この実は何だろう?で始まった今日のお散歩。(^_^;)
名も知らぬ草を撮ってみました。↑
クローバーの葉の上に水滴が乗ってる。
菜の花に似てるような黄色い花。
やっぱりチョウチョは写真でもじっと見ているのが苦手・・・・><
飛んでいるチョウチョは慣れたけど。。。体が昆虫ぽくて、ちょっとグロテスク。
花を上から撮るのが最近のお気に入りだよ。^^この花なんだろう?
まだ散歩は始まったばかりですが・・・空がだんだん暗くなってきそうな予感・・・(-"-)
あ!!布団干してきちゃった!@@
最近こういう後先考えないで無意識に取る行動が多いです。「外が晴れてる」とちゃんと脳みそに届かないうちから無意識に布団を表に出してしまいました。「もうしばらく干してないから(花粉もあり)、晴れたら干したいな」とずっと思っていたので、天気も見ないで外に出してしまったんです。
スマホを置いてきちゃったからkekeにも連絡取れないし・・・
これで帰ることにしました。
何か家でゆっくりしていると、この先どういう時代が来るのだろう?と心配になります。
考えても仕方ないし、1人でどうすることもできないし、そもそも何の情報が正しいのかすらよく分からないから、その日その日を無理の無いように、心地よく過ごそうと思うのだけど・・・・
そう言えばこの前、マドモアゼル・愛さんの動画で、「多数決が正しいとは限らない」「今までは多数決が正しいと思い込まされていた時代」「多数決が正しいと思い込まされて、大衆をコントロールするように動かすことで、人々を(誤った方向へも)持っていく事が可能になる」という話があって、たしかに・・・と思った。
小学校の頃から、班長とか劇の配役とか、「多数決」で決めていたから、何となく多数決が正しいと思っていたけれど、他に決め方が無いからそう決めているだけで、正しいかどうかは後にならないと分からない。日本の政治を見ていればよく分かる。
みんな選挙で選ばれた人ばかりなのに、どうして国民の意図とは違う方向に国が進むのだろう。
結局誰がなっても同じことしかしないことを、「多数決」という形で、あたかも自分が選んだと思い込まされているだけ。そういう価値観を小学校時代から身につけさせられていただけ。
運動が苦手で怖かったから(鉄棒やマット)体育も嫌いだった。
少食で好き嫌いが多かったから給食の時間も嫌いだった。
それであの「多数決」も嫌いだった。
これ以上いじめられたくないから、私は息を潜めて、目立たないようになった。もうそこには存在しないかのように薄くなることを望んだ。班長を決めるのも、劇の配役を決めるのも、多数決。
自分の意思は関係なかった。人が多く挙げている方にこっそり手を挙げた。
6年間全てにおいてそうだった。
そもそも子供なんて、人が多く手を挙げていそうな方に挙げる。そんなものだ。
そこに大した理由も無い。
多数決と聞いてふと思い出してしまった。
という考えなんでしょうね。
少数の人の意見を切り捨てて・・・
多数決取る前には、いっぱい議論して 小数をより少数に 多数派を切り崩して・・・
とかの段階が有るんでしょうが・・・
今の政治って 個人の意見じゃなくて党の意見のみを重視するので、その重要な過程が、意味の無いモノになっちゃってますよね。
かと言って 多数決取らなければ 何も決まらないシステムになってますし・・・
難しいですよね。。。
https://nezu3344.com/blog-entry-4212.html
多数決で決めることは責任が伴わない=それの結果、不利益なことが起こっても誰も責任を取らないということだそうです。
ここには書いていなかったけれど、どこかで昔の日本の決め方は、地位の低い人から意見を述べて、最後にみんなの意見を聞いて長老が意見を出す(そこでみんなが納得する)という形だったと思います。
それでもしも重大な悪い影響が出た場合は、そのtopが責任を取って切腹するというのが日本のやり方だったと思うんです。だから重大な方向性を決める時にみんなが真剣に考えたと思うんですよね。
多数決だと、どうせ多い方に決まるからいいやって選挙も行かない人が多い。私も行っても「どうせ自分1人の投票で何が変わるわけない」って思います。だから無責任になるんですよね。
不正選挙をしたら結果も替えられてしまったり。
小学校の頃から、何でも多数決でそうやって決めるのが正しいと思わされてきたのも、戦後のアメリカの教育だったのかも・・・・