相模原市南区麻溝に特に「クレマチス」や「アジサイ」は種類も本数も多く名所となっている「相模原麻溝公園」はある。桜も終わりいろいろな花が芽吹き開花しいよいよ春本番の彩りとなってきた。今、「樹林広場」の一画にひときわ黄色が鮮やかな「ヤマブキ」(山吹)が咲き始めている。日本、東アジア原産のバラ科ヤマブキ属の落葉低木(木丈は1.5~2.0m)である。花の直径は2~3cmと小さい。山吹色と呼ばれる明るめの黄色で一重と八重咲きがある。当園は八重咲種である。開花は4、5月でちょうど今の時期である。まだ咲き始めであるが下垂する柔らかい枝の先に黄色い花をたくさん咲かせる。山吹は春の季語とされ、その美しい山吹色の花が咲くのことから「万葉集」にも詠まれ古くから観賞されてきた花である。道灌は「後拾遺和歌集」で「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」と詠んでいる。(2104)
相模原市中央区上溝番田地区に相模国東郡渋谷庄上村の総鎮守「番田諏訪神社」は鎮座している。創建年は不詳ながら鎌倉時代に36軒村のはじめに相模国渋谷座土村下村の八幡社境内に祀ったとことが興りで、文禄3年(1594)に現在地に移された。大正2年(1913)の内務省令により上溝八幡社(現在の亀ヶ池八幡宮)に合祀された後、大正7年(1918)に再び当地に勧請・復祀された。「安楽寺」の義清が村鎮守として至徳元年(1384)勧請したとも伝わっている。番田は諏訪神社に供える米を順番に作っていた集落であったことからその名がある。祭神は総本社(諏訪大社=旧称:諏訪神社)にならい建御名方神(諏訪大明神)である。諏訪神社は全国に25000社ありその一社であり日本全国に広まった諏訪信仰に関わっている。番田駅から数百メール線路際に構えられた「社号標」、「石鳥居」を抜けると正面に「社殿」がある。社殿は珍しく石柱で囲われている。手前には「神輿山車庫」、背後に石碑がある。当社境内には数本の「八重桜」が植栽されておりややピークを過ぎ大きな花房から花を落とし始めていた。(2104)
相模原南区下溝、県立相模原公園の北側にまるで湖のような「相模原沈殿池」はある。ここの沈殿池は相模湖を水源とする水を横浜市内の浄水場へ送る前に一時滞留沈殿させて浄水処理の補助を行っている施設である。この沈殿池は「かながわの探鳥地50選」にも選ばれており「コサギ」、「カルガモ」、「カワラヒラ」など数十種類の野鳥が飛来し、その野鳥を観察、撮影する愛好家の「バードウオッチング」の唯一のスポットとなっている。しかし4月ともなると殆どの鳥は北へと旅立ち淋しくなっている。国内で避暑地を求めて短距離移動する漂鳥である「オシドリ」、国内唯一の留鳥として一年中日本全国で見られる「カルガモ」が優雅に泳ぎ沈殿池を独占していた。(2104)
相模原市中央区上溝にある造園会社の庭先で「藤の花」が見事に咲き誇っている。相模原の唯一「藤の名所」である。この藤は樹齢は40年で相模原市の指定木とされているということ。「藤」は日本古来の花木で万葉集にも詠われたり、香りが強く、たおやかにしなやかに咲き古来から女性らしさの象徴となっている。ここ数日の春の陽気に6~7分咲きとなっていた。長さ10m程の長い「藤棚」には紫色の花房が地面に着きそうなくらい枝垂れる花姿となって見事な美しい。藤の蔓が伸びる特性を生かして道路沿いには高さ10mほど「螺旋状の円柱形の塔」には蔦って上へ上へと伸び、まさしく「藤タワー」を作り上げている。ちょうど角地にあり藤の花房を間近で見られて、花香の匂いも嗅ぐことができ、また藤棚の下に潜ったアングルにもトライした。数年前よりボリュームが減ってしまったが、この美しさはさすが造園会社とあって手入れ、育て方、剪定、咲かせ方はお手の物のようで綺麗に仕上がっている。藤は「優しさ」とか「歓迎」が花言葉である。こうして鑑賞&撮影に訪れている者を優しく歓迎してくれているようである。(2104)