鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

15.<民主制の有難さと難しさ>

2013年10月06日 | 聖書と政治経済学





<民主制の有難さ>

民主制の最大の効用は、なんといっても「人民に日々の安心感を最も大きく与える」ことである。

政治決定には、人民の生活に関わる面が多い。
徴兵、兵役に関する決定など、その代表で、これは国民の生死に直接関わってくる。
この決定権が他者に握られている状況では、日々の生活での不安は大きい。
独裁制はその典型である。

ところが民主制は、その決定権を全人民に均等に分与してくれる。

決定権を分与するならば、決定に必要な情報も与えないわけに行かない。
こうして人民には、政治決定に関する情報をもつことも、権利として与えられる。

同時に、人民はその事柄について互いに忌憚なく語り合う必要もある。
だから、言論自由の権利もオートマチックに伴ってくるのである。

これらが民主制を恐怖から人民を最大に解放する制度とする。




<同時に人民には「厄介な」制度>

だが同時に政治分野には人民にとって「わからないこと」が極めて多い。
政策実施局でのいわゆる事務プロセスや運営状況のわかりにくさは、前回述べた。
それに輪をかけて奇怪にして不可解なのが、前々回の「物的暴力手段」(警察と軍隊)にかかわることがらである。

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第二次大戦の終盤に、米国は何故原爆を二つ落としたか。この真の理由を見出すのは難しい。
ましてやこの行為が正当だったかどうかについての究極の答えを見出すのも容易ではない。

もうひとつ最近の具体例を出しておく。
詳細は読者が各々ネットで調べていただきたいが、9.11の同時多発テロのしばらく後に、こんな事件があったという。

この事件の真相を探求していたNHKの論説委員だったか、幹部の人が死体になって発見されたという。
爆破されたタワーには約4000人のイスラエル系ワーカーが勤務していたが、
彼らは誰一人として死ななかったらしい。当日出勤していなかったのだ。
ということは、あの日、タワーに民間旅客機でテロリストが自爆突入するという情報が、
彼らには事前に伝えられていたことになる。

この論説委員はこの実状を追求調査していた。そして、まもなく原因不明な死体となって発見された、という。
さらに、この事件がマスメディアで報道されることもなかったという。

鹿嶋が「・・・という」を繰り返さねばならないほど、この話は闇に包まれている。
おそらく、与党政治家の大半もこの実体は知らないのではないか。
ましてや、我々人民にはわからない。

ではあるけれど、これもまた国際関係、外交関係の政治決定テーマである。
民主制度では、人民はこの種の事柄も推察して、決定に参加せねばならない。
民主主義制度というのはそういうやっかいな制度なのだ。





<まず歴史を知ることから>

この壁をどう破ったらいいか? ~というと、通例は、対処策を出すことになる。
だが、このケースはその前にやるべきことがある。

それは、そもそもこの制度はどのようにして出来たか、の歴史を認識することである。
なぜならこれが、人類にほとんど知られていないからだ。
歴史的実情を知らないでは、話にならないのだ。


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この制度は、1700年代の終わり、18世紀の末に米国に出現した。

造った人々は、聖句主義者と言って、聖書の中の言葉(聖句という)そのものを
直接吟味する活動をいのちとしてきた人々である。

彼らは聖句そのものを数人のスモールグループで自由に吟味し合う活動を、人生の核にしてきた。
実は、民主制度は、これを原型にして出来ている。
こういう吟味会を、国家権力や社会勢力の妨害無くして出来る国家を目指して
彼らはこの制度をとうとう米国で構築したのだ。


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彼らは、筆舌に尽くしがたい迫害を受けるなかで、1500年にわたってこの生活様式を守り通してきた。
聖句主義方式は、それほどに人間にとって魅力あるものなのか。
魅力の源泉は何処にあるのか。

そしてそれを知るためには、そもそも聖書とはどういう書物なのか、を知る必要がある。
従来聖書は、沢山ある宗教の経典の一つとして、並列的に捕らえられてきた。
まずそこから脱却して、書物そのものを具体的に眺めねばならない。

そして、調べてみると、これは何とも特別な書物なのだ。
次回にそれを述べる。








コメント (1)
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