相模原市南区下溝に四季の花が絶えない「県立相模原公園」はある。当園は今、先月中旬から国花で春を代表する「桜」から「チューリップ」、「パンジー」、「ネモフィラ」などがカラフルに咲き乱れ華やかさをグレードアップさせている。今、「クスノキゲート」入口左側の管理事務所前に一本の「オオシマザクラ」(大島桜)が白色に微紅色を混じえた5弁花の美しい花姿を魅せている。「シマザクラ」とか「タキザクラ」とも呼ばれる 「オオシマザクラ」(大島桜)は名前のとおり大島を含む伊豆七島、伊豆半島及び房総半島を原産とする桜。他の桜の台木になるほど丈夫な性質で美しい「ソメイヨシノ」や「サトザクラ」の母種(片親)である。花期は今頃で緑色倒卵形で、鋸歯の先端は長くとがる葉と一緒に生長するため遠目から見ると木全体が黄緑色に見える。花弁は5枚で白で稀に薄紅色&微紅色となる。サクラの仲間では珍しく花に芳香がある。(2103)
相模原市南区下溝に「県立相模原公園」の西側にハナショウブの名所「水無月園」はある。広さ2300㎡の当園はメインの東側と木立に囲まれた西側とさらに奥にもう一つの3面の菖蒲田がある。まだショウブ園は養生中であの鋭い剣状の緑の葉も出始めていない。「ハナショウブ」開花前に「水無月園」に彩りをと菖蒲園の周りの左土手一画に6品種60株ほどの「ボタン」が植栽されている。ボタン(牡丹)は中国が原産、ボタン科ボタン属の花木である。ボタンとシャクヤクの見分けは牡丹は樹木、芍薬は草である。黄色い大輪の「ハイヌーン」はまだ蕾であるが赤、赤と白の島錦?、ピンクのボタンが早々と咲き始め一見バラかと見間違うくらいの美しさで園を彩り始めている。ボタンは美しさを象徴する植物で古くから、様々な工芸品や絵画の意匠としても用いられている。また両者を比喩して「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」という美人を形容する言葉のとおり気品があり優雅な花である。(2004)
台東区上野上野公園・池之端3丁目に江戸一番の桜の名所と言われている日本で最初の都市公園「上野恩賜公園」は「上野の山」と呼ばれる台地と「不忍池」からなる。他には博物館や美術館、動物園などの文化施設が集まっている都内最大の公園である。当園の「上野のお山」言えば江戸時代からといえば都内でも当代きっての歴史ある「桜の名所」である。江戸時代「天海僧正」が「寛永寺」の建立後境内に「吉野山」から多くの桜の木を移植したことに端を発する。広さ35万㎡という園内一帯には「ソメイヨシノ」が600本、「オオカンザクラ」、「ヤマザクラ」、「カンヒザクラ」など600本、計1200本の桜が植栽されている。水辺景観が形成の代表が「不忍池」である。「上野のお山」を今日の「比叡山」に、「不忍池」を「琵琶湖」に見立てて、竹生島に倣って「弁天島」を作ったといわれています。また、竹生島「宝厳寺」の「弁財天」を勧請し「弁天堂」が建立されている。この「不忍池」周りにも数百本はあろうかという「桜」が植栽されている。この池はバードウォッチング、野鳥の宝庫でたくさんの鳥類が飛来、生息、休息している。訪れた日も多くの鳥たちと出逢った。最も多いのは冬からこの時期までシベリアなどの北国からやってくる「カモ」で多い時は1万羽を超える。オナガガモ、キンクロハジロ、ホシハジロ、オオバン、ヒドリガモ、他にダイサギ、カワウ、カモメ、メジロ、ヒヨドリなど。(2103)
八王子市片倉にある市立公園「片倉城址公園」内の「奥の沢」のヤマブキソウやカタクリのあいまに数本の珍しい花姿の「ミミガタテンナンショウ」(耳形天南星)と出逢うことができた。サトイモ科テンナンショウ属の多年草で本州、四国、神奈川県(丹沢、箱根、小仏)の山地に分布。「ウラシマソウ」にも似ているが、別名は「マムシグサ」。ウツボ状の仏炎包の筒口部が耳たぶのような張り出しがある、耳状に広がっていることからつけられた。仏炎苞は褐紫色~暗紫色で白い縦筋が入っている。「天南星」とは中国で夜空に広がる星の意味をあらわし、葉の広がる様子をたとえたものである。この珍しい花「ミミガタテンナンショウ」、訪れてこそ会え、知りえたことである。(2104)
台東区上野(公園)に寛永8年(1631)に建立の天台宗「東叡山寛永寺」の伽藍の一つ「清水観音堂」はある。寛永2年(1625)天海大僧正が二代将軍「徳川秀忠公」寄進の上野の山に平安京と比叡山の関係に倣って「東叡山寛永寺」を開山。これは比叡山が京都御所の鬼門を守るという思想を江戸にも導入し江戸城の鬼門の守りとした。そして比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立した中の一つ「清水観音堂」が「京都の清水寺」を見立てたお堂である。「清水観音堂」には京都の清水寺安置と同じ「千手観世音菩薩像」が奉納されている。初めは上野公園内の「擂鉢山」に清水寺と同じ舞台作りで建てられたが元禄初期に今の噴水広場の地に「寛永寺総本堂」の「根本中堂」建設により元禄7年(1694)に現在地に移築された。上野の山に現存する創建年時の明確な最古の建造物で国指定重要文化財に指定されている。観音堂の前境内に配された「月の松」は江戸時代の浮世絵師歌川広重の「名所江戸百景」において「上野清水堂不忍ノ池」、そして「上野山内月の松」として描かれおり皆が必ず「不忍池」方向を眺める名所となっている。(2103)