昨日録ったビデオをまたまた見てしまいました。
昨日はうるさいなかで見たので、どうも落ち着きませんでしたが、
今日静かにひとりで見たので、またまた鳥肌物の感動でした。
アーサーヘイリーのマネーチェンジゃーズを読みました。
ここ最近、大企業も倒産するという事実は、経験済みであり、
目新しい物はありません。それはそれで当然でこの本は
昭和51年の本です。通貨価値も犯罪捜査も21世紀の今とは
違います。しかし、人と企業と犯罪というからみあいは
まったく今でも通じるものがあり、本自体は面白く読めました。
ロンギヌスの槍を持つと世界を制するという話があります。
ヒトラーがキリストの聖杯やこの槍を求めて軍隊を使ったと
言う話は有名です。今でも世界中の国がドイツにヒトラーが
持ち去った宝を返還するように求めています。もちろんその後
ドイツからロシアに持ち込まれて行方がわからなくなったものとか
宝はどさくさにまぎれてしまったものもあるようです。
ロンギヌスの槍は、今は元の場所に戻されたということですが、
一時はヒトラーが手にして、世界を手中にする一歩手前までは
行って、その後アメリカがその槍を手に入れ、原子力の力を得て
世界の覇権を手中にしたという見方をするトンデモ系の人もいます。
先日、私は明け方の夢で時間の概念として、オブジェクト指向の
時間を考えました。その時にアクセスした時にその時が結実して
現実のシーンとなるというものです。
人は、人類の未来を文明の破滅が訪れるとみな思っているようです。
昔近未来として想像していた世界は、自動車がみな空を飛んでいたり
ロボットが家庭にもいて機械化が日常的になっているというものでした。
現実の世界は、ネット文明や携帯電話の普及やテレビとネットの融合
データー通信の発展などでしょう。そして、世の中は便利になるが
競争が激化して資源を消費し尽くして、環境破壊や核戦争により
文明が失われるという未来が描かれる事が多いようです。
私は、人類の進化や環境に合わせていくことも考えると、エネルギーや
食料は、そんなに困ることはないだろうと予測します。資源はリサイクルや
新素材の開発でこれも今より発展すると思います。ただ加速器など
の発展で基礎科学的な部分で、解明してはいけないものを見つけて
しまい、ヒト科が絶滅するという可能性もなくはないと思います。
よく言う自然にという反対に人工的、人為的、というものがあるのなら
人間が持つ意識と自然の持つ意識の差というのを考える必要がある
のではないでしょうか。
昨日はうるさいなかで見たので、どうも落ち着きませんでしたが、
今日静かにひとりで見たので、またまた鳥肌物の感動でした。
アーサーヘイリーのマネーチェンジゃーズを読みました。
ここ最近、大企業も倒産するという事実は、経験済みであり、
目新しい物はありません。それはそれで当然でこの本は
昭和51年の本です。通貨価値も犯罪捜査も21世紀の今とは
違います。しかし、人と企業と犯罪というからみあいは
まったく今でも通じるものがあり、本自体は面白く読めました。
ロンギヌスの槍を持つと世界を制するという話があります。
ヒトラーがキリストの聖杯やこの槍を求めて軍隊を使ったと
言う話は有名です。今でも世界中の国がドイツにヒトラーが
持ち去った宝を返還するように求めています。もちろんその後
ドイツからロシアに持ち込まれて行方がわからなくなったものとか
宝はどさくさにまぎれてしまったものもあるようです。
ロンギヌスの槍は、今は元の場所に戻されたということですが、
一時はヒトラーが手にして、世界を手中にする一歩手前までは
行って、その後アメリカがその槍を手に入れ、原子力の力を得て
世界の覇権を手中にしたという見方をするトンデモ系の人もいます。
先日、私は明け方の夢で時間の概念として、オブジェクト指向の
時間を考えました。その時にアクセスした時にその時が結実して
現実のシーンとなるというものです。
人は、人類の未来を文明の破滅が訪れるとみな思っているようです。
昔近未来として想像していた世界は、自動車がみな空を飛んでいたり
ロボットが家庭にもいて機械化が日常的になっているというものでした。
現実の世界は、ネット文明や携帯電話の普及やテレビとネットの融合
データー通信の発展などでしょう。そして、世の中は便利になるが
競争が激化して資源を消費し尽くして、環境破壊や核戦争により
文明が失われるという未来が描かれる事が多いようです。
私は、人類の進化や環境に合わせていくことも考えると、エネルギーや
食料は、そんなに困ることはないだろうと予測します。資源はリサイクルや
新素材の開発でこれも今より発展すると思います。ただ加速器など
の発展で基礎科学的な部分で、解明してはいけないものを見つけて
しまい、ヒト科が絶滅するという可能性もなくはないと思います。
よく言う自然にという反対に人工的、人為的、というものがあるのなら
人間が持つ意識と自然の持つ意識の差というのを考える必要がある
のではないでしょうか。