King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

瀕死の双六問屋に思う

2018年05月07日 09時51分16秒 | 珈琲

毎年ゴールデンウィークの谷間にNHKは思い出したように

忌野清志郎の過去の番組を放送します。

今年はツールド奥の細道でした。

この番組は初回2002年の放送です。

彼が突如50にしてサイクリングに熱中しだしたのはファンも

知っています。

しかし、その原因となった事件まで詳しく知る人は少なく、

憧れの清志郎が自転車に乗っているのでと自転車を始める

人も多くあらわれました。ライブには彼のデザインのサイクリング

ジャージなども売られていました。

 

彼がその自転車に乗ろうと思ったきっかけをより世間に知らしめたのが

この番組ではないでしょうか。

 

番組中彼の喫煙シーンが流れますが、このサイクリングツアー後益々

自転車熱が高まり、禁煙したといいます。それなのになぜという思いが

自然と湧いては消えるテレビでした。

 

そして毎年思うのは、彼は彼らしく駆け抜けていっただけという

その彼らしい行動の痕跡を懐かしむのも未だに彼の楽曲を愛するのも

ファンですが、やはり大事なのは彼らしさであり、それを感じて

確かに清志郎は清志郎と感じるのがよいのではないでしょうか。

 

先日、車のハードディスクに瀕死の双六問屋のテーマがあるのを

久しぶりに聞きました。

驚いたのはその作詩能力です。

瀕死の双六問屋、おいでよベイベ今夜。

この最後の音を合わせるという当たり前のルールが

ちゃんと採用されている作詞作曲家は日本ではまれです。

漢詩にしろ西欧の詩はこの音を合わせるという仕儀を

重要視しています。つまり詩というのは文字で楽しむための

物でなく、吟じられ音として伝えるものなのです。

 

日本の場合、その音についてリズムに乗りさえすればなんでも

よいかのような曲が多いのに対して、基本の作法と音の大切さを

きっちりと表現した人はまれです。

 

双六問屋というわけのわからないものを出して何を言いたいのか

ととかくとそれを問う人の多いのが世の中です。

曲と同時に発表された本は雑誌のコラムをまとめたもので

曲を聞くといつもの自分は評価されていないという嘆きの

ようにも聞けるし、ロックンローラーという生き様のようにも

聞けます。

 

ファンとしてはおなじみなテーマなわけでああまたやってる

という程度の位置づけの曲でしょう。

 

先日いつもと同様、ゴールデンウィーク前にかぐらに行ったとき、

立ち寄り湯で手にした魚沼の飲食店のガイドマップをみて目を引くもの

がありました。

 

ファンなら直ぐに同じ系統の人かという気になる店名がありました。

それが双六問屋です。

ファンなら曲に瀕死とついているので、そんな名前店名にして

商売としてどうなのとどうしても気になってしまいます。

いつか機会があればスキーの折に寄ってみたいと思います。

ファンとしては瀕死とならずに頑張ってくださいと突っ込まずには

おれない双六問屋さんです。

コメント
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