King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

共感と閉塞感

2006年04月07日 23時33分20秒 | ジョギング
15階から小学生を投げ下ろして殺した犯人が出頭して
逮捕されました。ニュースでは変質者が観念して自首して来た
という凶悪犯罪の幕引きを感じさせるものでした。しかし、
週刊誌に出た記事はまた違った面を知らせたものでした。
新聞に出た見出しが読みたいという興味をそそるものでした。
「優良店長がなぜ?」「夫婦でウォーキングの愛妻家」
私も読んでみましたが、彼の人生に転機が訪れて優良な
社会人であり、企業でもその役割をこなしていた人が、
人生の事件により精神を壊してしまう。こんなあらましでした。
実際人生においてもっと強烈な事件や不幸を背負う人は沢山
いるわけで当然それでも人は折れない心を持っているものです。
それをそのように書いてしまうと、人は共感してくれません。
40歳という年齢と健康にも気を使い、周りにも明るく挨拶する
社交的なあの人物が突然殺人魔だったという驚きとなぜという
興味を彼の勤めていたカーテン販売会社とは、その社長とは
妻や不幸な出来事とは、という興味をそそり記事にしています。

同じ年代としてこの時期にいろいろあるのは知っているし
いろいろ体験もしています。人は何度も失敗してそれを繰り返して
折れない心を形成しています。心を折ってしまった人に人は、
何を共感するのか。事件の背景を知って始めて共感を持つのか。
ただの興味で週刊誌の記事を読んだのか。
私はこの記事は、同年代のストレスにさらされ続ける人が
共感を持ってこの記事を読むのだと予測しました。
これを読み同年代の不幸に同情をし共感もし、ただ自分には
折れない心があるのを認めて安堵する。
人は誰でも息が詰まるような閉塞感を感じているのです。
我々の年代の人は、こういう時にはヒーローが現れてその
閉塞感を打ち破ってくれるというお約束がありました。
しかし、現実にはヒーローはいない、現れないのです。
年々息が詰まるような出来事や環境にさらされるのです。
このままこの息苦しさを受け入れるのか、打ち壊して生きて
いくのか。その違いです。

先週17分台で折り返しても34分台が出せなかったのですが、
6日の夜は久々に34分台を出しました。
往路は17分54秒とここであきらめてしまうのが先週のパターン
だったと思います。しかし、こんな記事を読んだり、息苦しい
事件を思い出しているとやってやろうという気持ちがふつふつと
湧き上がってきます。新潟から帰ってきたら、桜が満開になって
いて新しい季節という感じに満ちています。桜が咲いても
うら寂しい感じに満ちています。そんな華々しい夜に、ちょっと
いい気分でゴールできました。復路は16分台でゴールです。
人生の陥穽なんていつ訪れるのか、どこに潜んでいるか
解りません。それでも生きていかないといけないと心に留めて
お風呂に入りました。
コメント
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