黒板の裏側で~おうみ進学プラザの毎日~

おうみ進学プラザは滋賀県の学習塾。困って、喜んで、泣いて、笑って、そして時々怒って。塾のドラマを実況中継します。

歴史の風を感じながら、「さくら」から「青葉」へと進んでいきます。

2023-04-07 11:07:29 | Weblog


【歴史のガイドです。膳所城と膳所藩のことをメモしておきます】
NHKのローカル番組で、京阪電車の石坂線膳所本町駅のあたりが紹介されました。
この可愛い路線の沿線には比叡山高校、大津商業高校、大津高校、膳所高校、石山高校があって、あぁ、青春を運ぶ京阪石坂線。
「膳所神社の門は、膳所城の城門を移築したもので、重要文化財です」と。おお、そうだったのか。知らぬこととはいえ、これまでの御無礼をお許しください。
いきなりグレードアップです。
そこで、じゃあ膳所藩って、何ですか?
以下は講談社の事典からの引用。

江戸時代、近江国滋賀郡膳所(現、滋賀県大津市)に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。
藩校は遵義堂(じゅんぎどう)。*この藩校が膳所高校の源流です。
関ヶ原の戦いの翌1601年、慶長6年、徳川家康は譜代の戸田一西(とだかずあき)に3万石を与えて入封させ、関ヶ原の戦いに際して破壊された大津城を廃城にして新しく膳所城を築かせた。
~色々と大名の交代があって、そこは省略~ 
1651年、慶安4年に本多俊次が入封、以後明治維新まで本多氏13代が続いた。石高は6万石。
幕末に勤王・佐幕両派が対立抗争したが、戊辰(ぼしん)戦争では新政府側に立って桑名藩攻めに出兵した。1871年、明治4年の廃藩置県で膳所県となり、その後、大津県を経て翌72年滋賀県に編入された。

ナルホド。
そういう歴史のある城門の前を通って、おうみ進学プラザの本社に出勤していたのだなあ。
これからは、もうすこしゆっくりと歩きましょうか。
仕事に遅れるから、急ぎなさい!

古久保チームが春のミーティング。古久保先生、加野先生、久末先生、福井恒誠先生の4人。おうみ進学プラザの社内のパワフル系機動部隊です。
「さくらキャンペーン」を終えたのちの「青葉キャンペーン」の具体的な内容やスケジュールを相談して、それぞれの分担などを決めていました。
「さくら」から「青葉」へと、グイグイと引っ張ってください。

八幡桜宮教室で授業。
3月のおわりごろから4月のはじめまでの期間は、春期講習会があったので、別の時間割。
レギュラーの授業は久しぶりでした。
ギャグ、不発です。
「停滞前線を間違えると、手痛いめにあうよ」
これは名作です!
しかし、シーンと…。
2回繰り返してみましたが、2回とも…。
次に言うときは、黒板にも書きます。
   停滞。  
   手痛い。
ちゃんと書く。
そこで笑って、そして理解してから、ちゃんと覚ておいてもらいた。
授業そのものは、いいペースでどんどん進んでいます。
春期講習会の前に出していた宿題、オリジナル版のドリルの面倒なページ。これを生徒たちはちゃんとやってきました。偉いっ!
そして、100点満点は取れないはずの確認テストで、またもや100点。
うむむ。やるなぁ。
「さくら」で伸びて、「青葉」でも伸びる。
この調子です。

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