ひげ爺のお産・子育てご意見番

子どもは育つ力を持って生まれてきますが
親に子育てする力が減っています。
親育て支援の中で感じたことを書いています。

べびーカー考

2016年04月06日 | 子どもの成長

近頃の親は、月齢の浅い赤ちゃんをベビーカーに乗せる傾向がある。

その背景に潜んでいるのは、生活様式の変化や学校での運動や遊びにあります。

背筋力の低下によって、赤ちゃんを長時間抱っこできないという理由。

また、外国メーカーやファッション性を重視したベビーカーを押す姿が「かっこいい」という幻想を妊娠中から抱いている等の理由による。

また、ベビーカーに乗せて自分は楽をするといった考え方もあるようだ。

 ベビーカーは、ある意味では「便利」な道具でもありますが、危険も伴いなます。

赤ちゃんが前向きに座っていると、眼を見ることが出来ません。

話しかけても聞こえにくく、赤ちゃんの状態を感じ取ることも出来ません。

庭に紅辛夷(べにこぶし)が咲き出しました。
色鮮やかで庭の中で存在感を見せてくれています。

赤ちゃんは、ベビーカーによって親とのコミュニケーションを遮断され、これはある意味での「ネグレクト」である。

ベビーカーで泣いている赤ちゃんに、顔を近づけてあやしている姿をあまり見ません。

抱っこでは、泣いている赤ちゃんにはすぐに「あやす」します。

抱っこやおんぶは、肌と肌の触れあいがあり、顔と顔、眼と眼を合わせ微笑みかけたり、話しかけ等をします。

これらの行為が赤ちゃんの心の安定につながります。

 ベビーカーに乗って喜ぶのは一歳を過ぎてからである。

この頃になると乗りたがる。

小さな赤ちゃんをベビーカーに乗せるのは親の都合。

身体の都合や荷物が多いなどの理由で寝せる場合は、親に顔が向くのがいいです。

それがない場合には、時々顔を見たり話しかけたり、抱っこをしてあげてください。

信号待ちなどでは、ベビーカーを車道に出すのではなく、親が腰をかがめて相手をしてあげてください。

 一歳まではベビーカーを止めて抱っこおんぶを多用してください。

赤ちゃんは、親に抱かれることを望んでいます。

お母さんの優しさと温もりが欲しいのです。

 ベビーカーは、特殊なケースを除いて必要ありません。

早いうちに「買わない」「乗せない」。「抱っこ」「おんぶ」を多用してください。

子育てにベビーカーを全く買わず、使わない親もいます。

ベビーカーは「ファション」ではありません。

ブランドも必要ありません。

 

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お手伝い

2016年04月05日 | 子どもの成長

ユキヤナギが美しく咲いていた。
小さな花が咲き乱れている。春爛漫!!! 

夕食の準備の間にテレビを見せていませんか?

どうしても準備のためにテレビをベビーシッターにしている方が多いのではないでしょうか。

そんなお母さんによく言うのは、料理の下準備を一緒にしたらどうですか。

楽しいですよ。

「散らかるのがいやです」そうですか。でも少し我慢をすればいいじゃないですか?

散らかったらあとで、一緒に掃除したらいかがですか。

「そうですね」「今日からやってみます」

 キャベツやジャガイモをゆでて混ぜたり、芋の皮むき(ゆでた後の小芋)下準備をすることで楽しんで、真剣に手伝ってくれます。

2歳の女の子です。

「ありがとうございました。昨日の夕食はいつもは食べない小芋を食べてくれました」

手伝うことで作ったものを食べるということは、それそのものが食育のように思います。

仕事を手伝って、ほめられ、上手に出来るね。と言われて自信とやる気がでます。

 テレビをベビーシッターにして見せていることよりも数十倍すごいことです。

 作業が終わるまで真剣なまなざしでお手伝いしている姿が目に浮かびます。

 女の子の場合は、これも修行です。

最近の女の子はままごと遊びをしなくなりました。それも当たり前のことです。

何故ならば、小さいうちから家事の手伝いをしたりさせないからです。

 準備のいらない「総菜」を購入し、手抜きの食事や出前の食事では、作る現場を見ていません。

それでは、子どもの脳裏に焼き付きません。ままごと遊びは出来なくて当たり前です。

家で食事を作っても、母親の調理をしている姿を見せずに、テレビを見せているのでは、わかりませんね。

 昔はテーブルやちゃぶ台を囲み家族で楽しく団らんをして食事をしましたが、今はそんな光景は見ることがありませんね。

サザエさんの食事の光景です。

 出来ないのではなく、知らないからです。

子どもには多くの体験をさせてあげましょう。

 

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完璧はない

2016年04月04日 | 子どもの成長

昨日の夕方は黄金色に山が染まった。
美しさに感動した。 

一人として同じ子どもはいません。

健康な子どもは、生まれたときは小さくても、すぐに大きく強くなり、たくさんのことができるようになっていきます。

 親は自分の子どもが普通なのかどうか、よく心配します。「ふとりすぎかしら?」

「小さすぎるみたい」「お座りはまだかしら?」「歩いてもいいころなのに?」

どの子どもも、他の子とどもとは違う特別な人間なのです。

同じ年齢で同じ性別であっても、子どもたちはそれぞれ異なっています。

 「完璧な人はいません。完璧な親もいなければ、完璧な子どももいないのです。

私たちにできるのは、最前をつくすことだけであり、時には助けてもらうことも必要なのです」 

よい親であろうとすることは、精神的にも肉体的にも大変なことです。

親であることは、常に想像以上のエネルギーを必要としています。

子どもは何度も挑戦することで、新しい事を学んでいきます。

親もまた同じなのです。

 だれも完璧ではありません。

 あなた自身の判断を信じてください。

子どもたちのよい親であると信じてください。

あなたが自分を好きになり、自分を信じることができるなら、子どもも自分を好きになり、自分を信じることができるでしょう。

そうすればあなたは子どもに伝えやすくなり、子どもはあなたから学びやすくなるのです。

 たくさん抱いてあげてください。

そして目を合わせてお話をしましょう。きっと優しい笑顔を返してくれます。

抱いてあげることは母子のコミュニケーションを築くためにも重要です。

また、あなたの母性も育まれます。

 育児雑誌やまわりの情報にふりまわされずにのんびり育児を楽しみましょうね。

育児情報誌は、広告によって成り立っています。

情報の中には、売るために作られた情報があります。

正しい情報かどうか読み取る力を養ってください。

 子どもは、一人一人まったく違った個性を持っています。

あなたのお子さんを信じてあげてください。

そして自信を持ってください。

あなたとお子さんを応援しています。

 

 

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祖父母の弊害

2016年04月04日 | 子どもの成長

木蓮の蕾がふっくらしてきました。
山には辛夷の白さが目立つようになりました。

おじいちゃん、おばあちゃんは、孫の積極的に関わろうとします。

それはある意味では、とてもいいことなのですが、ややもすると子育ての弊害になることもあります。

多くのお母さんが、その弊害に悩み苦しんでいます。

 孫を可愛がり、孫に関わりたいがために、母乳哺育で頑張っているお母さんに、母乳は栄養がないからミルクに変えるように要求することがあります。この要求の裏側にあるのは、「自分がミルクをやりたい」孫の面倒をみたいという考えが根底にあるからです。

 自分の育児感を、押しつけたり、以前の間違った育児知識を強要します。

 昭和30年代頃までの日本社会の風潮としてミルクは母乳に比べてより栄養価の優れた赤ちゃんのための哺乳食品としてもてはやされていた。

また当時母乳哺育をする者は貧乏人、ミルク哺育をする者は金持ちなどの偏見からミルクで子育てをしてきているおばあちゃんが多く母乳で頑張りたいお母さん達に安易にミルクを足すように勧めたり、母乳に栄養価がない、または減っていくなどの誤ったアドバイスをしている現状がある。

森永ヒ素ミルク事件もこのような考え方があったからです。

  一昔前にスポック博士の書かれた育児書が、広く世間に浸透しました。

赤ちゃんが誕生すると、スポック博士の育児書を贈るのが流行りました。どこの家にもその本があったのではないでしょうか。

その育児書には“抱き癖がつくから必要以上に抱くな”“赤ちゃんは一人で寝かすように”“赤ちゃんは一人で寝かせるべだ”などと書かれていました。

 日本で行われていた川の字に家族で寝ることなどは否定されました。

ほんの影響で、赤ちゃんを別室で寝かせることなどもされました。

アメリカでは育児書通りに育った子ども達が少年犯罪を起こすケースが多発し、社会問題になりました。

幼少期に必要な愛情を十分もらえずに母子関係が希薄化したため、大きくなってからの対人関係や精神に異常をきたしているのだと思います。

 今は、この本は否定されていますが、この本をマニュアルにして子育てした世代が、おばあちゃん、おじいちゃんの世代です。

 間違った本の影響を押しつけてきますので、注意してください。

 お母さんは子どもの欠点ばかり見えて気になりますが不必要なことを言わずに、おじいちゃん、おばあちゃんは、孫のキラリと輝く素敵なところを見つけて引き出してあげてください。

孫育ての時間を楽しんでください。

 

 

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里帰り分娩から不安に

2016年04月03日 | 子どもの成長

里山は花盛り。
秘密の花園には、ショウジョウバカマが淡い紫の花をつけていました。
群落とはいきませんがまとまって咲いています。

昨日は、新しい親育ての活動の場を見てきました。
全天候で活動しやすくて広い室内とグランドがあります。
泥んこ遊びも畑や田んぼもありますので親子で遊べます。
開設が楽しみです。 


里帰り出産には問題点があります。
産後の1ヶ月間の過ごし方で、その後の子育てに向かう心が育まれるかどうかが分かれます。

積極的に、赤ちゃんと関わらないと母子の相互信頼関係が構築されません。

そして、出来ることをしていくことが重要です。

体の回復を第一に考えて赤ちゃんの世話まで実母にさせてしまうと相談のように、自宅に帰ってから不安になります。

ただおろおろするばかり、母親の心を見透かすように赤ちゃんは泣き続けます。
その泣き声を聞いて、不安は増大します。

当然ですが、自分がどのように実母から育てられたかが大きく影響します。乳幼児期に母子に愛着が形成されている場合はスムーズに行きます。

何故ならば、乳幼児期に育てられた時の記憶がインプットされているからです。

その次に大切なのが「自分が産むという主体的なお産」をしたかどうかです。

医者任せ、助産婦任せのお産やブランド出産などではなく、お産を選んでください。

赤ちゃんとあなたのために。

一ヶ月の過ごし方が大きく影響します。

人任せの子育てではなく、自分が中心になって育てるという意識が、母子の愛着を深めるためのスタートです。

そのためにも「母子同室」を選んでください。

形ばかりの母子同室ではなく、その意味をきちんと教えてくれる産院を選んでください。

 

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春が来た

2016年04月02日 | 子どもの成長


桜の花がやっと咲き出しました。
明日は咲くか?
まだ蕾は固い。
美しい桜の開花は本格的な春の到来を告げてくれる宣言です。

里山にもやっと春が来ました。

春はたくさんのうれしいことがありますね。
お子さんの入園や入学。
関わった子どもが高校や大学に入ったり
幼稚園や小学校に入学する便りがたくさん届きます。
間もなく入園式や入学式の写真もたくさん送られてきます。
うれしい、うれしい時期です。

爺も今月でこの家から転居します。
同じ篠山市内です。
家の近くに活動の拠点もかしていただけそうです。
月曜から週末まで常時開所できるスペースです。
室内に遊具もおけます。昼寝が出来るスペースも出来ます。
外では泥んこ遊びも出来ます。
親子で畑で作物を作ることも可能です。
いろいろな活動が出来ます。
皆さんも是非お越しください。
お待ちしています。詳しくは5月に入りましたらお知らせします。
 

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育児書を捨てて子育て

2016年04月01日 | 子どもの成長

この花は、大根の花です。
葉が出て花が咲きます。

子どもは、「宝」ですね。
親は子育ての中で、学び成長していきました。
そこには、マニュアルもない、育児書もない。

全ては、日本の家族制度である大家族で、親から子へ「伝承」されてきたのです。
子は、子育てを家族の営みの中から学んでいました。

自宅でのお産は、子どもにとっては「学びの場」でした。
きたるべき時に備えて、知らず知らずに学んでいました。

子育てについても同じように、家族の中で学びました。
年長の子が下の子を「子守」することで、赤ちゃんの「あやし方」「おむつの替え方」「遊び方」「家事」など子育てや生きていく上で大切な多くのことを学びました。

そこには、育児書、育児マニュアルなどを売る「悪徳出版社」は存在しませんでした。
そんな「本」は全く必要なかったのです。

今、多くの子育て中の「親」が、不必要な育児書やお産のための情報誌を購入し、悩みを深めています。
特にひどいのが育児書です。

育児書は、「粉ミルクメーカー」「不必要な育児用品」のPR雑誌です。
型どおりの育児情報と金を使わせるための欺瞞に満ちた文章に、だまされ購入しています。
子どもの「猿ぐつわ」である「おしゃぶり」は拷問の道具である。
親の都合で口をふさがれている赤ちゃんを見ると情けなくなります。
この行為が「依存症」の始まりであり自立の妨げになる。

赤ちゃんが「欲しい」といったわけでもなく、親の愚かな見栄や欲望を満たすための子どもは「大人のおもちゃ」とかしている。

子育ての「第一歩」は育児書を買わないこと「捨てる」ことである。

育児書のために、子育てに苦しんでいる「親」が非常に多い。

マニュアル世代の親たちにとって、必需品なのであろう。
でもそれによって「苦しむ」のは親ではなく「犠牲者」は赤ちゃんであることを忘れてはならない。

「赤ちゃん」は一人一人顔が違うように「心」も「体」「成長」皆違うのである。
その子にあった「育児書」は存在しないのである。

今すぐ「育児書」を捨てて、内なる心の中にある「ヒト」としての本能に目覚めよ。

今の日本人は、快楽を求め過ぎた結果、その本能を失ってしまった。

 

コメント (2)
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