これは2011年の箱根駅伝で、早稲田に21秒差で涙を呑んだ東洋大学が、雪辱を期するために誓った合言葉です。10区約200kmを走る中での21秒差ですから、一人にすればたった2秒です。「たった僅かの差が勝負を分ける」ということを胸に刻み込むための言葉です。
その言葉通り、翌年は区間新を出した柏原だけではなく、他に5人も区間賞を獲り、史上最速のタイムを叩き出して、完全優勝をしました。しかし、その翌年の昨年は柏原が抜け、5区を服部翔太で制した日体大に優勝をさらわれました。
そこで、今回は原点に帰る意味で、「1秒を削り出せ!」を再び合言葉としたそうです。往路ではWエースをつぎ込んで駒沢大に59秒の差を付けました。5区を走ったエース設楽啓太は、これまでエース区間の2区を走ってきたため区間賞はありませんでした。他の区間ならとっくに区間賞をとっておかしくありません。今回も向いているとはともて思えない山登りの5区でしたが、昨年区間賞の日体大・服部に僅か1秒差で初の区間賞を獲得しました。まさに「1秒を削り出しました」。復路でもこの差を縮められないように、一人ひとりがまさに「1秒を削り出す」気迫の走りで、最終的には4分34秒もの差を付けて完全優勝しました。7区の1年生服部弾馬が左腕に「1秒を削り出せ!」と書いてあるのを見て、8区以降の選手も皆、腕にその言葉を刻んでいましたが、走りもその言葉通り、髙久、上村、大津とみな前へ前へという走りでした。
しかし、この「1秒を削り出せ!」というのは、噛みしめれば噛みしめるほど味が出る良い言葉ですね。
時間というのは普通は「過ぎ去る」ものです。「止める」ことも出来なければ、ましてや「作り出す」ことは出来ません。しかし、「過ぎ去る」ものだと考えれば受け身になりますが、「作り出す」と言えば、主体的な姿勢となり、誰にも平等なはずの時間の密度が濃くなるような感じがします。
さらに「削り出す」と言うと一層積極的な感じがして、駅伝にふさわしい言葉に聞こえます。一歩でも二歩でも前へ前へと、足を進めることで、「自分の前に埋もれている見えない時間が削り出されてくる」。そんなイメージです。「1秒でも速く走れ」と言われるよりも、はるかに豊かなイメージの言葉です。
「1秒でも速く走った」選手は、「俺は速く走った」と一人称で終わってしまいますが、「1秒を削り出した」選手は、「この1秒を仲間に渡す」となりますし、渡された仲間も「この1秒を失わず、さらに1秒を削り出して仲間につなぐ」と襷のように思いがつながっていきます。
1区の3位から1つ1つ順位をあげ、3区からは時に詰められたもののずっと1位を守り、すべての選手が自分なりの「1秒を削り出した」東洋大の見事な走りの原動力となった素晴らしい言葉だと思います。
散ドラ諸君も何とか1秒を削り出せ!