King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

モカマタリの根源的な味に

2019年03月22日 09時26分42秒 | 珈琲

今年は庭木をかなり伐採してしまい、庭に訪れる鳥の様子も変わって

います。今までだと杏の木に日々蕾や新芽をついばみに来る鳥が多く、

それに虫たちも沢山木に居てそれを目当ての鳥もにぎやかにやってきました。

トトロの腹の模様のように逆三角の模様に覆われた鳥が印象深く、ツグミの

ようであり、いつも来るヒヨドリのようでもありこれはいつも見極めに至っていません。

 

その他いつもより大型の鳥も来てこれは春で旅立つほんのお立ち寄り的な来訪だったり、

かつて大きな鷺が屋根に止まっていたこともあり、庭に居ながらにしてバードウオッチングは

なかなか楽しいのです。

 

昨日の夜は昼間の暖かさを受け、陽が落ちても今までの辛いランニングからこうも

寒さがないだけで違うのかというのを実感しました。

今までの辛い思いで走っていたのは何のためだったのかと思わず問うてしまうこの違いですが、

季節とはじわじわと訪れるのでなくいつも急な変化とまた逆戻りとこちらの準備を試すかのような

いつも試練の連続です。それに加えて最近では災害レベルの気候変化が多く、多く雨が降ったり

いつもは来ないコースで台風が来たりと厳しい気候が常態化しています。

 

オリンピックが近づくにつれ矢鱈復興だとか言われますが、税金の投入のしどころは従来通りで

どこが復興なのかという現地の映像にいつも心寒いものを感じます。

こういう流れの中で考えるのは、先日の運び屋のような大衆を意識した造りです。ジェームズスチュアートには

似てないのに劇中何回か似てると言われたりマネしてると言われたりするので非常に違和感を持ってそのセリフを

聞いたので終わってからも記憶に残りました。さらに平気で差別用語を使う主人公にあたかもそんなことは日常的に

アメリカではあることで別にそれは争いになったり、格差なり人種間の隔絶が今も残るというものではないという

態度だったことです。これは黒人を前に二ぐロと平気で呼んだり、明らかに反発を感じてそう呼ばないでくれと

いう黒人と見ている方がハラハラする緊張する場面なのに当人はまるで気にせず脅威にすら感じてないもともと

そんなことは何でもないという感じです。バイクに乗ったごつい女の人が私たちはダイクスだというシーンも

そういうこともあるさという別にどうという事もないという態度で扱うのですが、これは手法としては

トランプが当選したのと同じで今まで忘れ去られた世代、時代から零れ落ちた人たちにも忘れてませんよという

態度で接する大衆に応えた姿ですが、これは人類が得た進歩とか発展に後ろ向きでよいことなのでしょうか。

 

こういう誰もが気にせず起きる変化に唯一触れたのがEーテレの大衆の反逆オルティガの回です。

 

教養番組の良心のような感じでこういう事だよと日頃感じる疑問に答えてくれたかのようでした。

 

私たちの今の世があるのも戦争や災害で亡くなった人たちの上にあるもので決してそういう過去の教訓は

忘れてはならないもので、民主主義という世論の数の暴力のような世界でもその物言わない人達の一票も

数に入れなくてはならないというものです。

 

そんなこと考えたのもお彼岸という事で秩父に戻ってきた人の来店を受け改めて今日はそういう日かと

思い至ったことからです。そんな日に飲む珈琲は根元的な味の珈琲です。

 

そもそも珈琲の起源はエチオピアとイエメンとあり、どちらも文明と宗教の起源と結びついています。

 

両地域の珈琲を知ればその古い記憶も蘇るというもので、珈琲とはという事もおのずと蘇ります。

 

この味を語るのに古い教室で嗅いだ机の中だったり、筆箱の匂いだったりという懐かしくも忘れ難い

者たちです。そして、香りと味が深く思索の森へいざないます。まずこの香りが一口目の苦みと二口目に

残る甘みと重なれば重なるほど強い苦味は薄くなり、甘みが印象に積み重なり、その両方がうまみという

形で結実していきます。

 

その見事の様はオーケストラのコンチェルトのようであり、スバ抜けた技量のカデンツァとそれに対峙した

オーケストラがまたその度量を包み込むように応え受け止め見事に自らも主張しとひとつの物語に突き進むかの

ように物語が語られていくかのようです。

 

これこそがこの珈琲の持つ持ち味にして醍醐味と今日はこれを試飲していただき秩父のひと時もより印象深く

思われたのではないかと思うのでした。

 

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