King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『ジャックリチャー』みてきた

2016年11月17日 23時32分56秒 | 映画
先週に続いてまたいつものシネコンに映画を見に
行きました。

先週同様、仕事後走り風呂に入り、最終回に行きます。

9時20分からなので三十分前に着き飯を食おうとしたのに
モール内の食事処は終わりテイクアウトのタイ飯という
貧相な感じの食事になってしまいました。

それでもこのトムクルーズの最新作は楽しみにしていたので
気分よくまた長い予告編をみます。

アクション映画でありながらそのアクションに前回のジェイソンボーンも
感じたのですが、新しさと展開の妙がなくなんかマンネリで、もはや
海外を巡ったりして目新しい絵をそろえてもあまり肝心のところはCGという
ことを思うと感動を伴う映像というのもなかなか出会えなくなっていると
いわざわルを得ません。

それに加えて今回の映画は音楽がダサくとても感情移入しずらく
かっこわるいのです。

加えてストーリーも裁かれない悪に対して強固に望むという何の組織にも
属さない正義のアウトローという設定どころがあまり必然性とか正統性と
オチがあまりにありふれたもので期待しただけに少しがっかりな出来でした。

もはや50代のアクションものというのが見どころにおいてやはりやりようが
狭まり似たようなものになっているというのが原因にあるようです。

今回はトムクルーズ最新作ということで前回とは違う大きいスクリーンで
したがなんか画面から漂うのは古さと手垢の付いた感じの物語でその迫力も
いまいちな感じで終始して終わってしまうのでした。


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カルモデミナスの朝ふたたび

2016年11月17日 13時16分28秒 | 珈琲
新豆が続々と届いています。

なかでも今朝は業務用スペシャルティとして入れた
カルモコーヒーを楽しみました。

ブラジルのプレミアム珈琲ということで売り込みがあり、
この珈琲の良さがどれだけ伝わるか、今サントスNO2を
使われている店の方がどんな感想を持ち、より良い味の
物を使う魅力を感じるか見極めねばならないのですが、
果たしてその味はどのように出ているかという試飲を
重ねています。

ふくよかに厚みのあるボディにゆったりと身をゆだねやすい
甘みに包まれ後味の切れもよく、咽喉に残る清涼感という
スペシャルティらしい特徴も持っています。

これはなかなかのできであり、価値です。

ワンランク上の味として導入するもよし、全て之に切り替えて
よしだと思います。

こういう味と反対に強めの珈琲をそろえるのもよいと
色々と提案に厚みが出る豆です。

上質で甘みが強いというこの豆からどんな珈琲店としての
品揃えを展開していくか個性を出して行くのか色々と楽しみ
が増える豆です。
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『華麗なるギャッツビー』また

2016年11月17日 13時07分39秒 | 日々のこと
ちょっとした空白時間にとりだめした映画の中から
『華麗なるギャッツビー』をみました。

ロバートレッドフォードの主演のものです。

フランシスフォードコッポラの演出と当時の主力を
尽くしたロバートレッドフォード絶頂であり、時代も
景気の良かったころの夢も希望もあふれたアメリカが
さらに夢も希望のあった当時を描いた映画です。

なのに、今見るとなんとも貧弱に豪華さのかけらも
力強さも主役の力強さもあまり感じません。

ディカプリオの謎の男で、今一番力があり、人気も
人も集める男といったカリスマ性とその謎が少しづつ
明かされるその演技力と富豪トムと対峙して地が覗く瞬間
とか名場面が対比してみれてどちらがどういいかというのが
よくわかりました。

総じてディカプリオの方がよいと思いますが、それが
ミアファローの魅力とか賞味期限とかカルティエの宝石とか
現代映像の前ではたいしたものではないというのが残念な
ような寂しいような感じです。

この映画の魅力がおとぎ話のような成功と恋のはなしであり、
アメリカ社会の富と力と格差の話でもあり、真実を見抜く目の
話の様でもあります。

それが距離感というニューヨークとロングアイランドの中間には
眼鏡の看板があり、真実を見通すというロゴか象徴的に語られ
登場人物がただの看板よと語るあたりに物語の真実がにじみます。

全体的にディカプリオの方がよいものの、ギャッビー死後の場面
ではレッドフォードの方がよいと思いました。

ディカプリオの方は全体的に過去を暴き立てたり、ギャツビーの
暗黒面を強く描きすぎていてそのための早すぎる死を迎えたと
いう決着なのに対して、死後の父親が出てくるレッドフォード版
では成功して恋もあこがれもつかんだという孤独な死でありながら
それを見ていてくれた友がいたという描き方になっていて見るものを
安心させ多くの見る人の側に立った書き方になっていると思います。

今なお広がる格差とひずみに思い致す時間となりました。
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