相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

旧新戸村の鎮守であった「日枝神社」

2021-04-09 13:47:35 | 神社
相模原市南区新戸、集落のほぼ中央に位置し近くにある「白山姫神社」と共に旧新戸村の鎮守「新戸日枝神社」は鎮座している。総本社は天台宗延暦寺の地主神、日吉山王権現、元官幣大社の日吉大社。創建年代は不詳ながら江戸時代には「山王社」と呼ばれていた。祭神は大山咋命。 鳩川沿いに進むと昭和24年に改修された「日枝神橋」の前に「鳥居」が構えられている。境内正面に「社殿」があり、丸石を納めた小さな祠が祀られている。拝殿左に境内社災害除けの神「第六天社」が祀られている。新戸村では「第六天原」と呼ばれる丘の上に祀られていたが陸軍学校建設のため接収の理由から戦後30数年を経て当境内に遷座した。現在は行われていないが、かつては農作物に害を与える雹除けの「氷祭の神事」が行われていたようである。(2104)
 
 
 
 
 
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八王子片倉の古刹「鶴壽山松門禅寺」

2021-04-09 09:46:22 | 寺院
八王子市片倉に下恩方・川原宿の「心源院」末寺、片倉の古刹とされる曹洞宗寺院「鶴壽山松門禅寺」はある。創建は延徳元年(1489)。本尊は虚空蔵菩薩。当初は子安六萬坊の地に密教の寺として「子安山松門寺」と称した。中沢田左衛門健吉が開基、心源院8世禅室組参が開山、中興。慶長元年に寺町に移り「鶴壽山」と山号を改める。第二次世界大戦の八王子大空襲で観音堂と山門以外の堂宇を焼失し、昭和44年(1969)に八王子市の区画整理により現在地に移転。江戸時代には幕府より寺領7石の御朱印を拝領している。「片倉駅」より「片倉城跡公園」いこいの広場前の湯殿川沿いに進むと正面に「寺号標」が建ち石段が設けられている。無縁墓が沢山並んだ「山門」は左折したところに構えられている。三界萬霊供養の地蔵様と六道地蔵がある。「山門」を抜けた正面に入り母屋づくりの「本堂」、右に庫裏がある。右手に「水子地蔵堂」、左側には「観音堂」がある。座禅道場を持つ当寺は昭和63年(1988)、開創500年を迎えてなお禅の神髄を伝えている。(2104)
 
 
 
 
 
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寛永寺の伽藍の一つ「不忍池弁天堂」

2021-04-09 08:02:10 | 寺院
台東区上野桜木一丁目に天台宗関東総本山の寺院「東叡山寛永寺」は鎮座している。開基は徳川家光、開山は天海、本尊は薬師如来である。京の都の鬼門(北東)を守る比叡山に倣い「東の比叡山」=「東叡山」とした。江戸時代後期、最盛期の寛永寺は寺域30万5千余坪、寺領11,790石を有し、子院は36ヶ院に及んだ。現存するのは19ヶ院である。現在の上野公園のほぼ全域が寛永寺の旧境内にあたる。最盛期には今の上野公園の2倍の寺地(域)を有する大規模なもので、現在の東京国立博物館の敷地は「本坊」跡、博物館南側の大噴水広場は「根本中堂」であった。当園には寛永寺の「清水観音堂」、「東照宮」、「大黒天堂」、「弁天堂」などの伽藍が数々が建ち並んでいる。その代表格である「弁天堂」は江戸初期の寛永年間に天台宗東叡山寛永寺開山の慈眼大師天海大僧正が建立、「不忍池弁天堂」と呼ばれている。この堂は日本一大きな湖琵琶湖に浮かぶ竹生島「宝厳寺」をモデルとし、宝厳寺から招いた「弁財天」を祀っている。不忍池にまるで浮かぶように建てられた独特の八角形の弁天堂は当初、「木造入母屋造」であったが、昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失、昭和33年(1958)に現在の八角形の鉄筋コンクリート造りで再建された。八角形のお堂は不忍池のどこからでもお参りができるようにと配慮されている。弁財天は長寿や芸能の守りとして信仰篤く、上野王子駒込辺33ヶ所観音霊場の30番札所となっている。(2103)
 
 
 
 
 
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