フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月11日(水) 曇り

2009-03-12 02:42:59 | Weblog
  8時、起床。豚肉の生姜焼き、トースト、紅茶の朝食。朝から豚肉の生姜焼きというのは異例だが、豚肉の賞味期限が近づいているからという理由でこういうことになった。
  昨夜遅く、東北大学のT氏から私が6年前に編集した報告書の原稿の電子ファイルがありませんかという問い合わせメールを受けた。その原稿のファイルはいま私が使っているパソコンの先々代のパソコンのハードディスクに入っていると思われるが、そのパソコンはダンボールの中に眠っている。メインのパソコンは2、3年で新しいものに買い換えているので、たまに昔のファイルが必要になったときが面倒である。パソコンを買い換えるときに必要な(あとから必要になりそうな)ファイルはバックアップをとってライブラリーを作っておけばよいのだが、人間はそんなふうに合理的に行動するようには作られていないのである。実際、T氏が求めてきたファイルは私が書いた原稿ではなく明治大学のK氏が書いたもので、最初、T氏はK氏に問い合わせたのだが、K氏はそのファイルが自分のパソコンの中になくて、報告書の編者であった私のところには残っているのじゃないかということになり、私にお鉢が回ってきたのである。やれやれと思いつつ、ダンボールから古いパソコンを取り出して、本体とディスプレーを繋いで、電源を入れ、マイドキュメントの中を探すと、はい、ありました、お求めのファイルが。メールに添付してT氏に送る。
  昼食はうどん。やはり豚肉が入っている。今日は明日までに書き上げないとならない書類があることもあり、また風が冷たいこともあり、外出せずに過ごす。そのかわりというわけではないが、昼食の後、ケーブルテレビの日本映画専用チャンネルでやっていた森田芳光監督の『39 刑法第39条』(1999年)を観た。見応えのあるサスペンスであり、ミステリーであった。10年前の作品なのだが、堤真一や岸部一徳の若いこと。10年でずいぶん変わるものである。でも、その一方で、鈴木京香はあまり変わっていない。ある意味、こわい。
  夕食はモツ鍋。これまた賞味期限が迫っているモツを食べてしまおうということである。今日は、「トラ、トラ、トラ」ではなくて、「ブタ、ブタ、ブタ」の一日だった。

3月10日(火) 晴れたり曇ったり、一時雨

2009-03-11 11:25:44 | Weblog
  9時、起床。金沢滞在中も帰京してからの2日間も8時までには起きていたから、久しぶりの朝寝坊である。息抜き旅行とはいえ旅の疲れというものはやはりある。普段の環境と違う場所に身をおいているわけだから、持続的な緊張感というものが基本にあって、それに加えて旅先では昼寝がしにくいということが大きい。昼間はずっと外出しているので、たとえば昼食の後に眠気を催しても、ゴロリと横になることができない。ホテルの部屋に戻れば昼寝はできるが、それは時間のロスであるから、どこか椅子のある場所(電車やバス、喫茶店、公共施設のロビーなど)で座ったまま目を閉じるくらいが関の山である。旅行から帰ってきたときの決まり文句である「やっぱりわが家が一番」というのは、具体的には、ゴロリと横になれるということではなかろうか。
  今日は朝食は抜いて、昼食を「鈴文」に食べに行く。12時を少し回ったピークの時間帯であったが、ちょうどよいタイミングで一つ席が空いて、そこにすんなり座ることができた。ランチのとんかつ定食を注文。6切れを塩2、醤油1、ソース3で食べる。支払いのとき「大久保先生」とカウンターのお客さんに声を掛けられれた。蒲田アカデミアのN氏だった。N氏も「鈴文」のファンであると聞いていたが、遭遇するのは初めてだった。これで私の名前が「大久保」であることが店の方々には認知されたであろう。これまで店主や店員さんと話はしていても「大久保と申します」と名乗ったことはなかったので。
  食後の珈琲を「シャノアール」で飲んでから、キネカ大森に『ジェネラル・ルージュの凱旋』を観に行く。『チーム・バチスタの栄光』に続くシリーズ第2作である(小説の方ではこの二つの作品の間に『ナイチンゲールの沈黙』が位置する)。『チームバチスタの栄光』はバチスタ手術中の患者の連続死(殺人)の謎を追うというミステリーであったが、『ジェネラル・ルージュの凱旋』はそれとは趣を異にし、ミステリー的要素は含まれているものの(誰が内部告発文書を書いたのか、医療メーカーの社員はなぜ「自殺」したのか)、中心となるテーマは現代医療における救命救急の問題である。そういう意味では、社会派ドラマであり、告発ドラマである。もちろん田口-白鳥コンビを初めとする前作の登場人物たち(東城大学医学部付属病院の面々)がこれにからんでくるわけだから、コミカルで劇画的なテイストは保たれている。でも、やっぱり社会派ドラマである。その中心には救命救急センター長の速水(堺雅人)がいる。これが今回の主役。普段はうっすらとした笑いを浮かべている彼が、救命救急の現場や倫理委員会での尋問場面でみせる、ちょっと下を向いて、上目づかいで相手をにらむときの表情は、堺雅人の十八番で、彼が『クライマーズハイ』で演じた新聞記者が航空機の墜落現場の取材から戻って上司(堤真一)に噛み付くときのそれと同じものであった。「鬼気迫る」というのはこういう表情をいうのだろう。よいキャスティングだったと思う。バチスタ手術のような緊迫した場面は、今回はない。いや、地区内で起こった火災事故の負傷者が続々と病院に搬送されてくる場面がそれに相当するのだろうが、製作者が意図したほどの緊迫感、臨場感には乏しかったと思う。少なくとも私はそうだった。これは負傷者の治療の優先順位を決めるトリアージについてはNHKスペシャルがすでに取り上げているし、ドクターヘリについてもTVドラマですでに取り上げているし・・・と私にとって既視感のある場面の連続だったためで(そのために興醒めがしてしまう)、それを知らない観客には「息を飲む」場面の連続なのだと思う。すれっからしの感想なので、この点は差し引いて読んでください。それにしても東城大学付属病院、病院スタッフによる殺人事件が続いているのによく経営が成り立っているよな。

         

  大森駅前から出ているバスに乗って池上に行く。いったん蒲田に戻って、池上線を使うという手もあったが、普段あまりバスを使うことがないので、バスにしてみた。窓外の景色は電車とは違う。街との距離感が違う。母や近所の友人たちは都バスは無料なので、ずいぶん遠回りでもバスを使う習慣がある。私も老人になったらそうするかもしれないが、私が老人になるときには「シルバーパス」の規定が変わっているかもしれない(現在は70歳以上の住民税非課税者に対して千円で発行され1年間有効)。大森駅前のバス通りの商店街はけっこう活気がある。それでもだんだん駅から離れていくとシャッターを下ろしたままの店舗が目につくようになる。頑張ってほしい。

         

  終点「池上駅」の一つ前、「本門寺前」で下車。「甘味あらい」をめざす。雨がチラホラ落ちてきて、傘をもって出ていなかったので(自宅を出るときはよい天気だったのだ)、途中から早足に、しだいにジョギングのようになる。これで「甘味あらい」が早仕舞いをしていたらショックだなと思いつつ(土日の客が多いときはそうなることが珍しくないのだ)、店の前まで行くと、ちゃんと暖簾が出ていたのでホッとする。お客は私ひとりだった。贅沢あんみつ、その後に珈琲を注文。『ジェネラル・ルージュの凱旋』のプログラムに目を通す。雨が上がるのを待って、店を出る。池上線で帰る。

         
                        池上駅前  

3月9日(月) 曇り

2009-03-10 10:45:17 | Weblog
  7時半、起床。昨日の夕食の残りのポトフ、トーストの朝食。ブログの更新をして、ある案件で関係者と電話やメールでやりとりをし(問題はほぼ解決)、11時頃家を出る。とくに電車の時刻表を見て家を出るわけではないので、何回かに1度の確率で蒲田始発の電車にタイミングよく乗れると、「ラッキー」と思う。茶柱が立ったときのような気分になる。
  本部キャンパスの南門前の桜がすでに満開になって、そろそろ散り始めている。早咲きの桜なのだ。製本屋さんに科研費の報告書の製本の依頼をしてから、「たかはし」で昼食(豚肉生姜焼き定食)。教育学のK先生が学生をたくさん引き連れて食事をされていた。支払いは全部先生持ちのようである。一人当たり800円として一万円でお釣りがくるかどうかというあたりであろう。私は日本野鳥の会の会員なので(嘘です)、瞬時にカウントできてしまう。

         

  論系室に顔を出し、助手のAさんと科目登録ガイダンスなどの打ち合わせをすませ、2時から運営主任会。引き続き3時から基本構想の懇談会。基本構想委員としての役目も今回で終了。新しいメンバーにバトンタッチする。
  帰路、丸善丸の内店に寄って、4階のギャラリーで開催中の渡辺禎雄の版画展を観る。聖書の世界をモチーフにして、型染めと呼ばれる技法で作られた作品は、一見すると、千代紙を貼り合せて構成されているように見える。ルオーの絵画を和風かつ漫画チックにしたような印象。親しみのわく作風だ。版画だから値段も手ごろで、売約済みの印のついた作品がたくさんあった。カードを使おうかという誘惑に一瞬かられるが、「いやいや」と首を振り、ギャラリーを出る。
  最近は、書店での本の購入などはできるだけカードを使うようにしている。カードだと使いすぎるのではないかという気持ちがあって、これまでは現金主義でやってきたのだが、毎月送られてくる支払い明細がお小遣い帳の代わりにもなるし、たまったポイントを映画館のチケットに替えることもできるので(これは最近になって知った)、カードもいいんじゃないかと思うようになった。ただし、本代と並んで日頃の支出の二大費目である飲食代については、あいかわらず現金払い。とんかつ、あんみつ、珈琲・・・ひとつひとつはカードで支払うような金額ではないし、個人経営の店ばかりだからカードを使われたら収益が目減りする。カードでの支払いが増えたことで、銀行で現金を下ろして財布に補充する回数が減った。一度下ろすと(数万円単位)けっこうもつ。節約できているような感じがするが、もちろん、それは錯覚。郵送されてくるカード利用代金明細書で事実を知ることになる。綺麗にならんだ数字の中にときおり頭一つ出ているのは一回の支払いが1万円を越えたものだ。これは要注意である。血液検査の数値を見るのと似ている。健康な身体も健全な財政も並んだ数値でチェックすることができる。

3月8日(日) 曇り

2009-03-09 09:47:48 | Weblog
  7時半、起床。ベーコン&エッグ、トースト、紅茶の朝食。昨夜はブログを更新せずに(できずに)寝たので、それを済ませてから、大学へ。学士入試の二次試験(面接)の担当なのである。日曜出勤だ。
  面接が終わり、一緒に面接を担当した社会福祉の岡部先生に「先生もどこか息抜きに出かけたりしないのですか?」と聞いてみたら、「なかなか時間がとれなくて・・・」と言われた後に、「もし行くとしても、先生のように一人ではなく、妻と一緒に行くと思います」と言われた。へぇ、そうなんだ。でも、それでは非日常的世界における息抜きにはならないのではなかろうか、と私は思う。日常的世界を構成する二大要素は仕事と家族である。日常的世界から抜け出すためには、仕事から離れるだけでは不十分で、家族からも離れる必要がある。これは家族を大切に思っているかどうか、妻を愛しているかとかどうかとは関係ない話、まったく別の次元の話なのである。
  面接が終ったことを知らせに教務室に行くと、現代人間論系の同僚の大藪先生がいらして、「安藤先生と話したんだけど、大久保先生、金沢にいい人でもいるんじゃないの?」とおっしゃる。な、なんですと、そのいきなりの居酒屋的発言は。「内灘夫人」(五木寛之の小説)ならぬ「内灘妻」ですか。「ウッチー」とかですか。夫婦の同伴性(コンパニオンシップ)を重視した岡部先生の意見がアメリカナイズされたものであるとしたら、こちらは家父長制的な「男のロマン」に基づいた空想である。非日常的世界における息抜きという条件には適合しているようにみえるが、仮にそうだとしたら、もう少し頻繁に金沢に行くのではなかろうか。年に一度ではなく月に一度とか。しかし、そうなると、それはもはや日常的世界の一部であって(多元的日常ではあるけれど)、非日常的世界における息抜きとはいえなくなってしまうだろう。教務の先生方はいまの時期、本当にお忙しい。ぜひ忙中に閑をみつけて、せめて日常的世界の中での息抜きはしていただきたいが、空想は一種の息抜きなのかもしれない。ならばよかろう。思想の自由があるように空想の自由もあるのだから。そして、これは心理学がご専門の大藪先生や文学がご専門の安藤先生には言わずもがなのことであるが、空想には空想する主体の願望が込められているということをブログの読者のために指摘しておこう。
  大学からの帰路、丸善丸の内店に寄って、以下の本(とDVD)を購入し、店内のレストランで遅い昼食(早矢仕ライスと珈琲)をとる。

  丸田一『「場所」論 ウェブのリアリズム、地域のロマンチズム』(NTT出版)
  ニック・ヤップ『世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間』(ナショナルジオグラフィック)
  『華麗なるバレエ01 白鳥の湖(キーロフ・バレエ)』(小学館)
  『華麗なるバレエ02 ジゼル(キーロフ・バレエ)』(小学館)
  『華麗なるバレエ03 ロミオとジュリエット(パリ・オペラ座バレエ)』(小学館)
  『トムとジェリー DVD-BOX』(宝島社)

3月7日(土) 晴れたり曇ったり、時に雨

2009-03-08 11:39:04 | Weblog
  8時、起床。朝風呂に行く。30分ほどで部屋に戻り、荷造り。メールのチェックをして、返信を一本書いてから、10時ちょっと前にチェックアウト。「Kaga」でサンドウィッチ、珈琲、ヨーグルトゼリーの朝食(兼昼食)。会計のとき私が手に提げている大きなバッグを見て、ご主人が何か言いたげだったが、とくに今日東京に帰りますとかは言わず、ご馳走さまでしたとだけ言って(奥様にも会釈をして)店を出る。次にこの店に来るのはいつになるだろう。どうかお元気で。
  11時17分発のはくたか11号に乗る。天気はよいが、東に向って走っているため昨日の雨を追いかけているような展開で、だんだん曇ってくる。富山あたりで雨がぱらつき始めた。かと思うと、突然太陽が差し込んできたりする。西から東へというベクトルと海辺から山間部へというベクトルの組み合わせより、天候が目まぐるしく変化する。見ていて飽きない。魚津から直江津の間は車窓から日本海がよく見える。

         

         

  13時55分越後湯沢着。14時3分発のMAXとき326号に乗り換える。この間8分。「走らないと・・・」と話しているおばさんたちがいたが、大丈夫、3分あれば乗り換えられます。しかし、これは何事もなくスムーズに移動した場合のことで、途中でトイレに行きたくなったり、車内に何か忘れ物をして取りに戻らなくてはならなくなったら、たちまち危ういことになる。このことはわれわれの都市的な時間システム(そこには人生の時刻表も含まれている)の全般にあてはまることで、われわれは標準的な行動パターンから逸脱しないように不断に緊張を強いられている。「走らないと・・・」は現代人の精神構造の基盤に存在する強迫観念である。だから、ベンチャーズは弾いた、「ウォーク・ドント・ラン」。水前寺清子も歌った、「走らないで歩け」(三百六十五歩のマーチ)。(後記:水前寺清子の歌詞は「休まないで歩け」である。「走らないで歩け」と「休まないで歩け」は「歩け」という命令は同じでも意味合いが違うだろう。面白いのでこのままにしておく)
  国境の長いトンネルを(『雪国』の主人公とは反対方向に)抜けると晴天だった。東京まで窓のブラインドを下ろして本を読む。最初、右前方にあった太陽がだんだん右後方に移動していった。これは時間の経過のためというよりも、列車の進行方向の変化によるものである。頭の中に関東平野の地図を広げて、太陽の位置の変化を手がかりに、上越新幹線の線路をイメージしてみるのは頭の体操になるので、機会があったら一度やってみてください。
  3時20分東京着。今日学士入試(一次)で大学に出ているはずの安藤先生に電話で帰京の報告をしてから、丸善丸の内店でヴィカス・スワラップ『ぼくと1ルピーの神様』(ランダムハウス講談社)を購入。アカデミー賞作品賞を受賞した『スラムドッグ$ミリオネア』の原作である。これが原題なのかと思ったら、そうではなくて、原題はシンプルに『Q and A』。『ぼくと1ルピーの神様』は志賀直哉の「小僧の神様」を借用したものだろう。
  ゆうぽうとホールで牧阿佐美バレエ団公演「リーズの結婚」が5時半からあるので、山の手線で五反田に向う。「家に帰り着くまでが遠足です」と小学校の先生の生徒に言うが、それと同じで、「家に帰り着くまでが旅行です」。旅はまだ終らない。金沢から帰ってきた日にたまたま「リーズの結婚」の公演があったので観ようと思ったわけではない。まず最初に「リーズの結婚」があって(座席は4ヶ月前から予約している)、それに合わせて旅行のスケジュールが組まれたのだ。オムレツを作るには卵を割らなくてはならないように、3月7日午後5時半開演の「リーズの結婚」(主演はもちろん伊藤友季子)に間に合うためには同日午前11時17分金沢発のはくたか11号に乗らなくてはならなかったのである。他方で3月2日に教授会が入っているので、金沢行きは3月3日でないとならなかった。フィールドノートの読者には気ままな旅のようにみえるかもしれないが、現代社会の一員として生きている以上、フーテンの寅さんのようなわけにはいかない。旅の初めも旅の終わりも、制度化された時間割の中でほとんど必然的に規定されているのである。われわれにできることは自由に振舞うことではなく、自由であるかのように振舞うことである。

         
                        開演前45分

  「リーズの結婚」は私がこれまで観た演目の中では一番コミカルなものだった。愛し合う若い男女が登場するが、そこには「ロメオとジュリエット」のような悲劇的要素はない。二人はひたすらいちゃつくだけだ。その二人の仲を引き裂こうとする母親が登場するが、そこには「白鳥の湖」や「眠れる森の美女」のような邪悪なるものは存在しない。金持ちの息子と結婚することが娘の幸せだと考えているどこにでもいる母親である。金持ちとその息子も、悪い人間ではない。金持ちはただえばっていて、息子の方は頭が足りないだけだ。最後は、当然のように、若い二人は結ばれ、村人たちから祝福される。話としてはだたそれだけだ。踊りは、コミカルなタッチ(母親の踊りは志村けんのようである)に加えて、リボンを使ったりして新体操の演技を見ているような場面が多々あった。伊藤友季子は「かわいい女の子」を一生懸命演じていたが、もともとがかわいいのだから、そんなに一生懸命に演じなくてもと思う。かえって「ぶりっ子」に見えてしまう。松田聖子に見えてしまう。たぶん私は相手役のイヴァン・プトロフに嫉妬しているのである。何度もキスしやがって。イヴァンの馬鹿。(後記:「プトロフ」を「プトフル」と誤記したら、草野先生からメールで厳しく指摘される。は、はい。こちらはただちに訂正する)。
  8時半ごろ、帰宅。旅は終った。日常的世界への帰還。郵便物やメールをチェックすると、至急対応しなくてはならない案件が3つほどあった。メールを開けたら2分で日常である。