相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

上野霊山の守護神「花園稲荷神社」

2021-04-10 16:45:27 | 神社
東京都台東区上野公園内に村社格の「花園稲荷神社」は鎮座している。創建年代(不詳)は本覚院の僧晃海が霊夢に感じ廃絶していた社を承応3年(1654)再建、上野霊山の守護神とした。古くからこの地に鎮座し「忍岡稲荷」として石窟の上にあった事から俗称「穴稲荷」とも云われていた。御祭神は倉稲魂命である。幕末、彰義隊の戦いでは最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られている。後に明治6年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され「花園稲荷」と改名した。「五條天神社」が現地に遷座となる時に社殿も一新された。お社は古書に弥左衛門狐と記され「寛永寺」が出来る時に忍岡の狐が棲む処が無くなるのを憐れみ一洞を造り社を祀ったと云われている。社地はお穴様を中心に約2000坪あったが明治の上地の為、現在は五條天神社と併せて約1000坪となった。五條天神社の右奥にあり稲荷らしく赤い鳥居が数十列並んでいる。(2103)
 
 
 
 
 

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藩主伊達綱村の生母が開基の「実相山正覚寺」

2021-04-10 07:57:41 | 寺院
東京都目黒区中目黒に旧本山は身延山久遠寺とする日蓮宗寺院「実相山正覚寺」は鎮座する。元和5年(1619)法泉院日栄(1634)が開山、仙台藩主伊達綱村の生母の「三沢初子」が開基となり創建。仙台「伊達家」との所縁が深く、三沢初子が本寺住職4世日猷、5世日登両上人に深く帰依、諸堂の寄進を受けた。元禄11年(1698)不受不施派禁圧の影響を受け本山であった碑文谷の円融寺の天台宗改宗により身延山久遠寺を「本山」とした。本尊は徳川家斉が江戸城で帰依していた日蓮聖人。中目黒より駒沢街道の左側にひときわ広大な寺域を有している。「寺号標」(寺門)より「山門」を抜けると「客殿」、右に入り母屋造りの「本堂」「三十三番神堂」「鬼子母神堂」、生母「三沢初子像」、古碑一基(弘安3年)、村井検校(扇一)や旗本の丹羽氏の墓所がある。(2103)
 
 
 
 
 
 
 


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