いて、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読み始める。村上春樹の小説では知らない人から電話がかかってくるという場面がよくあるが、この傍らの電話は飾り物で、鳴ることはない。でも、かかってきたら面白いだろう。「もしもし。大久保孝治さんですか」「はい。どちらさまですか」「羊男です」とかね。

店内の冷房は弱めだったので、バッグから扇子を取り出して使う。大田区のゆるキャラ「はねぴょん」が隠れている。卒業生のユウコさんからいただいたものだ。重宝しています。

マヨたまトーストと梅ソーダ。これ以外の注文は考えられない。梅ソーダにレモンの輪切りを入れて飲むと美味しいというのはここで知ったのである。

デザートは何にしようかと考え、結局、デザートではなく、季節のジャム(ラズベリー)のトーストとアイス珈琲を注文した。パンが美味しいのである。

 「エレベーターはきわめて緩慢な速度で上昇をつづけていた。おそらくエレベーターは上昇していたのだろうと私は思う。しかし正確なところはわからない。あまりにも速度が遅いせいで、方向の感覚というものが消滅してしまったのだ。あるいはそれは下降していたのかもしれないし、あるいはそれは何もしていなかったのかもしれない。ただ前後の状況を考えあわせてみて、エレベーターは上昇しているはずだと私が便宜的に決めただけの話である。ただの推測だ。根拠というほどのものはひとかけらもない。十二階上がって、三階下り、地球を一周して戻って来たのかもしれない。それはわからない」(「1 ハードポイルド・ワンダーランド(エレベーター、無音、肥満)より)。

 主人公(ハードボイルド・ワンダーランド」篇の)がエレベーターに乗っているシーンから物語が始まるということは覚えていた。でも、覚えているのはそれだけで、主人公がエレベーターの中でズボンの左右のポケットに入っっている小銭の数(金額の合計)を左手と右手で同時に数えているシーンや、エレベーターのドアが開いて若くて美しくて太った女に先導されて廊下を歩いてゆくシーンのことは、全く覚えていなかった。

 「秋がやってくると、彼らの体は毛足の長い金色の体毛に覆われることになった。それは純粋な意味での金色だった。他のどのような種類の色もそこに介在することはできなかった。それは純粋な意味での金色だった。他のどのような種類の色もそこに介在することはできなかった。彼らの金色は金色として世界に生じ、金色として世界に存在した。すべての空とすべての大地のはざまにあって、彼らはまじりけのない金色に染められていた」(「2 世界の終わり(金色の獣)」より)。

 「世界の終わり」篇が主人公の住む街に生息する一角獣の話から始まることを私は覚えていなかった。しかし、その語りには既視感があった。去年出た村上春樹の最新長編『街とその不確かな壁』の世界がそこに広がっていたからだ。先日、『村上春樹 雑文集』で読んだ筆者自身の解説では、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』はアクションに満ちた都会の物語と高い壁に囲まれた静謐な街の物語が交互に語られる小説なのだが、私にとっては、それに加えて、新しい(すっかり忘れていた)物語と親しみのある物語が交互に語られる小説になるだろう。

入ったときは混んでいたが、出るときは私の他に客はいなかった。支払いは1920円だった。

矢向駅の構内に貼られた観光ポスター。「秋は短し 旅せよ岩手」。岩手の秋は短い(すぐに冬になる)ことを詠んだキャッチコピーだが、近年は日本全国秋が短いのではないだろうか。

帰りに品川の駅ナカ(エキュート)で鳩サブレーを買って帰ろう(なんと川崎には売っている店がないのだ)。

品川駅のエキュートはエリアが分かれている。豊島屋が入っているのは、こっちではなく(ダロワイヨのマカロンはこっち)、

こっち。

10枚入り(簡易包装)をゲット。

帰宅して袋から鳩サブレーを取り出すと1枚割れていた(左上)。袋はいりませんと言ってバッグの中に入れたのだが、何かに当たって割れたのだろう。箱なしで買うときは袋に入れてもらったほうがよいという教訓だった。群れで生きる生き物たちは集団全体が生き残るために犠牲になる個体がいるものだが、それを思い出した。割れた鳩サブレは供養だと思ってすぐに食べた。

夕食はサーモンのソテー 野菜クリーム掛け、鮪と昆布の佃煮、蕪の味噌汁、ごはん。

食事をしながら『プレバト』を追っかけ再生で観る。俳句のレギュラー陣と小中学生の対決。高校生の俳句甲子園の優勝校との対決を以前やっていて、あれはなかなか面白かったが、こちらは面白くない。作品そのものもそうだが(器用ではあると思うが大人びているというだけのこと)、大人たちが小中学生を持ち上げているところが興ざめだった。

デザートは巨峰。

原稿(論文)はあまり捗らなかった。今回の台風と同じで速度が遅い。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

2時半、就寝。