King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

当たり前のこと

2020年04月10日 12時37分19秒 | 日々のこと

先月末に家人が臥せってしまいしばらく自炊生活になりました。

忙しい昼間はパンにしようと食パンの上に生ハムを乗せせっかくだから

チーズを乗せてピザ味にしようとサルサソースを探しました。

 

すると近くのスーパーに前は売っていたサルサソースはなく、そもそも

生ハムでなくベーコンを乗せるはずが前は売っていた保存料や発色剤不使用の

ものが全く売ってなかったため生ハムで代用したのです。サルサソースも

ないのでピザソースなるものを買いました。

 

トマトソースなどは色々と売っているのですが、どこでどう作っているのか不明なもの

でとても安全とはいいがたい感じです。

 

さて、上記のインスタントピザトーストですがなんとも味気ないものとなったのです。

 

昨日これを改善すべく毎日食べても飽きないピザトーストにするにはと考えてみたら

意外な解決方法を見つけました。昨日は別のスーパーで無添加ベーコンを買い、さらに

とろけるチーズもモッツァレラチーズなどナチュラル系にしました。さて、これだけで

改善した気でいましたが、何か足りないと思いたしたものはピーマンと玉ねぎだけです。

 

たったそれだけでなんともまともな味に変わったのです。

 

その玉ねぎを薄く切るために鎌歯の薄刃包丁を取り出してピーマン玉ねぎを薄く切り

久しぶりにその包丁の刃の滑りを楽しみ、その切れ味の良さに気持ちをよくして

できたトーストもイメージ通りの味になっていました。

 

たった二つのあたりまえの野菜を加えただけでこうも変わるのかという変化です。

 

当たり前すぎてわざわざこうしなくてはと取り上げることもばからしい出来事です。

 

昔、ある会社で同僚の人が寿司屋のカウンターで刺身を食う意味が解らないと平然と

いった人がいてああそうなんだと思いましたが、世の中プロの包丁の生み出す味を知らない人も

いるのです。

 

プロの料理人が銅の鍋を使う意味や幾種類もの包丁をそろえるのも厚いやなぎのまな板を

注文するのもすべて意味があるのにそれすら知らず、寿司屋のカウンターに座るよりスーパーの

刺身に満足してしまう感性は今のコンビニ世代の人の味の感覚にも通じるものがあるのかも

しれません。

 

秩父ではすっかりなじみがなくなった仕出し料理なども今でも京都ではあたりまえで

人が来ればなじみの店の仕出し料理が供されます。

 

家庭料理には家庭料理の良さがあり、プロにはプロの技と仕入れの妙もありうまく両方

使い分けてこそです。

 

昨日民泊経営の方と話をして思ったのですが、民泊だから普通の旅館のような料金では

いけないということはないのではないかということです。

 

私の家に泊めるのだからこれだけほしいと要求したり、特異な体験を売りにしたり

特別な部屋や料理を出したりしていいはずです。

 

何も安いだけがよいことかということです。

 

もっと求められるものは多岐に分かれていいはずです。

 

でも当たり前のことは当たり前でちゃんとしたサービスは解っている人と

つながりたいという最近の欲求です。ピザはどこでも食べられますが、

昨日食べたピザトースト以下のものさらに言えば、冷凍チルドピザ以下の

店もすごくたくさんあるのです。

 

安全な食品を使い当たり前の道具で当たり前に調理するというこんな簡単なことさえ

できていない店もたくさんあります。味がいいとか悪いとかの前のことですが、実は

これが一番大事なのではないでしょうか。

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季節のブレンド『春光』に

2020年04月10日 11時39分37秒 | 珈琲

神社も閉鎖というのはこれは珍しいことかもしれません。

こんな時だからこそ神頼みと人は思うでしょうし、超自然なものはウィルスにも超然と

していそうですが、実は人間が運営している以上他所から来てほしくないということ

なんでしょうね。ご丁寧にNHKのテレビが知らずに訪れた人にインタビューなどして

いました。

 

緊急事態宣言がでてからまったく暇で昨日は雨まで降り出し、夜のランニングすら

出かける気になれませんでした。

 

まあひと月に一度位走らない日があってもいいかと。

 

さて、季節のブレンドはどんな感じですかという質問を受けますが、

このイメージを伝えても普段から季節を感じたり、その移り変わりに

心打たれたり、季節を思う心がないとなかなかイメージも伝わらない

ことがあります。

 

そもそも季節と珈琲というのも理解されにくい人もいて、昔の人は

月を見て恋心を現わしたりというのも国語の授業で教わっているはずです。

という話をこの間したところ、そんなこと話す先生はいませんよと現職の

先生がいっていました。

 

日本人の心とか語ることもなく、受験の問題を解くような授業ばかりなのだと

本当毎日の学校生活もさぞ面白くないことでしょう。

 

近所の公園でふと土手をみると白いタンポポが咲いていました。

 

在来種のタンポポは白くて花が一重です。これは純潔な日本タンポポ

ではないかもしれないですが、なぜか妙に久しぶりに見た感じにとらわれ

それなのに結構辺りに白い花が多く見えられおやという感じでした。

すると土筆などもたくさんあり摘み草の季節だなと思います。

 

今でも天然の草を摘んでお客様に提供するような店が秩父にあるのか不明

ですが、ヨモギや桜の葉などはどのように調達しているのでしょうか。

そんな季節に現れる草や花が一斉に芽吹くのも太陽のひかりであり、それに

思いをはせていただくためにイメージしてブレンドしたのが春光です。

 

酸味と香りに特徴を持たせ、特に鮮烈さと自然に受けた風にも思いが行く

そんな設計になっています。

 

京都の陶芸家には桜にこだわり桜の灰だけで作った釉薬を使い陶作する作家が

いるそうですが、何かの思いもこだわりも科学的には何の意味がないかもしれませんが

実際こだわってみないとわからないこともあるのは事実です。

 

その結果についてはそれぞれで責任を負うことそれが解っていてできることです。

最近のニュースを聞くと保証するとか補助金を用意するとか日銀の対応とか

今やるべきことかというの連続です。まあ言っているだけなのかもしれませんが、

全ての人を救うことも全ての人に援助することも不可能です。

 

あるタクシーが従業員を全員解雇したというニュースがありましたが、これは

わずかな手当てで飼い殺しにするより、失業手当をもらえるように解雇して

収まったら再雇用するという双方にとっていいことなのかもしれません。

潰れてしまうものに補助をするよりそこから這い上がる人に手を差し伸べる

方が正しい道という気もします。

 

 

 

 

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