空き時間に見る映画と海外ドラマも三月末の突然のD-lifeの終了でこれから
どうなるのかという感じでした。つまり、そもそももうBSは見なくていいのではという
感じすらしていたのです。というのは昨年のNBAが楽天によりNHKから放送がなくなり、
BSにもう見たいものはないのではと思えるのでした。でも、BS12とかスターチャンネルで
見る映画とかたまに印象に残るものもあり、さらに最近4Kテレビを入れたうちのようすを
みるとどんどんチャンネル数ばかり増えてしかし見たいものは有料コンテンツにあるかの
ようなそんな印象を与えます。
かつてのWOWOWより今の有料コンテンツもネット配信に移ってきていてその料金も月いくらと
実に安くなっています。つまりはNHKで受信料を払うよりネットだけという人も増えているのでは
ないかと感じます。
つまりそれだけ日本のテレビ放送は地上波も含め衛星放送もろくな番組はなく、スポーツ中継も
もはやわざわざ見たいものもないといった感じです。
それに世は新型コロナウィルスに侵されスポーツどころか外出もするなという息詰まる世界に
なったのですから、かつて茶の間というのがあり、家族が揃ってみるドラマとか毎週楽しみにする
番組があった頃がなつかしいとおもったりします。
そんな中みた映画の感想を書いておかないとついこのふさぎ込んだ世の中の中どうしていたか
あとで気になったときにあの時見た映画でどんなことを考えたというのが非常に重要な気がして
ここに書き残すことにしました。
昨日見た『500ページの夢の束』という映画にダコタ・ファニングが出ていました。天才子役と
して人気を得た彼女が演じた新境地というようなこの映画ですが、テーマになっている自閉症児の
行動を描くという最近の海外ドラマとか映画とかに多いものなのでつい色々な海外ドラマのテーマと
交錯してD-lifeのこととかグッドドクターのこととかついつながっていろいろな想念の渦となって
くのですが、これがひとつ『タリーと私の秘密の時間』ともつながっていくのでした。
これはシャリーズ・セロンが体重を増やして挑んだ妊婦役で二人の子持ちでさらに三人を出産する
主婦の役で、しかもその子供の一人が自閉症というそんな行き詰まり的な状況でどんなことを描き
たいのかと思ったらこれは妄想なのです。こんな行き詰まりのところに現れた今どきの若いベビー
シッターがとてもできる子で容姿や振る舞いとは裏腹に仕事は完璧という仕事ぶりで朝になると
いなくなっていて、それでも光る仕事の後が残っているという状況にさて物語はどう進むのかと
引き込まれていくのですが、見終わって果てこれってこれでいいんだよなあとどうしても気になる
そんな内容で、ネットでネタバレの感想を見てもずばりとこうだというものがなく、私が見たように
見た人は少なく、旦那がくそだとか育児は大変だとか主婦を応援する声ばかりなのです。私がみる
ところこれはテーマとしては追い詰められた女の人の精神状況であり、精神の力とは想像を絶する
力や効果を出したりするというところだと思うのですが、つまりこれを見てもそのものずばりの映像
より自身の脳内変換が必要であり、それを楽しむのも計算されているところなどが評価されないと
すごくつまらない映画で済んでしまうのです。だから表面的なシャリーズ・セロンのおばさん体形とか
それをさらす意味とか映画を見て妄想する自分が現れないとつまらないことになってしまうと気が付く
ことがこの映画のテーマだと思うのです。
するとダコタ・ファニングの天才子役で今更自閉症児の演技などされてもというのも実はその見る側が
する妄想につながり、最近のD-lefiで流れたグッドドクターとかビッグバンセオリーとかを引き合いに
出して妄想することがないとただの時間消費になり、彼女たちが過去の栄光に生きることなくまた
新たな自分を演じ、それが過去のすばらしさを輝かせるのかもうこんな役しかできないとみるのか
見る人が創造するまた違う映像体験ということでみるとぞくぞくとした想像の連続になっていくのです。
その点日本のドラマとか映画はよくその規模とか予算の低さで太刀打ちできないと逃げを打って
いますが、そもそもの発想が違うのではないかと感じます。黒澤映画が世界を魅了したようになにも
ふんだんな予算がなくても生み出されていた時代はあったのです。そんなことをこの二本の映画から
思うのでした。