鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.161『師匠の精神世界に住むのが弟子』(12章)

2006年07月23日 | ヨハネ伝解読

~~絵画は「使徒ヨハネ」(1866)by Peter Nicolai Arbo~~



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=聖句=
 「弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った『どうしてこの香油を300デナリで売って、貧しい人たちに施さなかったのですか』」(12章4~5節)
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 ユダ考察の続きです。今回も聖句はおなじです。

               
           

 ユダヤ国家では、イエスを見つけたら捕らえて殺すべし、という公的決定を下しました。イエスは、一旦、荒野に逃れて危険を避けました。ところが、一転して、危険の地にいくという。それは、死ぬためだという。

 ~~ここまでは前述しました。


                  


<もうやっとられない・・・>

 ユダは困ります。
 それでは、成長した大教団の幹部になる夢は砕け散ってしまいます。
 「一体何を考えているんだ・・・」

  他の弟子たちも、途方に暮れました。しかし、彼らは、イエスの言うことが理解できなくても、とにかく、それに従おうとしつづけました。彼らは依然として、精神的にイエスワールドの中に住み続けたわけです。

 この点、ユダは違いました。「もう、やっとられない・・・」彼の精神はイエスワールドの外に出てしまいました。彼は、自分の世界に立って外からイエスを見るようになりました。

 だから、批判が自然に出るようになったのです。
「この香料を売って、貧民に施すべきではないのか。先生だって日頃貧しいものに施せと言っておられたのではないか。自分の足に注がせているのは、自己矛盾ではないか」と。

 ここは大切なポイントになっています。師匠と弟子との関係のエッセンスを教えられます。

               


<まだ全ては理解できないから「弟子」>

 弟子というのは、師匠の言うことがまだ全ては理解できない存在なのです。にもかかわらず、言われたとおりにやる。素直に真似る。それを通してしか、わかっていくことは出来ないのです。

 では、そうして理解できるようになったら、彼らはどうなるか。
 弟子でなくなります。

 イエスは後に、その状態を兄弟といっています。兄弟の間では、話せばわかるという姿勢でありのままに説明します。そして、実際、イエスは後にそれをやるのです。次の聖句をご覧下さい。

 「そのときイエスは彼ら(弟子たち)にいわれた『恐れることはありません。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい』」(マタイによる福音書、28章10節)

               


<ユダは「イエスワールド」の外に>

 でも、ユダの心は、すでにイエスワールドから出ておりました。
 彼は、自力で考え、独自な打開策を実行せずにはいられなくなっておりました。
 ユダの動機に関しては、もう一つの推察をすることができそうです。が、それはもうすこし後になって、スペースがあれば書くことにしましょう。

                

コメント
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