King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

天国の本屋

2006年04月22日 01時30分15秒 | 日々のこと
最近この手のあの世に行ってしまったとか、人がよみがえったとか
そんな超常現象の物語が大流行です。その手のもので子供だまし
というのがおおかたのストーリーですが、日本人はよみがえったり
魂が実在したりするものが大好きです。

深く考えもせず、時間とか世の中を超越して物語が成立する
ストーリーを許せるか、柔軟に理解できるかという問題と、宗教的に
どこまで整理するかという問題が出てきます。つまりは、当たり障りの
ないラブストーリーに落ち着いたり、人を全て愛せよという一般的な
テーゼに終わるのです。

もうそういった底が見えているので、この天国の本屋というそれこそ
そういった物語は、もちろん見る必要もない邦画のひとつでした。
しかし、NHKだし、エンドロールまで流すそのしっかりした放送態度と
後は音楽で最後まで見てしまいました。魂のリハビリをしてくれると
言うことで見た人も癒されるということなんでしょうが、私はこの映画の
ロケ地が気になりました。まるで東南アジアのような何もない風景や
寂れた街並みはどこなのか、何時代も昔の街を再現したような
しっとりとした感じとどうしようもなく寂れて、それでもなんとなく懐かしい
そんな風景ばかりです。

花火は予想通り、CGなのであまりにうそ臭く、ひとりで上げられるものでも
ないだろうといらない突込みをしてしまいます。物語上やはり、最後
上がるだろうなあという予想はしましたが、現実問題として、未完の
組曲が完成して流れ、上がらない花火がその時に見られたらどんなに
すばらしいか。それは何を意味するのか。普通の人間には理解できない
でしょう。つまりは起きてもらっても困る事件です。

実際には、努力しても報われなかったり、やりすぎて失敗したり
気持ちを告白しても受け入れてもらえなかったりというつらい現実の
方が日常にはあふれているのです。それを癒すのにこんだけ破天荒なら
結構いいんじゃないというのがこの映画でしょう。つまり無責任です。
それをどこまで許せて見れるか、その人によるでしょうね。
私は、主人公がこの前見た映画の人だったので、ついつい見てしまい
ましたが、日本映画もこんなのばかりでという気も強くします。

明日は選挙なので早起きしなくちゃ。
コメント
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