スモールグループというのは、形式的には、数人の小さなグループであるにすぎません。
そんなものが、なにか、特別のコミュニケーション効果を発揮するのか、
という疑問がでても、不思議はありません。
だが、ここで物事を吟味するというのは、聖句を対象にしない場合にも、
特別の効果を持つのです。
映画「怒れる12人の男」は小グループ制の卓越した効用をよく示しています。
これはアメリカの陪審員が犯罪を吟味する物語です。
白黒(ヘンリーフォンダ主演)と、カラー(ジャック・レモン主演)との
二つの作品が造られていますが、白黒をDVDで買うことが出来ます。
<陪審員制度と裁判員制度>
アメリカは、犯罪の最終的判断を、陪審員という一般市民で構成された
12人のグループに行わせます。
今話題になっている日本の裁判員制度は、この性質を日本の裁判にも
取り入れようとするものです。
この映画では、一人の卓越したリーダー(ヘンリ・フォンダ演じる建築家)がいます。
他は、凡庸な知性状態の人々ですが、
持って生まれて、知的素質が低いのではありません。
日常的に、そんなに知性を働かせない方がいい仕事が世の中にはたくさんあります。
多くの人は、そういう状態にあるので、知的素養が劣化した状態になっているのです。
映画は、アメリカでもそうであることを示しています。
そうした彼らの知性を、事実上のリーダーである建築家が討議の中で
徐々に上昇させていく状況が、この物語には如実に描かれています。
スモールグループの討議の中でそれを行いますと、他のメンバーには、
「教えられている」、という感覚が生じません。
自ら主体的に考えているという意識になって進みます。
実際彼らは、その感覚で知識を取り入れて前進するのです。
<個々各々のレベルから出発させる>
それは自分たちの出発点の知性レベルを、当然のこととして受け入れられているからです。
そのレベルが許されているので、萎縮することなく、
かつ情念をもって討議を進めていくことが出来ます。
それでいて、いつのまにか結果的には、リーダーの行動に刺激されて、
自らの知的レベルを上昇させていきます。
陪審員としてのあるべき思考をも学んでいってしまいます。
こういうことは、自由な思考・発言がゆるされたスモールグループだからこそ
可能になるのです。
一方的に知識を供給される、講義形式では決して出来ません。
この陪審員たちの小グループ討議では、リーダーの建築家は、
議論が紛糾してしまった状態の時、立ち上がって
「自分の印象をいわせてもらうと・・・」という形でさりげなく
ティーチインをしたりもします。
こうして事件と証言の見方を他者に教えていくのです。
<彼も教えられる>
彼は、最初からこの事件の全貌に関する一定の見解をもっています。
だが、彼自身も見逃している詳細な事実を、メンバーの発言によって教えられていきます。
そのように詳細は見逃しているところもありますが、概略の全体感はもっています。
ですからみんなを一定の方向にリードしていかれます。
これは、他のメンバーより高い水準をもったリーダーのいる小グループの形態を描いています。
その効用を、如実に示しています。
ごらんになると、スモールグループがいかに特別な効果を持つかを、
悟ることが出来ると思います。