フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月20日(火) 曇り

2019-08-21 11:06:31 | Weblog

8時半、起床。

実は、目が覚めたのはその1時間前である。夜中の3時に寝ても、昨日のように10時に起きるのであれば、睡眠時間は十分である。しかし、今日のように7時半に目が覚めるというのは不自然である。眠りが浅いということである、自律神経が乱れているのだ。案の定、耳鳴りがした。耳鳴りは普段からあるのだが、今朝はそれが一段と大きかった。首回りの筋肉が凝っている感じで、おまけに喉も腫れている。血行がよくないことは明らかだ。とりあえず洗面所に行き、うがいをして、コップ一杯の水を飲んだ。それから風邪薬を飲んで、もう一度布団に入った。意識してゆっくりと静かに深呼吸を繰り返していると、耳鳴りはしだいに小さくなった。 

トースト、ポトフ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

本日の『なつぞら』。麻子がアニメーションの会社を設立して、うちで働かないかと声をかけてきた。それはいいのだが、今日の展開の中で「えっ」と思う個所が2つあった。第一に、麻子は下山にも声をかけ(ヘッドハンティングだ)すでに内諾をえているという。しかし、下山には専業主婦となった茜と乳飲み子がいる。そんな彼がしかるべきポジションを捨ててまで新しい(先行きの見えない)会社に移るものだろうか。第二に、一久はなつに内緒でしばしば茜のアパートを訪ねて彼女からおむつの替え方や縫い方、ミルクのつくり方を教えてもらっていたという。これはなつが知ったら心穏やかではないのではないかしら。

『なつぞら』を見ながらの朝食を終え、机に向かおうと思ったが、寝不足がたたって頭がすっきりしない。もう一度眠ることにした。去年の5月に傾頭性のめまいに見舞われたときも、一月ほど前に帯状疱疹を発症したときも、その前に寝不足の日々が続いたことを思うと、今朝の耳鳴りも一種の警報ととらえるべきだろう。

昼過ぎまで眠ってから、机に向かう。 

夕方、散歩に出る。一雨来そうなので、折り畳みの傘をバッグに入れていく。

 

昼食をとっていなかったので、「そば新」に入る。  

冷やしきつねの大判(油揚げ)というのがあったので、それにした。 

ところが出てきたのは暖かいキツネ蕎麦(油揚げ大判)だった。 

私が勝手に冷やしだと勘違いしていたのだ。大判の冷やしきつねそばを食べたいときは、冷やしそば+(トッピングで)大判きつね(油揚げ)を注文しないとならなかったのだ。次回から気を付けよう。 

「有隣堂」でNHK俳句のテキスト(9月号)を買ってから、「テラスドルチェ」へ行く。  

いつものカウンターの隅の席に座る。こんにちはオードリー。 

珈琲を注文して、鞄に入れてきた原稿のための資料を読む。 

「テラス・ドルチェ」には1時間半ほど滞在。コーヒー一杯で1時間半というのは、個人的には許容範囲ギリギリである。この1時間半というのは集中して資料を読み込めるのである。カフェでは読むというインプットの作業はできるが、書くというアウトプットの作業は無理である。ブログくらいなら書けるが、論文は無理である。手元にあれこれの資料がないと論文はかけない。それは研究室も同じである。「研究」室とはいっても、実際にそこで行うのは授業の準備や学生の指導で、論文の執筆は無理である。研究用の資料はすべて自宅の書斎と書庫に置いてある。

7時前に「テラスドルチェ」を出る。

「テラス・ドルチェ」はアーケードの中にあるため気づかなかったが、雨が降って、止んだようである。 

夕食は7時半。きすね蕎麦を食べてから3時間しか経っていないので、あまり空腹は感じないが、食卓に着く。 

空芯菜と玉子の炒めもの。妻は空芯菜というものを初めて買ったようである。「茎の中が空洞になっているから空芯菜っていうのね」と感心したように言う。私は中華料理やベトナム料理の店で何度も食べているから、「そうだよ」と相槌を打つ。

デザートはキウイ。切り口の形と色が違うのは、二種類のキウイ だからである。切り口が楕円の方が普通のキウイで、円型の方がゴールデンキウイというものだ。たまたまかもしれないが、ゴールデンの方が甘酸っぱくて美味しい。

 2時、就寝。


8月19日(月) 曇り

2019-08-20 15:30:16 | Weblog

10時、起床。

就寝の時間が遅くなって、期初の時間も遅くなっている。

トースト、目玉焼き、牛乳、紅茶の朝食。ハム&エッグやベーコン&エッグのときは皿に載せるが、目玉焼きだけのときはトーストの上に載せる。お皿の節約である。

 昼食はカップヌードルで済ます。時間の節約である。

 

お八つに、昨日、メグさんからいただいたお菓子を食べる。

中に白あんが入っている。冷蔵庫で冷やした食べる。 

 夕食は7時過ぎ。 我が家の「ポトフ率」は高い。

「クーラーの効いた部屋で、暖かいポトフ」と妻が言った。何かのコマーシャルか。 

今日は一歩も外に出なかった。そういう日でも新聞や郵便を取りに玄関先には出るものだが、それもしなかった。なので、食卓以外の写真を撮っていない。

毎日ブログを書いていても、書くことがなくて困るということはほとんどない。まったく同じ日というのはないし、行動レベルで特に書くことがない日でも、頭の中で考えたことは書ける。

でも、今日のように一日家にこもって原稿に取り組んでいるような日は、書くことがなくて困るのである。というのは、原稿の中身の話はブログに書けない(書かないことにしている)からである。特に「部外秘」というわけではないが、頭の中にあるものを外に出してしまうと、頭の中の圧力(思考の促進力)が低下してしまうからである。また、ブログを書くことは私にとって一種の気分転換なので、原稿の中身について書くことは気分転換にならないということもある。

でも、書くことがなくて困る日でも、なぜ書くことがなくて困るのかは書けるのである。

3時、就寝。


8月18日(日) 晴れ

2019-08-19 16:28:06 | Weblog

8時半、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

午後1時に卒業生のメグさん(一文、社会学専修)と待ち合わせて「HITONAMI」へ行く。 彼女と会うのは去年の7月以来だからほぼ1年ぶりである。この間に彼女は転職をした。以前の勤務先はドイツ証券、いまの勤務先はゴールドマン・サックス証券である。そういう方面に知識のない私でも名前くらいは知っている。きっとバリバリ働いているのだろう。

食事の注文をしてから、まっている時間を梅ソーダ(彼女は梅ジュース)で喉を潤す。 彼女とはそんなに頻繁に会ってはいないが、コツコツとカフェ巡りをして、一昨年にグランドスラム(カフェゴト―、スキッパ、まやんち、フォノカフェ)を達成し、去年、「パン日和あをや」に行ったから、スーパーグランドスラム達成まで残るは「「トンボロ」「ポッタリー」「ノチハレ珈琲店」である。でも、急ぐ旅ではないので、今日は蒲田周辺の彼女にとっての初めてはカフェを回ることにした。

 料理が運ばれてきた。

ブリの漬け焼き。 

夏野菜の揚げびたし。 

切り干し大根のアラビアータ。 

ジャガイモのコロッケ(コーン入り)。 いつもは何もかけずにいただくのだが、今日はソースと醤油を使ってみた。メグさんも店員のクドウさんもコロッケに醤油は使ったことがないそうだが、いえいえ、醤油は万能ですよ。

「HITONAMI」には1時間ちょっと滞在。クドウさんに見送られて店を出る。「HITONAMI」はお盆休みなしだったそうで、これからその疲れが出ませんように。

入口の脇に置かれている鉢や容器の中にはメダカがいる。一番大きいのは大人のメダカ、白い小さな容器には子どものメダカ、そしてプラスチックの容器には赤ちゃんメダカである(別にしておかないと食べられてしまうそうだ)。でも、メダカを育てるのはなかなか難しいという。環境のちょっとした変化に敏感なのだろう。

デザートは「池田屋」で。ここは年中無休である。門前の茶屋が無休なのは、お寺に定休日というものがないからだろうか。 

  もちろん葛餅を注文。

「池田屋」は葛餅を卍型に盛り付ける。そして黒蜜は客が自分で好きなだけ掛ける(たいてい掛けすぎる)方式。 

 おしゃべりの中で、「定年後の過ごし方」という話題になり、「卒業生といま以上にたくさん会えますね」とメグさんは言うが、たぶんそうはならないだろうと思う。社交の頻度を左右する4つの資源、「つながり」と「時間」と「お金」と「健康」にはそれぞれ個別のサイクルがあり、全部が同じように増減するわけでない。確かに「卒業生」の人数は年々増えるし、定年後は「自由になる時間」も一挙に増えるが、「自由になるお金」や「健康」も一緒に増えるわけではなく、むしろいまより低下するはずである。増えるものと減るものが相殺して、定年後もせいぜいいまと同じくらいのペースか、むしろペースダウンするのではないかと予想している。書店に並んでいる「定年後の生活」について書かれた本は、どうもおしなべて「自由になる時間」の増加という面ばかりが強調されているように思う。

「池田屋」には1時間弱滞在した。「スリック」に電話をして「いまから30分くらいしたら伺います」とマダムに伝えて、店を出る。

池上駅は既存の線路の上に駅ビルを被せるように新築する工事をしている。線路をいじるわけでないので、来年には(オリンピックまでには)完成する。新しい改札口はホームと同じ平面ではなく、階段を上がって2階になる。なので東急線でここだけに残っていた構内踏切は姿を消すことになる。 

 「スリック」には4時に着いた。

さて、今日のカキ氷は何にしよう。 

メグさんは桃のシロップのカキ氷を注文。 

 私はミルクティーのカキ氷にした。お茶は何を使っているのだろう。アールグレーかしら。マダムに確認したらやはりアールグレーだった。昨日食べた梅も美味しかったが、ミルクティーも「スリック」らしくていいですね。

カキ氷を食べた後は、暖かいお茶とシフォンケーキである。私はペパーミントとレモングラス、彼女はマサラチャイを注文。

今日はマダムから韓国語の勉強の仕方についてたくさんお話をうかがった。彼女はよく韓国に旅行に行かれるが、初対面の人からは「アナウンサーみたいにきれいな韓国語ですね」と言われるそうである(注:北朝鮮の方のアナウンサーではありません)。発音がいいというのは、きっと耳がいいのだろう。うらやましいです。また、ハングルの文法には例外事項がとても多く。普通はウンザリするところだが、マダムはそういう面倒なことを覚えるのが、苦痛ではなく、いや、苦痛ではあるが楽しいらし。きっとMの素質があるのだろう。 

シフォンケーキは私はプレーン、メグさんは紅茶。 

プレーンは久しぶりだ。 

紅茶シフォンは私の一番のお気に入りだが、昨日も食べたしね。 

「スリック」には閉店の時間(日曜日は5時)を30分ほどオーバーして滞在した。なじみのお店だとついつい甘えてしまいます。快適な時間をありがとうございます。

メグさんは昨日から夏休み(2週間の法廷休暇)に入っている。どこかに旅行とか行くわけではなく、友人と会ったり、自宅でのんびり過ごす予定とのこと。この暑さはまだまだ続きそうです。どうぞよい夏休みを。

彼女を蒲田駅の改札に見送る。SGS達成までボチボチ行きましょう。

 

夕食は7時半。 

「ポースソテーは最近出たよね」と私が言うと、妻は「私もそんな気がしたけど、お肉の消費期限がね」とのこと。そ、そうか。 

3時、就寝。 


8月17日(土) 晴れ

2019-08-18 12:15:25 | Weblog

8時、起床。

トースト、牛乳、紅茶の朝食。

午後1時に蒲田駅で卒業生のカナミさん(論系ゼミ7期生)と待ち合わせ、ベトナム料理の「ティティ」へ行く。しかし、「ティティ」は今日までお休みだった。それではと「西洋料理SUZUKI」に電話をして、営業していることを確認してから向かう。なにしろ西口の商店街の外れにある店なので、この暑さの中を店の前まで行ってやっていなかったら落胆が大きすぎる。

いつものようにアラカルトでビーフシチューと海老フライを注文しようとしたら、奥様が「今日のランチはビーフシチューと海老フライの組み合わせですから、ランチ(1500円)で注文された方がお得です」と教えてくれた。では、そうしましょう。

スープはビシソワーズ(冷製のポテトのポタージュ)。

カナミさんは子どもの頃から冷たい汁物が飲めなかったのだが、最近、ビシソワーズの美味しさに目覚めたのだそうである。

ビースシチューと海老フライのランチ。 ランチはいつも肉料理と魚介料理の組み合わせだが、ビーフシチューと海老フライという組み合わせが個人的には一番だと思う。ホロリとサクッ、この食感の組み合わせがいいのだ。

アラカルトで注文してシェアした方がビーフシチューの量が多く、エビフライも大きいのだが、お腹いっぱいになる。ランチのワンプレートの方がお腹にはちょうどよい。 

食後にコーヒーを注文。 

プリンアラモードがおまけで付いてくる。知らない人にはサプライズ感がある。 

彼女はいま映像制作会社でネット配信の番組に携わっている。お笑い系の番組だそうで、番組に出演しているお笑い芸人たちの写真をたくさんスマホで撮っている。  

その中の一組、ライオンロック。彼らは今日、M-1グランプリの予選に出場しているそうである(「無事通過しました!」と後から連絡があった)。 

「SUZUKI」には1時間半ほど滞在。商店街を戻る。 

アーケードの中はお店の冷房の間接効果で散歩には適している。でも、距離が短い。 

映画館の前を通ったらちょうど『アルキメデスの大戦』の上映が始まる時間だった。菅田将暉主演の面白そうな作品で、前から観たいと思っていた。「観ましょうか」と彼女が言うので、散歩するには暑いし、それもいいかなとも思ったが、美術館ならまだしも、しばらくぶりで会ったのに映画を観ている間(2時間ほど)おしゃべりができないというのはどうなのだろう。彼女も「映画を観終ってから物語の構造について先生から質問されると思うとボーッとは観ていられませんね(笑)」と言った。映画鑑賞会みたいになっちゃいそうだね。

結局、映画は止めて、東急の屋上(かまたえん)に行く。ここには彼女のお気に入りの「幸せの観覧車」がある。 

日陰になっているテーブルに座ると、気持ちのよい風が吹いていて、冷房の効いた室内にいるよりもずっといい。 ここでしばらくおしゃべりをすることにした。

喉が乾いたら屋台で売っているラムネを飲む。 

「幸せの観覧車」の冠を被る。きっといいことがあるだろう。 

「かまたえん」には1時間ほど滞在。そこから「スリック」に電話をしたら、席空いてますということなので、いまからうかがいますと伝える。今日はカキ氷を食べよう。

私は梅シロップを注文。トッピングされているのは杏子。梅シロップに杏子とはこれいかに。マダム曰く、「去年はシロップをかけただけだったんです。でも、そうすると色が薄いのでただの氷だけみたいんあっちゃうんです」。たしかにそれだとインスタ映えはしませんね(笑)。 

「美味しそうですね」と彼女が私の氷を見つめながら言った。もう少し待ちなさい。 

 彼女が注文したミカンのカキ氷が運ばれてきた。 

お裾分けをしあいながら食べる。どちらも美味しいが、私は梅の方がさっぱりしていいかな。

 

食べ終わってしまってからマダムに写真を撮っていただく。

温かい紅茶を注文して、それが運ばれてくるまでの間、外のテーブル(スリック・スタジオ)で彼女のポートレイトを撮る。

 

紅茶が入ったようである。 

私はカモミールハーブティー、彼女はルイボスティー。 

 私はシフォンケーキ(紅茶)も注文。彼女はお腹がいいようであるが、実は、甘いものはあまり得意ではないのだそうだ。えっ、そうだったの!? 私とカフェめぐりをする人には珍しいことである。でも、スイーツ抜きのカフェめぐりもありですね。カフェの一番の楽しみはおしゃべりですから。

マダムの大学生の娘さん(留学中)とカナミさんにはある共通点があるのだが、それをテーマにおしゃべりをする。どういう共通点かって?それは書けません(笑)。 

店を出たのは6時半。おしゃべりが弾んだ、閉店の時間(6時)を30分オーバーしてしまった。  

彼女はこれから(福岡の)中学以来の友人と京急蒲田駅で待ち合わせて、居酒屋で飲むらしい。京急蒲田のアーケードの入口まで送って行く。どうぞ蒲田の夜をお楽しみ下さい。また、会いましょう。

夕食は8時。

主菜は鮭の塩焼き。息子は名古屋に戻ったので、餃子、唐揚げ、お好み焼き、刺身と続いた夕餉の食卓は、一転して、低カロリーのものとなった。 

 蓮根と白滝のピリ辛炒め。

デザートはスイカ。 

 3時、就寝。


8月16日(金) 曇りのち晴れ

2019-08-17 12:40:41 | Weblog

7時半、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の昼食。

今日の『なつぞら』結婚の次は出産である。そして出産と連動して仕事の継続性の話である。「仕事か家庭か」から「仕事も家庭も」へと性別役割分業意識が変化していく、その先端部分になつはいる。周囲もそれを応援する。「頑張れ、なっちゃん」。 仕事と家庭の両立は本人の頑張りにかかっている。無理をして頑張らなくても両立ができるような仕組み作りに会社が頑張るというわけではない。このことはいまも基本的に変わっていないように思われる。その端的な表れが、産休や育休や時短勤務で職場の労働力が低下しても、労働力の補充はなく(人件費の節約)、残ったメンバーの頑張りよってやりくりするというやり方である。これでは「迷惑をかけている」「かけられている」という意識が職場に生れ、出産・育児退職につながりやすいだろう。産休・育休が「取れる」ということと「取りやすい」ということは同じではない。それでも職場のほとんどのメンバーが遅かれ早かれ産休・育休をとるのであれば、「お互い様」の意識が生じて、「迷惑」意識は低減するだろう。しかし現代は、なつの時代とは違って、結婚しない人、結婚しても子供をもたない人が少なくない。「お互い様」の意識が生まれににくくなっている。結婚・出産・育児(さらには老親の世話など)をめぐるメンバーの異質性を前提とした働き方の仕組み作りが重要なのである。

10時に予約している歯科医院へ行く。今日は左の上下の奥歯の歯石の除去と全体のクリーニング。担当してくれる歯科衛生士の東口さん(蒲田駅の東口にお住まいなのでそう呼ばせてもらう)に「お盆休みはどちらかに行かれましたか?」と聞くと、「四国に行ってきました」とのこと。三泊四日で四国四県を回ったそうである。「自動車ですか?」「はい、自動車で」「東京から四国まではどうされたのですか?」「それも自動車です」「それはずいぶんありましたね」「はい、そうですね。私はそんなに運転しませんでしたが(笑)」。途中から私は口をずっと開けたままなので、東口さんのお話を聞くだけになった。TVドラマでは、よくこういうシーンでも患者はおしゃべりを続けているが、あの設定には無理があると思う。今回の一連の治療は今日で終了。次の定期検診は半年後。

午後2時を回った頃、息子と昼食を食べに出る。「松家カレー」に行く。

今月で23周年ということで、看板メニューのサーロインステーキカレーがサービス価格(980円)で食べられる。うん、これにしよう。息子もそうする。 

店内にはたくさんの貼紙(あれこれの説明)と漫画本。 

牛丼の「松屋」と誤解されることが多いのだろう。そうではないと書いてある。また、漫画本は待ち時間が長くなるメニューがあるためと書いてある。開店当時はスマホなんてなかったから、漫画本が必要だったのだろう。

待つことしばし、サーロインステーキカレーが運ばれてきた。 

サーロインは130グラム。塩コショウでソテーされている。あらかじめカレーはかかっていない。私はステーキにはカレーはかけず、それ単独で味わった(カツカレーの場合もしばしばそうする)。そういう食べ方をする場合、「なぜステーキ(あるいはカツ)をカレーに載せるのか」という存在論的(?)問題がおのずと浮上するが、それについては深く考えないことにしよう。ステーキを味わい、カレーライスを味わう。これで980円。安くて美味しゅうございました。 

妻に頼まれている夕食の買い物をしに息子と駅ビル東館地下の魚屋へ。刺身の盛り合わせかなにかと言われたが、盛り合わせは見栄え重視で高くつくので、食べたい刺身(カツオ、シメサバ、サーモン)をそれぞれ柵で買うことした。息子にはこれを持って家に帰ってもらう。私は「テラスドルチェ」に食後のコーヒーを飲みに行く。 

最近はカウンターが空いていれば、その隅の席に座る。ここはクーラーの風が直接当たらないので、私にはいい。鞄に入れてきた本(原稿のための資料)を読む。滞在時間は1時間半。 

時刻は午後5時を少し回ったところ。 

駅ビル東館の「くまざわ書店」に寄って、新書と文庫を購入。

 清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書)

もちろん所有しているが、今日の午前中にちょっと調べたいことがあって書棚を探したが見つかれらず、こういう場合は探すよりも買ってしまった方が早いので、数冊目の購入となった。清水が生涯に書いた90数冊の単著の中で一番売れた本であり、かつ現在も絶版・品切れになることなく書店に並んでいる数少ない本である。

 外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫)

たぶんこの本も所有しているが、探す時間の節約のために購入。元は1983年に出た本だから相当なロングセラーである。その7年前に渡部昇一『知的生活の方法』(講談社現代新書、1976年)が出て爆発的に売れた。本書はその系譜に属する本の一冊である。この系譜をさらにさかのぼると梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書、1969年)に行きつくが、「知的生産」と「知的生活」の違いに、高度成長から消費社会への移り行きを感じる。

 栗原康『アナキズム~一丸となってバラバラに生きろ』(岩波新書)

これは去年出た本。現代の若者の友人関係は「みんなぼっち」と表現されることがあるが、それをもっと動的にポジティブに表現すると、本書の副題の「一丸となってバラバラに生きろ」になるかもしれない。著者は大杉栄の研究で知られる。まるで大杉栄が現代によみがえって著者に憑依したかのような文体で、岩波新書としては異彩を放っている。

 「そいじゃあ、アナキズムってなんなのか。たぶん「無政府主義」っていう訳でききおぼえがあるってひとはおおいんじゃないかとおもう。もちろん、それはまちがいじゃないんだが、ことばの意味をひろっていくと。アナキズムというのは、ギリシャ語anarchosからきていて、an(アン)っていう説頭語と、arche(アルケー)がくっついてできたものなんだ。アン、アルケーで、アナーキー。でね、このアンというのは「~がない」っていう意味で、アルケーというのは「支配」とか「統治」って意味なんだ。/だから、ていねいに訳していくと、「だれにもなんにも支配されないぞ」とか、「統治されないものになれ」ってのがアナーキーになる。で、それを思想信条としましょうってのが、アナーキズムだ。(中略)政府ってのは、統治の一機関だからね。それで「無政府主義」とも訳されたりするのだが、まあまあ、政府だけじゃなくて、あらゆる支配はいらねえんだよってのが、アナキズムだ。」(8-9頁)。 

時刻は6時半を回ったところ。自宅のベランダから見る西の空が夕焼けに染まっている。 

夕食はお刺身大会。

カツオのたたき。 

サーモン。 

シメサバ。 

イクラとサーモン。海鮮親子丼。 

デザートはスイカ。 

原稿書きはどうしたって深夜に及ぶ。

3時半、就寝。