ひげ爺のお産・子育てご意見番

子どもは育つ力を持って生まれてきますが
親に子育てする力が減っています。
親育て支援の中で感じたことを書いています。

子どもは宝、第一回

2009年02月27日 | インポート
毎日ブログに書き込んでいると、時にそれが「快感」であったり、時には「苦痛」であったりします。
耳を澄まし、心を冷静にしていると、どこからともなく聞こえてくれ声に、誘われて書き込みます。
しかし、このところの転居の準備や報告書などの作成で心身共に疲弊していました。
唯一の救いは、篠山移住でした。
そこに行けば、癒されると思いそれを救いにしていました。
しかし、いざ移住が決まりいよいよ生活するとなると「不安」がよぎります。
里山での隠遁生活ができるのだろうか?
といった不安や期待が、怒濤のように押し寄せてきます。

そんな状態で書くことが出来なくなり、大阪府富田林市に住む、お母さんに、「子宝」について書いてと、お願いをしました。
素晴らしい文章を書いていただきましたので連続して紹介します。
長文ですので3回に分けます。
4人の子どものお母さんです。
その子育ては、悲喜こもごもです。
************
依頼されていた「子宝」原稿できました。

今回、自分を見つめなおす機会を与えて頂きありがとうございます。

毎日、4人の子育て・家事に追われ、「あ~今日も1日無事に終わった~感謝~おやすみ~」と一日が終わり、
又あわただしい朝の繰り返しの日々で、なかなか過去を振り返ったり、家族のこと、自分のことをゆっくり考える時間の余裕がありませんでした。

新井さんの手助けに少しでもなれるのなら・・・と書き始めた原稿でしたが、気づけばほとんど自分自身の懺悔、反省文のような内容になっていました。
でも、今の私にとってはとても必要なことでした。又もや新井さんに借りができてしまいました(笑)。
いつの日か必ずご恩返ししますので、長生きして下さいね~!

そんな訳で適当にスルーして読んで下さいね~!!!全文読むと疲れますので・・・
「子宝」に関する内容は、最初と最後にほんの少しだけです。スミマセン・・・

「子宝」~子どもって本当に宝???
私の一日は3つのお弁当づくりから始まります。
中学生のお姉ちゃん・幼稚園の娘・ママとお留守番の弟(2歳)用の3つです。
炊き立てのご飯をさましながら、超簡単おかずをササッと作ります。
その合間に子ども達を起こし行きます。
朝食の準備ができた頃、小4の息子を筆頭に、、ふたり、3人、4人と順番に食卓に集まってきます。
そう、我が家には4人の子どもがいるのです。
そしてここからが、朝の本格的な戦闘の幕開けとなるのです。

「この卵焼きも~らった!」 「あ~~!!お兄ちゃんずるい~(泣)」とおかずの取り合いから始まり、
「はよ、出て~!洩れる~~!!」 「さっさと代わって~や~」 トイレ&洗面所争奪戦に続き、
「宿題プリントどっかいった~どうしよう~」  「消しゴムない~」と紛失物探し合戦と、毎日毎日飽きもせず
あわただしい朝の戦闘は繰り返されます。

その間、やりたい放題2歳児は食器でままごと遊びをしたり、脱水終わったままの洗濯物と戯れたり、「ママ~!いいウンチ出た~」と大騒ぎ。
「あ~~もう自分のことは自分でして~!ママの体はひとつなのよ~(怒)」

子どもは宝というけれど、我が家の子供たちは本当に宝???なのでしょうか~
子ども4人に囲まれていると、こんなに躍動的で刺激的(笑)な朝が毎日繰り返されます。

こんな風に子だくさんママになるとは、新婚当時の初々しい私は知る由もありませんでした。  
当時の私は、リッチで優雅でおしゃれな暮らしに憧れていました。
坂道の多い神戸から、大阪に嫁いできたときは自転車の前と後に子供を乗せ、籠にスーパーの袋を入れてさっそうと走る
たくましいおばちゃんの姿に衝撃を覚えたものです。
「わ~大変そう・・・私には無理。あんな風にはなりたくないわ・・・」とさえ思いました。

実は妊娠するまでの私は、なぜか赤ちゃんや小さな子が苦手で、子どもはそんな私があやしたところで、笑いもなつきもするはずもなく、
ますます親戚や近所の乳幼児を遠ざけていました。

ところが不思議なもので、赤ちゃんを身籠り、お腹の中で日々成長する子どもの命の神秘さ・力強さを感じる度に子どもに対する苦手意識は遠のいていきました。
お腹の中で育まれている赤ちゃんがむしょうにかわいくて、幸せな気持ちいっぱいの妊婦生活でした。
小さな存在の赤ちゃんが、私の中にある「母性」というスイッチを入れてくれたのだと思います。

妊娠月数を重ねる度に、妊娠・出産に関する本を読む機会が増えていきました。
これまでの人生の中で毎日こんなに本を読みあさったことがあっただろうか・・・というほどの冊数を制覇しました。
今思えば、あまりにも無知だった私にお腹の中の赤ちゃんが「ママになる為の知識」を学ぶ機会を与えてくれていた気がします。
その中で、それまで何の疑問もなく通っていた総合病院での出産以外の方法があることを知りました。
「自然なお産」に関する本を読み重ねるうちに、病院での流れ作業的な診察、不必要な投薬や医療行為に疑問を抱き始めました。
同時に自宅出産、助産院での親身的な温かみのあるお産に魅かれていきました。

そして、妊娠9か月の時、偶然知り合った同じ出身地の同じ月予定日の人から半井助産院を教えてもらいました。
その一週間後、初めて半井助産院の門をくぐりました。初めてお会いする先生は凛とした厳しさの中、
1時間かけて残りの妊娠生活の過ごし方、母乳の大切さ、母になる心構えを教えてくださる心優しい方でした。
すぐに私の「お産の場」はここだ・・・と実感しました。14年たった今でも先生とのお付き合いは続いています。私の第2の実家、心のふるさとです。

すべての出会いが偶然のようであり必然だったのだと思います。お腹の赤ちゃんがそう導いてくれたのしょうか・・・

2番目の子どもの時も不思議なことは多々ありました。
妊娠7か月の時、闘病中だった実家の父が他界したのですが、普段張らないお腹が急に張り、「もしや・・・」と思ったその時間が
後でかかってきた電話で最期の時だと知りました。
父が居なくなり、母も寂しいだろうということでそれまで通っていた中半助産院から実家の近くのマナ助産院でお産することを
最終的に決めたのも10か月に入ってからでした。
そんな出産間際の私を、永原さんは笑顔で温かく迎え入れて、すべてを包み込んでくれる方でした。
マナ助産院はエンジェルたちが飛び交いたわむれているいるような、優しい気持ちになれる心地いい空間でた。
11年経った今でも心身ともにピンチの時は逃げ込み助けてもらっています。
この時も、お腹の子が一人ぼっちのおばあちゃんを思いやり、自分の生れ出る場所をここに選んだ・・・と不思議な気持ちになりました。

弟が誕生し、これまで親の愛情を独り占めしてきた娘に変化がおとずれました。同時に私にも変化をもたらしました。
それまでの私は「子育てって、ひょっとして私の天職かも~」と思うほど、子どもの日々の成長が驚きと喜びの連続で、パパと娘との生活を楽しんでいました。
ところが、子どもがふたりになったとたんこれまでのペースがみごとに崩れていくのです。
どうしても上の子に我慢させる機会が増えていきます。
当然といいば、当然な事なのですが、当時は上の子が寂しそうにしている姿をみると切ない気持になったりしました。
そんな反面、忙しさからついキツイ口調で対応してしまい「さっきのママ怖かった~(泣)」と娘に言われたときはドキッとしました。
これまで、たいして叱ることもなく育ってきた娘にとっては、きっと恐怖だったのでしょう・・・
「ごめんな~~」と娘を抱きよせ私も泣きました。その時から気持ちが軽くなりました。
まじめ・完璧主義・几帳面な性格が日々の生活を辛くしんどいものにしてしまっていました。
「なるようになるわ~~・大丈夫、大丈夫~」という、プチぐうたら生活のきっかけを作ってくれた娘でした。
* **************
子どもは、神様から「預かる宝」ですね。
多くのことを教えてくれるために、子どもは預かるのです。
神に返すその時まで。
第2回目に続きます。



コメント (10)
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