文化逍遥。

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わたしのレコード棚―ブルース44、Curley Weaver

2018年01月22日 | わたしのレコード棚
 カーリー・ウィーバーは、「わたしのレコード棚―ブルース43」で取り上げたウィリー・マクテル、あるいはバーベキュー・ボブの演奏を支えた伴奏者―バックアップギタリスト―というイメージが強い。が、しっかりした実力があり、ジョージアのブルースシーンを語る上では欠かせないギターリストの一人だ。



 生まれは1906年3月、亡くなったのは1962年9月で、ともにジョージア州コヴィントン(Covington)。アトランタに出て、演奏活動を始めたのは、1925年頃だったらしい。個人的に共演している上の二人の他に、“The Georgia Browns”及び“The Georgia Cotton Pickers”というバンドの一員としてもギターやヴォーカルで参加している。“The Georgia Browns”は、ギター・ヴォーカルにフレッド・マクミューレン(Fred McMullen)、ハーモニカにバディ・モス(Buddy Moss)など。“The Georgia Cotton Pickers”は、ギター・ヴォーカルのバーベキュー・ボブ、やはりハーモニカにバディ・モス。

 そんなこんなで、我が家にある音源のなかにカーリー・ウィーバーの入っているものはけっこう多いが、単独で録音されたものは1曲しかない。それは、P-vineから出ている4枚組CD『The Story Of Pre-war Blues』に入っている「No No Blues」という曲。低音弦をはじき返す強いリズムと、それに絡むスライド奏法の高音弦側のバランスが素晴らしい1曲だ。これだけの実力がある人だったら、もっと単独での録音を多く残して欲しかった。この「No No Blues」、CDの解説には1933年のニューヨーク録音となっているが、他の資料には1928年に録音してローカル・ヒットになった、ともある。あるいは、別テイクがあったのかもしれない。

 カーリー・ウィーバーの最後の録音は、1949年にウィリー・マクテルと「リーガル」というレーベルに吹きこんだ物らしい。が、残念ながらそれは手元にはない。彼は、1950年頃から視力を失いはじめ、亡くなった1962年には、完全に失明していたという。

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