暖かい日もあり、寒い日もある三月ですが、こんな季節には
割と苦味の珈琲とか甘みに特徴があるものとか飛び切りうまいとか
個性派がよいのです。
ただ、苦いのがいいとか甘いのがいいと指摘する人は稀で、試飲して気に入って
買われることが多いのです。どんなのが合いそうなのかそれは会話のうちに瞬時に判断して
提供します。
そんな見極めも心遣いのうちなのです。
先日行われた秩父市と豊島区の交流でのバスケットの試合ですが、これは昔から行われていて
試合の後の懇親会で解ったのですが、当事者の試合参加者はなぜバスケットの試合を秩父市の人と
豊島の人がやっているのかと知る人はなく、昔からバスケットが盛んな地域として交流が始まったと
思っている人が大半なので驚きました。
そもそもの交流は秩父氏と豊島氏という中世期の話にさかのぼるのです。
秩父は日本書紀などの古代文献にもしばしば登場する時代の要衝で日本の成り立ちにも登場するのです。
よく歴史の古い町と言われて知る人もいますが、そんな歴史の痕跡は至る所にあり、日本武尊に
纏わる話から和同開珎など日本国の発展に寄与する遺跡なども残ります。江戸という名前の由来になった
江戸氏も秩父とかかわりが深く、江戸の成り立ちにも重要な役割を果たしてきたのです。
そんなことを踏まえ豊島区と秩父市は姉妹都市として古くから色々と交流を深め、文化スポーツから
行政的にもいろいろとやっているのです。
そんな事を考えると今のように道路や情報網がない時代には、ものの通る道と情報などが行きかう
道路と山と谷と川というのが重要な道筋としてそのターミナル的な土地とはその基地として栄え
山は資源の宝庫として栄えたという歴史が伺えます。やがて農業という産業を迎えるとそれも
変わりその農産物を運ぶ道がもっぱらとなりかつての情報や林間物資を運ぶ道とか川とかの役割も
農産物物資を運ぶものと変わっていったのでしょう。
今では鉄道や飛行機、高速道路といくつものルートができて古い道などを顧みる人などもおらず
地方の衰退に拍車がかかる状態となり、そこでなぜかつてはそんな内陸の山間地が要衝として
歴史に登場し活躍していたのか考えることがまた一つのヒントとなり新たな展開もありそうです。
そんな意味でもなんで交流しているのかは重要だと思います。
この春の切り替わりに何が好まれるのかを知るのもそんな人の根本を知ることから導き出せる
技かもしれません。その人が今どんな気分でどんな味の珈琲を望むのか、それは珈琲を知り
人が望むものを察知して試飲していただくライブ感ある作業と人間臭さの極地です。人のかかわりとは
そんな事でしょう。そんな事からほっとする心も生まれると感じます。