フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月14日(火) 曇り

2016-06-16 01:05:34 | Weblog

8時半、起床。

トースト、ソーセージ、サラダ、紅茶の朝食。

昼過ぎに家を出て、大学へ。

電車に乗る前に「グッディ」で昼食をとる。

本日のスパゲティセットはボンゴレビヤンコ。

降り出しそうな空だが降らない。

スロープで「100円朝食」のタテ看が目をひく。朝食をとる習慣のない学生の健康を考えてあちこちの大学で期間限定で行われているらしい。

どんなメニューだろうとネットで調べたことろ ⇒ こちら

美味しそうだ。私も食べたいくらいだが、対象は学生(学部生+大学院生)だけである。そりゃそうだよね。

3時からHさんのゼミ論指導。

4限は講義「現代人のライフスタイル」

5限は演習「個人化の社会学」

演習修了後、研究室で来週の発表グループの事前相談。普段はせいぜい9時半頃までだが、今日は10時までかかった。腹ペコである。Y君がリーフパイをくれた。

「天や」で夕食。オールスター天丼なるものを注文。主要なネタがのっているという意味らしい。

11時半、帰宅。

2時、就寝。


6月13日(月) 雨 

2016-06-15 02:27:55 | Weblog

8時半、起床。

トースト、目玉焼き、サラダ、紅茶の朝食。目玉焼きの目玉が白いのは最後にフライパンに水をちょっと差して蓋をして蒸し焼きにするからだが、こうすると黄身が半熟になっておいしくなるかわりに写真写りは悪くなる。人間と同じで、大切なのは外見ではなく黄身なのである。いや、中身なのである。

今日は本格的に雨が降っている。貯水池にもたんと降れ。

午後、傘を差して出かける。

「マンモス」とは骨付き肉のことをいうらしい。で、何の肉なんだ?

街の中華料理店だが、勝手口が通りに面している。

昼食を「いっぺこっぺ」でとる。

上ロースカツカレー(1800円)を注文。普段はロースカツカレー(1000円)だが、梅雨的気分を払拭するために奮発した。

ここはカツカレーの専門店だが、カツにカレーがかかった形では出てこない。それでもロースカツカレーはワンプレーだったが(カツはライスの内にのっていた)、上ロースカツカレーになると分離度はさらに徹底していて、カレーライスと上ロースかつが別々の皿で出てくる。カツの衣をご飯でしんなりさせないためと思われるが、こうなうと、カツカレーを注文したというよりも、カレーライスとロースカツの二品を注文したようなものである。もしも、「上ロースカツカレーのカレー抜き」を注文したら、カツライスになって出て来るのだろうか? それとも「お客さん、ふざけないでください。カツライスなら隣の「檍」で食べて下さい」と言われるだろうか。後者のような気がする。

カツは基本的に塩で食べる。以前は岩塩は二種類あったが、今日は一種類しか置いてなかった気がする。

久しぶりで、肉をガッツリ食べた。

トンカツの後のコーヒーは欠かせない。アロマスクウエアーの向かいの「スクエアズ・カフェ」に入る。

マイルドブレンドを注文。

店内のテレビに都議会中継が流れていた。

さて、ガッツリ食べたので、久しぶりのジムへ行こう。

昭和のムード漂う一角。

「生まれ変わったサンドイッチ」か。「もう一度生まれ変わってもサンドイッチになりたい!}とな。

テナント募集中か。前はどんな店だったんだろう?「さとりですがなにか」

雨のせいか、ジムは人が少なかった。筋トレを2セットとクロストレーナーを30分(400キロカロリーを消費)。

ジムの後は「テラスドルチェ」でアイスコーヒー。

夕食は鶏肉とオクラとアスパラの炒め物。

とろろ芋。

茹でトウモロコシ。

味噌汁の具はアサリ。

 『ラブ・ソング』の最終回をリアルタイムで観る。そういう終わり方ですか。妻曰く、「中途半端な終わり方ね。もやもやする」。最終回の展開が早かったのは本来、11回くらいの予定が視聴率の低迷で10回に短縮されたせいだろうが、終わり方が中途半端なのは、福山雅治演じる主人公の中年男の生き方を反映しているのではないかと思う。「なにかっこつけてんだ、おまえ」と私は言ってやりたかった。さくらの居場所がわかって、彼女の勤務先の自動車整備工場に行ったときのことだ。さくらは折悪しく夏休みをとっていて不在だった。「住所とか、電話番号とか教えていただけませんか」と彼は工場のオーナーに尋ねる。「それはちょっと」とオーナーは答える。個人情報だから。「ですよね・・・」と言って引き上げる主人公。「なにかっこつけてんだ、おまえ」と私は思った。事情を説明し、頭を何度も下げてお願いししろよ。遠路はるばる会いにきたんだろ。彼女のことが好きなんだろ。「ですよね・・・」はないだろう。一人の女を一途に好きになるというのは分別をわきまえた中年男には難しいのかもしれない。そう彼に同情する一方で、しかし、彼は若いときからそうだったのでないかとも思うのである。無様なほどに一途な空一とはそこが対照的である。きっと空一は中年になっても一途であろう。


6月12日(日) 晴れのち曇り

2016-06-13 09:40:26 | Weblog

6時半、起床。

日曜日なのに早く目が覚めてしまった。坂口恭平『現実脱出論』(講談社現代新書)のせいかもしれない。彼はそこで「日曜日の朝の幸福」について語っている。

「小学生のころ、日曜日はいつもより早く起きていた。家族のみんなは、逆に休みなのでゆっくりと寝ている。とにかく寝起きが良かった僕は、目を覚ますとさっと布団から出て、子ども部屋へと向かう。机の上の片付けを済ませると、さっそく作業をはじめる。取り掛かっていたのは、自作の連載漫画だ。/家族が起きてくる前の静かな朝の時間。この毎週訪れる日曜日の朝こそが、学校の些事から遠く離れ、自分の興味があることだけに没頭できる一番幸福な時間であった。躊躇することなく鉛筆を持ち、白い紙の上にせっせと漫画を描いていたことを覚えている。/今、当時を振り返ってみると、この幸福な朝の時間は、朝六時から九時ごろまでだったように思う。もちろん、家族が起き出してきて、朝食を食べてからも、作業は継続していたのだが、そうなるともう違う空間になってしまっていた。/寝室から家族が歩く音が聞こえはじめ、台所で母の包丁の音が鳴り、朝食ができたことを告げる声がするまでの静かな時間。三時間のこの時間が、僕には半日のように長く感じられた。朝食から昼食までの三時間とは比べ物にならないほど、ゆっくり時が経つのである。/朝の僕は、時間の中に生かされているというよりも、自分の行動がまず先にあって、それに時間が併走してくれているように感じた。時間に追われているという感覚がなかった。」(66-67頁)。

トースト、野菜ジュース、紅茶の朝食。

午前中は先日購入した関川夏央『人間晩年図鑑1990-1994』(岩波書店)をパラパラと読んでいた。授業にも(たぶん)研究にも関係ない本である。こういう本を読んでいるときは私も「時間に追われているという感覚」がない。幸福な日曜日の午前である。

昼食は妻と「phono kafe」に食べに行く。

二人ともご飯セットでおかずを合わせて6品注文した。

ブロッコリーのタルタルソース、ベジミーとのカツレツ

薩摩芋のきな粉サラダ、おからコンニャクの竜田揚げ

ラタトゥイユ

ルッコラと長ひじきのくるみソース

「phono kafe」での食事を終え、妻は家に戻り、私はコーヒーを飲みに駅の方へ。

駅前の誰かが演説をしていて、警察が駅前への交通規制をしている。

サンライズ商店街。

 昨日から『64』(後篇)が上映されている。観たいが、前篇を観ていないので、それはできない。TVで観ているから前篇は観なくてもいいというわけにはいかない。 

南天堂をのぞく。

挨拶代わりに古本を一冊購入。竹内良夫『華麗なる生涯ー佐藤春夫とその周辺』(世界書院、1971年)。

著者は読売新聞で文化部の記者だった人。「私の人生のなかで最も幸福に思う一つは、佐藤春夫という、飛び切り上等の人間に出会ったこと。何時までも進歩発展のない私は、先生に接してびっくりした。そして、先生から色々学んだが、なかでも人生の楽しみ方について、とっくり教えられた。/先生は大賞作家の代表選手であり、私も大正生まれ。大正は短命で終わったが、しかし文学界には反自然主義のノロ火があがり、ロマンチズムの開花があり、華やかに咲き、やがて結実し、そして年毎にその花園は広がって行った。」(207頁)

著者が廣辺正義という人に贈った本のようで、著者のサインがある。古本にはときどきこういう献本が混じっている。もらった人が売ったわけではない。その人が亡くなって、遺族が蔵書を処分したのである。

「テラス・ドルチェ」で読むことにする。購入したばかりの古本をカフェで読むというのは「日曜日の午後の幸福」である。

家の戻ると玄関先になつが寝そべっていた。

妻に言われて、物置の中のものを一緒に片付ける。ビニール傘のたぐいがたくさんある。母がとっておいたものである。痛んでいるものは処分する。大学の研究室にも置き傘として何本か持って行こう。

夕食は海老シューマイ、鯵、サラダ、味噌汁、ご飯。

デザートはマンゴー。とろり。

『ゆとりですがなにか』をリアルタイムで観る。来週はまだ最終回ではないようだ。そりゃそうだろう。

2時半、就寝。


6月11日(土) 晴れ

2016-06-12 07:23:58 | Weblog

8時、起床。

トースト、ウィンナー、サラダ、紅茶の朝食。

9時に家を出て、大学へ。

夏の陽射しだ。

10時から学会関係の会合。

昼食は「たかはし」で。

刺身定食(まぐろ・あじ)を注文。

盛り合わせはまぐろ+たいの組み合わせが多いのだが、今日は+あじに惹かれた。

食後の一服は「カフェゴト―」で。

夏はアイスココアを注文することが多い。食後でお腹はいいが、でも甘味がほしいというときにうってつけである。 

 

恵比寿へ行く。

大通りからちょっと脇道に入ったところにめざすギャラリー「Malle」はある。

都会の喧騒を忘れさせてくれるたたずまいのギャラリーだ。

ここで陶芸作家の清水直子さんがお仲間とグループ展を開いているのだ(明日まで)。

今回のテーマは「幻想列車」。

旅心をくすぐる作品たち。

 

ちょっと大きめの角皿を購入。信州旅行の記憶が蘇る。松本から長野に行くときに乗った篠ノ井線がこんな感じだった。

研究室で大学院の演習をするときテーブルの中央に置く菓子皿にちょうどいい。

 

熊のペンダントも購入。

熊の表情はいろいろあったのだが、清水さんが「これがいいです」と言って勧めてくれたのが、この「やあ」という表情のもの。

ジャケットの襟に付ける。こんな感じ。

他の作家さんたちのポストカードも数枚購入。

清水さんが参加している別のグループ展が今日から始まっている。

こちらのテーマは「鳥」だ。

国分寺の「くるみギャラリー」で、6月10日(金)から19日(日)まで。

再び大学へ戻り、夕方から別の学会の会合。

8時、帰宅。

夕食は茄子とピーマンと挽肉の炒め。

 『ゆとりですがなにか』(録画)を観る。最終回が近づいているが、ストーリーは収斂しているのか、拡散しているのか、判然としない。宮藤官九郎ワールドに身をゆだねるしかないという快楽。


6月10日(金) 晴れ

2016-06-11 17:23:21 | Weblog

8時半、起床。

トースト、スパムソーセージ、サラダ、紅茶、グレープジュースの朝食。

午後から大学へ。

昼食は駅に向かう途中にある「吉野家」で。

麦とろ牛皿御膳(580円)。去年もちょうどいの季節に食べたようなか気がする。

牛皿はこんな感じで。

とろろはこんな感じで。

麦飯(といってもベースは白米だが)はこんな感じで。

とろろご飯に牛肉が合うかというと、そのあたりはよくわからないのだが、栄養のバランスはいいような気がする。

朝定食の新メニューである「鶏そぼろ飯」というのも食べてみたい。

そのときは+70円でけんちん汁にしてもらうつもりだ。

今日は暑い。

もちろんまだ梅雨明けではない。そもそも本当に梅雨入りしたのだろうか。

5限はゼミ。このところ就活が佳境に入っているようで、4年生は欠席や遅刻が目立つので、思い切って今週は4年生は休みにして、3年生だけで行う。

今週の発表グループのM君、S君、Iさん。

3年生だけだと19名(本日は1名欠席)。机をロの字型にしてやれる。3・4年生合同だとこれができない。通常の授業のときの全員が前を向いて座る配置でしかやれないが、ディスカッションには不向きである。私はゼミは2コマ使って、5限は合同ゼミ、6限は別にもう一つ教室を使って(6限は教室に余裕があるのでそういうことができるのである)、学年で別れてゼミをやっている(私は時期によって3年生の方に出たり、4年生の方に出たりする)。こいういう工夫をすることで、大所帯のゼミを運営しているのであるが、将来、2コマ連続でのゼミや、同時に2教室を使用することが難しい状況になったら、ゼミの定員を減らすことで対処するしかないだろう。1学年の定員を15名にして、それを厳守することにすれば、3・4年合同で30名となり、ロの字型の机の配置でなんとかやれるだろう。

一つのゼミのことだけを考えれば、それでもよい。いや、本当はよくないが(3年生と4年生は時期によって別々にやった方がよい場合があると思う)、それはなんとかしよう。しかし、論系全体や文化構想学部全体で考えると、ゼミの定員(現在は20名が上限)を引き下げると、希望のゼミに入れない学生が増えることになる。そういう学生はあまり興味のないゼミに入るか、ゼミをあきらめて個人指導の卒業研究を選択することになるが、学生のモチベーションはどうしても下がるだろう。それはやっぱり問題だということで、ゼミ定員はそのままで、2クラス制だけを廃止したらゼミがもっている教育効果は大きく低下する・・・と私は思うが、ここは議論の分かれるところで、常時合同でやることの意義を強調する人もいる。なので、現在は2クラス制でやっているゼミと1クラス制でやっているゼミが併存しているわけだが、私はこの状態を維持してほしいと切に願うものである。

    

今日は1クラスゼミなので、5限(+15分ほどオーバー)で終了となる。

空がまた明るい。

「あゆみブックス」で、関川夏央『人間晩年図巻 1990~94年』(岩波書店)を購入。帰りの電車の中で読む。

7時半、蒲田着。

夕食はジンギスカン風焼肉。

昼食は牛で、夜は羊だ。

録画しておいた『ラブ・ソング』をようやく観れた。来週はもう最終回か。声帯を失わずにすむ確率は10%未満ですとな。だめ、だめ、それはだめ。折しも市川海老蔵が妻の癌を会見で発表したが、ドラマの展開のために癌という病気を軽々に利用すること自体が無神経だと私は思うのである。声帯ポリープくらいでいいでしょ。それなら歌手にはよくあることです。でも、それではもちろんドラマチックではない。でも、癌を使えばドラマチックになるという発想がいやなのである。想像力が貧困なんですよ。

シェリルがただの高慢ちきな女ではなかったことが今回のせめてもの救いであった。

2時、就寝。