
ヨハネ伝解読を続けている内に、その意図を見失いがちになります。
ここで確認しておこうと思います。
春平太は、数人前後のスモールグループでの聖句吟味活動が、
日本での福音普及だけでなく、日本人の知力を底上げする鍵だと思っています。
吟味活動は、聖書解釈自由の原則で行うべきものです。
その活動にこの「ヨハネ伝解読」が役立てばと思って書いています。

正しい解釈を示そうとして書いているのではありません。
それなら、教理の作成になります。
そうではなくみんなで吟味するとき、一つの参考になればいいと思って
やっています。
春平太自身、同じ聖句でも、以前と今とことなる解読になることがよくあります。
聖句はあまりに深く多様であり、これが絶対的解釈といえるものに、
人間が至ることはなさそうだと、いつも感じてやっています。
始めて聖書を読む人々のグループでは、
納得する解読になかなか至りがたいことがあるでしょう。
そんな時、一つの解読事例として利用していただけたらと思っています。

それにしても、日本の人々が小グループの聖書吟味会を愛好するようになる
可能性はあるでしょうか?
読者の皆様が、コメント欄で議論してくだされば、ありがたいです。
それは私の参考にもなります。
よろしくお願いいたします。
