伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

だれも教えなかったスーパーマーケット買い物裏ワザ

2006-08-08 23:12:55 | 実用書・ビジネス書
 スーパーマーケットで安く無駄遣いせず買い物するための本。
 特売日の予想の仕方やチラシの読み方などのテクニックも書かれています。でも、全般的には、必要のない物を買わない、そのためにカートは使わない(カゴなら持っていると重いから買いすぎが実感できる。さらに節約したければ利き腕でカゴを持つ)、特売日だけを見ずに長期的に安く買うには、といった地味で着実な情報が中心です。

 スーパー側の視点ではなく消費者側が節約する観点で書かれているのがうれしいです。
 でも、全部実践するのはかなりのエネルギーが要りそうです。


今井保 ヒット出版社 2006年4月10日発行
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イソップ

2006-08-08 08:56:39 | 小説
 いじめグループににらまれて有名私立小学校から転校した優等生が、転校先の公立小学校で、不幸に遭いながらも力強く生きる子どもたちにもまれ、自分の生き方を考えていくお話。
 題名は、母・妹と死別し父に捨てられながら明るく生きようとする少年磯田のあだ名と、話の中でイソップの寓話を何度か用いていることから。

 娘の課題図書で読んだ児童文学ですが、久しぶりに涙ぐんでしまいました。
 主人公の友達になるイソップと、兄を交通事故で失ってから男装で男言葉を使い続ける千里の人物造形がうまい。

 イソップの家庭が崩壊していくドラマと最後の父との再会は、涙ものですが、借金地獄から母・妹が自殺、父は夜逃げという設定には、仕事柄、「どうして弁護士に相談しないんだよ、破産すれば家族一緒に生きていけるのに」と、つい思ってしまいました。


青木和雄 金の星社 2001年12月発行
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子どもの「がまんできる心」を引きだす本

2006-08-08 01:15:23 | 実用書・ビジネス書
 著者は、「がまん」はあきらめることではなく、あきらめないで実現に向けて時期を待ったり条件を整えることと位置づけています。
 ですから子どもがしたいということを「がまん」させるときには単純に「ダメ」ではなくてできる時期や条件を設定して子どもに待たせたり条件を整えさせ、その間想像や工夫をさせることが大事だと指摘しています。
 もちろん、本当に危ないことや、できないことははっきりだめ出しして、理由や意見を伝えるということになりますけど。

 子どもとの「約束」は親が一方的に決める(それは命令)のではなく、話し合って子どもが納得して初めて約束になり、そうであればこそ、それを守ることの大事さが伝えられます。親の意見はきちんと伝えつつ、子どもが自分で考えて決められるようにすることが大切、子どもの意見をすぐ聞くのもかえってダメで親の意見も伝えて子どもに本当にそうしたいのか別の工夫はないかなど考えさせることが大切、そして親は一緒に考える、解決の手助けをするというのが親の役割というのが著者のメッセージです。
 いちいちごもっともなんですが、実践となると・・・


星一郎 青春出版社 2006年7月15日発行
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「百匹目の猿現象」を起こそう!

2006-08-07 22:21:52 | 実用書・ビジネス書
 「百匹目の猿現象」というのは、かつて宮崎県幸島で餌付けされた猿がサツマイモを川の水で洗うようになり、それが伝播しグループの75%が餌を水で洗うようになると、遠く離れた高崎山等でも同じように餌を洗う猿が現れ始めたという現象なのだそうです。
 著者はそれを引いて「よい行い、よい思いは時間や空間を超えて、周囲に広く伝わり、多くの人の思考や行動も正しい方向に導く」「だから、私たち一人ひとりがみずから率先して、よい思い、正しい行いを実践していこう。そうして社会や世界を変える起点となろう。」(12頁)と提唱しています。
 抽象的にはわかるんですが、著者の言うことを拾っていくと・・・自由の最低限の条件は「しつけ」(44頁)、世の中に起こることはすべて必要・必然・ベスト(53頁)、起きたことはすべてよいことだ(56頁)、幸島でよくなった猿社会の特色は、ボス争いがなくなり本家(血統のもっともよい家系)の最年長のオス猿が自動的にボスになるようになった(87頁)、群れには厳格な順位制度があって、ボス猿を筆頭に、おとな猿の一匹一匹の順位がきちんと決められていて下位の者が上位の者より先に餌を食べるようなことは決してない(113頁)。結局、長幼の序、社会の秩序を守って分相応に生きなさいって言われてるみたいですね。

 終盤になると、人は生まれ変われる(人生をやり直すって意味じゃなくて輪廻です)とか知的計画(進化論否定論者の主張)とか出てきて・・・
 ビジネス書・人生論じゃなくて宗教書だったんですね。

 「百匹目の猿現象」と言いたいことの関係も今ひとつはっきりしない感じがしますし、言いたいこともこういうことはいけないと言ってみたら起きたことはすべてよいことだと言ってみたり、スッキリしません。
 幸島の猿も餌付けされなくなったら芋を水で洗うのやめたそうです(60~66頁)し、よいことなら当然に広まるっていうのはちょっと難しいでしょうね。


船井幸雄 漫画:赤池キョウコ
サンマーク出版 2006年5月15日発行
コメント (2)
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サイボーグとして生きる

2006-08-07 09:01:44 | ノンフィクション
 聴覚を失い人工内耳の埋め込み手術を受けた著者の体験と考察をまとめた本です。
 人工内耳はサウンドプロセッサーがサンプリングしてデジタル信号化した音を聴神経に直接電気刺激として伝達する装置で、既に相当数の人が使用しているそうです。でも人間の聴神経はスピーカーとは違いますから、どういう周波数・強さの電気刺激を加えればどう聞こえるかは、人工内耳をつけた人での実験で確認していくことになります。そうしながらサンプリングした音を電気刺激に変換するソフトウェアをバージョンアップしていく作業が続けられます。
 人間の聴覚は複雑で、理論通りには音が聞こえなかったり、脳の方で柔軟に対応してうまく聞き取ったりもするようです。そのあたりの試行錯誤が圧巻です。
 でも、著者がサイエンスライターでもあることから、自分の聴覚がコンピュータに制御されること(それを著者は「サイボーグ」と繰り返し強調しています)や失聴者社会にとっての人工内耳の影響(手話コミュニティの脆弱化)などについての哲学的な考察がかなりの部分を占め、ちょっと退屈します。

 人工内耳手術は5万ドル(著者は条件のいい医療保険に入っているので自己負担は数千ドルとのことですが:206頁)もすること、医療扶助の対象になっているけれども手続が面倒で時間がかかり、診療報酬が低いので医療扶助で外科手術を引き受ける医師が少ないので低所得者が手術を受けるのは困難になっているそうです(206頁)。
 ついでに調べてみたら、日本でも1994年から保険適用となり装用者が数千人になっているそうです。それなら、「サイボーグ」なんて刺激的な言葉で目を引こうとしないで、体験を中心に機器の説明や開発研究を加えた着実な語りにしてほしかったですね。


原題:Rebuilt
マイケル・コロスト 訳:椿正晴
ソフトバンククリエイティブ
2006年7月13日発行
(原書の発行時期の記載なし!少なくとも2004年10月よりは後でしょうけど)

読売新聞は8月28日に書評掲載
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年間365冊へのチャレンジ

2006-08-06 00:11:54 | Weblog
 昨年は前半ハイペースで進みながら、7月8月に失速し、後半盛り返しても年間300冊が青息吐息でした。
 今年は、8月初めまで失速せずに快調に飛ばしています。2002年から表計算ソフトに読書記録を打ち込み、常に過去1年間(365日)の読書数が自動計算表示されるようにしています。その数字が現在350冊(2005年8月6日~2005年8月5日実績)。昨年は7月~10月の読書数が月間20冊レベルですから、365冊が視野に入ってきました。

 今年読書数が増えた理由は、モチベーション・プレッシャーの増大と時間の増加です。
 3月から自分のHPで読書日記を公開しています。やはりこれがあると、毎日更新したいなという気持ちができます。7月9日には、このブログも開設してしまいました。ブログはカレンダーに新規投稿のある日が表示されますから、ますます毎日更新したいなあという気持ちができます。モチベーション&プレッシャーですね。
 昨年までは、小学生の娘の寝かしつけで、ほぼ毎晩娘に1時間前後本の読み聞かせをしていました。昨年の後半から、娘が読み聞かせよりも自分で読むようになり、読み聞かせの代わりに娘の就寝前の1時間前後、並んで(別の)本を黙読しています。それで事実上、夜の読書時間が1時間確保されるようになりました。移動時間+事務所外での待ち時間+夜の1時間あれば、分厚い本でなければ、それで1冊読めますもん。娘を寝かしつけるときに自分も一緒に寝てしまわなければ(けっこう、一緒に寝ちゃうんですが。疲れてますから)、その後にさらに夜の読書時間を取れますし。

 まあ、こんなこと言ってても、どこかで失速するかも知れませんが、秋口に過去1年での365冊達成、年末に2006年の365冊達成が報告できるようにがんばります。

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善意の殺人

2006-08-05 22:41:27 | 小説
 訳者による巻末の解説によれば「前代未聞の法廷ミステリ」「予期できないような結末」の推理小説です。
 形としては法廷ものになっていますが、実際には法廷で進行する冒頭陳述に膨大な捜査過程の回想が組み込まれ、回想部分で話を進めています。法廷でのやりとりで新たな展開というところはありません。実質的には探偵ものの推理小説に近い感じです。

 被告人が誰かが終盤まで明らかにされない点とラストのどんでん返しは、「前代未聞の法廷ミステリ」ではありますが、終盤に明らかにされる被告人は特に意外感もなく、評決に至るまでの進行もさして意外なところはなく、はっきりいって犯人の推理そのものについては平凡なできだと思います。
 最後のどんでん返しは、確かに「予期できないような結末」ですが、これは法廷ものとしては反則に属するものだと思います。
 最後にビックリさせられること自体は認めますが、本筋の部分でドキドキワクワクの展開もなく推理としてもそれほどおもしろくもないので、推理小説ないしリーガルミステリーとして高い点は私にはつけられません。
 文章も大仰で持って回った感じで日本語としてわかりにくく、いまどきの文章としては読みにくい部類に属します。もう少しこなれた訳にしてほしいと思いました。


原題:Excellent Intention
リチャード・ハル 訳:森英俊
原書房 2006年8月1日発行 (原書はなんと1938年)
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マラソントレーニング

2006-08-04 23:24:17 | 趣味の本・暇つぶし本
 日本の著名なマラソン選手たちのマラソンについての考え方やトレーニング方法についての取材記事とインタビューをまとめた本です。マラソンマガジン「リクール」(そんなのがあるの知りませんでしたけど)の過去の掲載記事を再編集したムック本だそうです。

 同じテーマについて選手ごとに意見が違って、奥が深いというか、個性を感じました。
 私たちの世代には忘れられない瀬古と中山が冒頭に来て違いを際だたせていたり、意外な一面を見せたりが興味深く思えました。
 野口みずきって、少ない月で900km多い月には1200kmも走っているんですね(44頁)。前は商品先物取引会社の広告塔だったので、イヤだなと思っていましたが、それもやめたことだし今後は素直に応援する気持ちになれそうです。
 後半は取材記事が多くて選手の肉声が感じにくくなってきて、読んでてだらけてきます。増田明美が高校の頃毎日腹筋3000回やってたって話(91頁)には目が覚めましたけど。


マラソンマガジン・リクール編集部
ベースボール・マガジン社
2006年7月1日発行
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柘榴のスープ

2006-08-04 09:08:37 | 小説
 イスラム革命前夜のイランから逃れてロンドンに渡り、アイルランドの田舎の村でカフェ(ペルシャ料理店)を開くに至った3姉妹が、村の実力者らの嫌がらせと戦いながら村に受け入れられていく過程を描いた小説です。
 回想で登場するイラン時代は、両親の死亡後、長女は愛した男性に引っ張られて革命グループに関わって拘束され、その拘束中に次女が革命グループに入って同士の男性と結婚してその後別れてもその暴力男につきまとわれと、運命に翻弄されます。パキスタンの難民キャンプ経由でロンドンにたどり着いた後、イラン時代に有名料理店で皿洗いをしながら料理の専門知識を学んだ長女と看護師となった次女が姉妹の生活を支えて行きます。
 しかし、辛い時代をくぐり抜けてアイルランドの村に来てからは、一部の村人の嫌がらせを、長女の料理の腕と、次女の勤勉さ、三女の魅力で跳ね返し、着実にファンを増やしてゆきます。
 あからさまな戦いではなく、地道にしたたかに前向きに生きて行く姿が描かれています。比較的地味な展開の小説ですが、ポジティブな暖かな読後感を持ちます。

 章ごとにペルシャ料理のレシピがあり、さまざまなペルシャ料理の香りが漂うような描写が、軽さと暖かみを加えている感じです。
 舞台が1987年頃とされることもあって、80年代ポップスが頻繁に登場することも、私たちの世代にはなつかしい親しみを感じさせます。私としてはNENAの 99Luftballons が出てきたのにちょっと感激(87頁。でもこれ、日本語タイトルは「ロックバルーンは99」で、「恋のバルーンは99」じゃないですけど。内容も反戦歌なんですけど)。
 そういう料理とかポップスとかの小道具が効いてという面もありますが、地味だけどちょっといい感じに仕上がっています。


原題:Pomegranate Soup
マーシャ・メヘラーン 訳:渡辺佐智江
白水社 2006年7月10日発行 (原書は2005年)

朝日新聞は9月3日に書評掲載
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虹の鳥

2006-08-03 07:53:49 | 小説
 中学時代の暴力支配から抜けられず、薬と暴力で支配された少女を利用して美人局を続ける主人公を軸に、米兵による少女強姦事件に対する抗議行動をクロスさせ、従属を続けるあきらめと自立への行動を対比させつつ描いた小説です。
 目取真俊の新作ということで「風音」のイメージで読み始めたのですが、思惑違いでした。

 主人公は、「ほんの一瞬の差で何か狂い始める」(37頁)と、何度も、あり得た自分と今の自分を隔てるものがわずかな偶然と理解しようとします。しかし、同じ反目しあう両親の下で放任され、小学生の時に米兵に強姦されたトラウマを持つ姉が、まっすぐに生きている姿を対置することで、作者は、それを否定しています。
 このままではいけないと感じつつも、自ら暴力支配への屈従を選び続ける主人公に、米兵への抗議行動のデモ隊や演説に対してそんな生ぬるいことでは何も変わらないと言わせることで、抗議の意思を示すことさえできない主人公のより屈折した様子が浮かび上がります。薬で酩酊状態にされながら、自力で支配を脱した少女に、主人公は少女を連れて逃避行を試み自分が少女の保護者のようにふるまいますが、少女はそうは思っていないことがラストで示されます。
 自立への行動を起こさずに屈従を選び続ける者と反撃に立ち上がった者の差は、「ほんのわずかな差」ではなく決定的に大きいというのが作者のメッセージでしょうか。

 しかし、それにしてもエンディングはどこまでもやるせなく救いがたい。ハッピーエンドは無理としてももう少し救いのあるまたは美しい終わり方はできなかったでしょうか。全般に流れ続ける暴力と薬とセックス(と言うより強姦)の重苦しさとあわせて、気楽に楽しく読むのは無理です。覚悟して読むタイプの本ですね。


目取真俊 影書房 2006年6月23日発行
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