King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

中尊寺金色堂と満月は欠けるだけ

2007年08月27日 23時20分22秒 | 日々のこと
今日は色々物件を見て周りました。
ご自分の設計でこだわりの施設を年代順にみて
色々お話を聞きました。
ところで私はこの手のシュチェーションで、特に持ち主に
こだわりがあり、すごく意匠を凝らして自慢の物件を見るという
のが苦手です。
というのは、私は最高のものも最低のもの知っていますから、
どんなこだわりでどう建てたと聞いても、坪単価で見てしまい、
持ち主や施主の思い入れやこだわりなんて数値化できないからです。

それに大概の場合、持ち主が自慢するほど建築程度というのが
良くない事がほとんどで、業者に騙されて高い金を掛けたんだねと
いうものばかりです。庭なんかでもそうです。いくらかけた庭ですと
いわれてもその物件の評価を上げるものではないのです。
中古の一戸建てなんかだといくら完成度の高い庭でも物件価格に
含まないことや次の人の趣味に合わない事が多く、木や石は撤去
する事が多くあります。そしてかつて数百万の費用をかけた庭も
評価はゼロで後になり、トラブルの元になるだけとなります。

しかし、人は不思議なもので大きな石を庭に置くのが夢だったとか
枯山水とかまめまめしく狭い庭にお金を掛けます。お風呂に古代
杉とかこれまた桶だけで500万とか説明を受ける事があります。

そんなこと同様に、最近テレビで中尊寺金色堂の説明が出ている
事がよくあり、かつてこの地が人口30000人の京に次ぐ第2の都市だった
というのを思い出します。そして、旅番組などでも金色堂の説明が
ありますが、金色堂自体は撮影禁止で他の寺院もかつてのものは
ありませんから、当然昔の復元のCGとか絵とかが出てくるのですが、
かつて勢力を誇った者がみんなそうであるように、城とか寺とか自分の
富と権力を誇示する物を作ります。

それと同時に、富と権力を集めてしまったら後は自分の居宅に
何を求めるかというとこの世の極楽を表現するというのが共通して
いたと思えます。しかし、その権力が富が強ければ強いほど出来上がる
ものが本当に極楽に近いのか、家を金で被ったりするという悪趣味
は歴史では何度か登場し、極楽浄土を建築に取り入れるというのも
共通したものです。そして、その人達がいつまでも先祖代々金ぴかの
家に住み続けるかというとそうではなく、必ず衰退の物語が待っている
のです。

丁度新聞に月食の記事が出ていて、好い事があっても後は欠ける
だけという話が何度も今日の会話で出てきました。その度に金色堂や
金閣銀閣や安土桃山城の事を思いました。イギリスの家が平均寿命
75年でアメリカは68年位らしいです。長いものはもっと長いものや貴族が
まだお城に住んでいたり広大な土地を持ち荘園もあるというところも
あるようです。国が安定していて、建物自体に価値があるという国は
それを元に福祉や介護にもからめた政策ができます。

日本では、安っぽい家をどんどん作ってどんどん売らないと商売に
ならず、長く住んでいても長く持っても誰も得しないので、なかなか
中古市場や建物の質がよくなりません。行政ももともと貧しい人たち
なのでイギリスのような100年型住宅の介護制度など真似しようにも
少子化と高齢化のことで手一杯で住宅からそれらが解決できることに
思い当たりません。

今のように、改革といってただ医療費や福祉の削減だけやっていると
これは、格差の拡大とサービスの低下だけしか残らず、豊かな暮らしなど
望むべくもありません。そして我々も改革と安倍が言ったら増税と
サービスカットなんだとそろそろ気がつくべきです。
コメント
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