相模原市南区新戸に多くの稲作の水田がある。昨年稲刈り後、休耕中の田畑を肥沃にする目的で植えられているのが「レンゲソウ」(蓮華草)である。レンゲソウは春にピンク色の花を咲かせる「マメ科」の越年草である。マメ科の植物は根に根粒菌を多く持つことから土中の窒素を根に蓄えて土壌を肥沃にしてくれる。レンゲソウ(蓮華草)もその力が高いことから休耕中の田畑によく植えられている。花後はそのまま田畑に漉き込んで緑肥としても使用される。最近は化成肥料が使用されるようになり春に一面ピンクの絨毯のようなレンゲソウ(蓮華草)畑は見かけなくなったが、ここ新戸はあちこちに南面もあり美しい。近寄ってみ見るとピンクの花がなんとも可憐である。養蜂家がレンゲソウ(蓮華草)からの蜜を集め作られる「レンゲ蜂蜜」は有名である。ここから数百メートル先には相模川流れ左岸堤防では今、「芝桜」が見頃を迎えようとしている。 (2104)
八王子片倉に室町時代に築城の片倉城跡をそのまま公園として昭和47年に開園した「市立片倉城跡公園」はある。本丸、二の丸があったところが一番高いようで標高110~144m。片倉城は「小比企丘陵」の東の先端部分に室町時代に大江広元を祖先とする長井氏によって築城された。広さ約6haの園内には入口前に「彫刻広場」、左に「はす沼」、右に「いこいの広場」、遊歩道を上っていくと「休憩広場」、「奥の沢」がある。当園は桜、カタクリの名所でその他ハス、ショウブ、ツツジ、アジサイと四季の花で彩られる。正面入口から入園すると数々の彫刻作品が常設展示されている「彫刻広場」があり芸術へのプロローグという感じである。ここには八王子市が実施した「彫刻のまちづくり―まちは大きな美術館―」 というパブリックアートの活動によって設置された104基の彫刻の内19基、八王子を愛した「北村西望」氏ゆかりの「西望賞」の受賞作品を市が購入し展示がスタートした。 東側の東屋から彫刻の広場にかけて大半の14基、いこいの広場付近に数基が設置されている。作品名と作者は「ダンシングオールナイト」(江里敏明)、「早く来ないかなあ」(宮瀬富之)、「春風」(木内禮智)、「希望」(長江録弥)、「少年」(瀬戸剛)、「貌」(溝口寛)、西望自刻像(北村西望)、「浦島-長寿の舞」(北村西望)、「雪の朝」(今城國忠)、「憧れ」(山本眞輔)、「風景-海」(桑山賀行)、「独」(雨宮淳)、「アテネの戦士」(久保浩)、「春を感じて」(土田副正)、「夢につつまれ」(石黒光二)、「酔っぱらい」(坂坦道)、「ダナエ(黄金の雨)」(亀谷政代司)、長い髪」(鷲見香治)、「春休み」(東山俊郎)で見事な作品ばかりである。(2004)
今、公園や街路樹、個人のお家の庭で見かけるのが白い花が可愛いらしい「ハナミズキ」である。春の花々で華やかに賑やかになってきたここ「県立相模原公園」の各所で今、初夏の代表花木で 「アメリカヤマボウシ」と呼ばれる「ハナミズキ」が可憐な白い花をつけ満開となっている。「ハナミズキ」はミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。「ハナミズキ」の名はミズキの仲間で花が目立つことに由来し、「アメリカヤマボウシ」の名はアメリカ原産で日本の近縁種のヤマボウシに似ていることによる。「ハナミズキ」は東京市長の「尾崎行雄氏」がアメリカのワシントン市へ桜を寄贈した御礼として1915年にアメリカから贈られたのが最初である。また「♪ 薄紅色の・・・」で始まる「一青窈」さんの名曲のタイトル「ハナミズキ」にもなっていることで知られる花である。なんとも可愛らしい花である。(2104)
八王子市片倉町の「片倉城跡公園」内一画に「片倉城」の鎮守として創建された「片倉住吉神社」は鎮座する。片倉城は宇津貫川、湯殿川に守られた室町時代初期の山城である。時の城主毛利備中守師親公が摂津国住吉神社を勧請され片倉城の鬼門除け鎮守として摂津国(大阪市)住吉大社を応安5年(1372)勧請し建立。以来、万願いを適えてくれる「住吉様のお百度踏み」は多くの人々の心の支えとし崇められていた。祭神は上筒男命、中筒男命、底筒男命。境内社に稲荷社がある。慶安年間(1648-1651)には江戸幕府より社領7石の御朱印状を拝領している。JR横浜線「片倉駅」より400mほど先に片倉城跡公園があり彫刻の広場に第一鳥居がある。参道の石段上ると第二鳥居があり境内正面に社殿がある。社は五尺の宮造り、覆屋、本地十一面観音、脇士に不動毘沙門(運慶作)を安置している。境内は深い木立に囲まれて静寂な神域を形成している。社殿の奥に本丸、二の丸の広場があり満開の桜がクライマックスの美しさで彩られている。(2104)