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2017年フランス映画『永遠のジャンゴ』

2018年01月16日 | 映画
 1/15(月)千葉劇場にて。原題は『Django』。監督・脚本は、エチエンヌ・コマール。主演、レダ・カテブ。楽曲のレコーディングを担当したのは、ローゼンバーグ・トリオ。


 1943年、ドイツ占領下のフランス・パリ。映画は、森の中で演奏するジプシーが虐殺されるシーンに続き、すでに演奏開始時間は過ぎているのにセーヌ川で釣りをしているギターリスト、ジャンゴ・ラインハルトの姿で始まる。マネージャーに引き戻され、やっとコンサート会場に入るジャンゴ。やがて始まる演奏に、観客は引き込まれてゆく。その中にはドイツ軍将校もいて、彼はドイツでの演奏を半ば強制的に企画し、ジャンゴに押しつけてくるが・・・。

 ジャンゴ・ラインハルトは、ヨーロッパのジャズシーンを語る上で欠かせない人で、今では世界的なギタリスト達から尊敬を受けているミュージシャンの一人だ。ギターで演奏する時、難しいことのひとつに、楽器との一体感を得ることがある。この点で彼は傑出していた。録音を聴いても、ギターがまるで体の一部であるかのような演奏だ。一方で、その性格は、良く言えば奔放、悪く言えばいいかげん、だったようだ。映画にも博打で有り金を全てすってしまうシーンがあったが、現実もそうだったらしい。手元の資料には、それがためにバンドのメンバーに給料をきちんと払わなかったことも多かった、とある。そんなジャンゴの悪癖により、特に弟でギタリストのジョセフは一時期嫌気がさして、彼から離れていたこともあったという。
 映画のようにドイツ軍が、ジャンゴ・ラインハルトに演奏させようとしたことが史実としてあったのかどうかは、手元の資料からは確認できない。あくまで、わたし個人の見解だが、モーツァルトやベートーベンの音楽を自民族の優位性として喧伝し、ドイツ国内はもとより占領地のオーケストラからユダヤ人演奏家などを排斥したドイツ軍が、ジプシーの音楽家を評価して自国に連れていこうしたとは考えにくい。むしろこの映画は。ナチスの少数民族に対する差別と圧迫をテーマにした作品として観た方が良いのではないか、と感じた。



 こちらは本物のジャンゴ・ラインハルトの写真。
 生まれは、1910年2月23日、ベルギーのシャルルロワにあったジプシー・キャラバンの居留地。本名はジャン・バプテスト・ラインハルト。家は芸人一家で、父はヴァイオリン弾き、母は歌手で踊り手でもあり、諸国を回り演奏して生活の糧を得ていたという。1927年幌馬車の火災に巻き込まれ、左半身に火傷を負い、左手の小指と薬指が委縮したままになる。写真を見ても、まがったままの左手の小指と薬指、さらに左手の甲に火傷のあとが見える。映画の中では、ほぼ2本の指で弾いているように演じられていたが、写真を良く見ると左手の親指も使って押弦しているのがわかる。
1950年以降は音楽的インスピレーションを失ったのか、演奏をしなくなり、1953年5月16日に43歳で亡くなっている。

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