今朝の新聞に夏目漱石の記事があり、漱石は
四度京都を訪れていて有名な寺院などは全て
周っている通であるという京都知り尽くしたような
書かれ方をしていました。
私も今までに四回京都には行っています。
京都が好きで何度も通う人はそれこそ毎年
桜や紅葉などで訪れるでしょうから、なんか
四度くらいではと思ってしまいます。
似たようなことで、実は愕然とした記憶が
最近あります。
トルストイの映画で助手に雇われた青年が
戦争と平和は愛読書で何度も読んでいます。
と自己アピールするとトルストイから何回読んだんだ
聞かれ、 一回ですと答えたのです。
お経のように何度も読むというのは実は過去感動して
本を繰り返して読んだという話はよく出てくるものの、
実際繰り返して読んでいるとはいえ回数で考えると
4回も読んでいる本はほとんどないのです。
会話の中に何々が好きで何度も行ったとか、観たとか
読んだというのは実は一回しか経験していないことの
方が多いのです。
秩父の人は新しい店ができるとすぐ一度は行くけど
後はそれきりというのがほとんどで、ひと月もすると
店が無くなっているというのがよくあります。
行った気になっている人もよくいます。
少し愛して、ずっと愛してというのがいいですね。
四度京都を訪れていて有名な寺院などは全て
周っている通であるという京都知り尽くしたような
書かれ方をしていました。
私も今までに四回京都には行っています。
京都が好きで何度も通う人はそれこそ毎年
桜や紅葉などで訪れるでしょうから、なんか
四度くらいではと思ってしまいます。
似たようなことで、実は愕然とした記憶が
最近あります。
トルストイの映画で助手に雇われた青年が
戦争と平和は愛読書で何度も読んでいます。
と自己アピールするとトルストイから何回読んだんだ
聞かれ、 一回ですと答えたのです。
お経のように何度も読むというのは実は過去感動して
本を繰り返して読んだという話はよく出てくるものの、
実際繰り返して読んでいるとはいえ回数で考えると
4回も読んでいる本はほとんどないのです。
会話の中に何々が好きで何度も行ったとか、観たとか
読んだというのは実は一回しか経験していないことの
方が多いのです。
秩父の人は新しい店ができるとすぐ一度は行くけど
後はそれきりというのがほとんどで、ひと月もすると
店が無くなっているというのがよくあります。
行った気になっている人もよくいます。
少し愛して、ずっと愛してというのがいいですね。