<聖書は特異な宗教教典>
人間は、ものごとの奥に見えない意識体を感じて暮らす生き物である。
人はこの意識体を神と呼び、人間以上の力を持つとして恐れ敬う。
山や川や海や強風、さらには雷などのなかに、人は漠然と神を感じてきた。
人間のこの感覚は「神覚的存在」という言葉で表現されることもある。
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それ故、人が神を拝する現象が世界の至るところで起きることになる。
そしてその中から、さらに進んで、拝する神の属性を言葉で表現する人もでる。それが「教え」である。
教えを書き留めた文書が教典である。教典をもつ宗教は高等宗教と呼ばれることもある。
もたないでただ拝するものは原始宗教と呼ばれる。
<旧約聖書は1000年余に渡る啓示受信集>
教典は言葉でもって神のイメージを形成する。だからこれをもつ宗教は土地空間の制約を離れて普及拡大する可能性をもってくる。
通常それは次のようにして出来る。
まず教祖が霊的経験をし、それをもとに教えを語る。これに共鳴・信頼する人々が現れると教団が出来る。
そして、彼を取り巻く弟子や後継者たちが教えを書き残すと教典になる。
だが、キリスト教の教典である聖書は通例の宗教教典とかけ離れた出来かたをしている。
それは旧約聖書と新約聖書との二部からなっていて、旧約聖書の部は開祖イエスより遙か前に出た霊感者の啓示受信集である。
昔からイスラエルの民は、「全能にして万物をつくった創造神が、人間に向けて啓示メッセージを発していて」
かつ「霊感のとびきり豊かなのもはそれを受信できる」と信じていた。
古代イスラエルの霊感者たちは、まるで長期のバトンリレーをするようにして、
1000年以上にわたって創造神からの啓示と信じた受信内容をひたすら書き残した。
そして民族はその記録を保存した。
霊感者たちは預言者(prophet)といわれている。受けた啓示を「言」葉にして「預」かる「者」という意味である。
先のことを予言するいわゆる「予」言者ではない。
預言者は聖書に名が出てくるだけでも20人を超えている。最初の預言者著者は映画「十戒」でも描かれたモーセである。
彼から最後のマラキに至るまで、預言者は紀元前1500年頃から1000年ほどに渡ってイスラエル民族の中に周期的に出た。
なお、霊感は感性が果たす直感という働きの中の一機能であって誰にでも多少はあるものである。
「ピンとくる」とか「虫が知らせる」とか「第六感で感じられる」というのもその働きによる。だが一般人の場合その感性機能はあまりつよくない。
そうしたなかでとびきり霊感が豊かなものも何万人に一人くらいの割合ででるものである。
古代イスラエルでは、この超霊感者たちが各々教祖となって独自の宗教を起こすことはしなかった。
彼らはバトン競争の走者がバトンを手渡してリレーするかのようにして受信内容を書き残していった。
これがイスラエルの預言者たちであった。
旧約聖書は、イエスが生まれる400年も前にすでに完成している。
キリスト教では開祖の誕生に先立つこと1500年も前から教典は書き始められ、
完成後も400余年にわたって保存されてきているのである。こういう教典書物は他にみられない。
<新約聖書はイエスの教えの記録集>
他方、新約聖書は、イエスの伝記とその教えの記録集である。
分量をページ数でみると、旧約の方が全体の四分の三、新約が四分の一となっている。
新約聖書はAD33年にイエスがいなくなって後に、紀元後1世紀が終わる頃までに徐々に出来ていったものである。
イエスはすでに存在していた旧約聖書という大冊の教典を真理の書として、
すべての教えをこの教典を解読する形で述べた。
<弟子たちが初代教会を開始>
キリスト教会を開始したのはイエスの弟子たちである。
かれらはイエスなきあと「私の教えを地の果てまで宣べ伝えよ」との命令に従って、宣教をはじめた。
するとイエスがなしていったような奇跡が、彼らにも伴った。
驚いた人々は奇跡が現れたわけを知りたくて、弟子たちのもとに殺到した。
もちろんこの時代にも教典は旧約聖書だけである。弟子たちはイエスがしたようにして旧約聖書を解読してみせた。
イエスはどんな解読をして見せたか。
彼は生前、「旧約聖書は自分のことを述べたもの」との全体観を与えた。
といってもそこにはイエスの名は出てこない。だから、もしそうならそれは比喩で述べられていることになる。
比喩ならば読み解く必要が出る。彼の教えは旧約がどのように彼自身を示しているかを、解説(解読して示す)する形でなされた。
弟子たちもまた、旧約聖書を解読してイエスがどんな方かを集まった人々に示した。
人々は胸を打たれ、約3000人がこの日に弟子たちの群れに加わった。こうしてできた人の集まりを初代教会という。
<自由思考小集団の連携組織が誕生>
初日から3千人が加わった初代教会は、エルサレムだけでも短期間に3~5万人の教会になったと推定される。
使徒たちは参集者を数人ほどの小グループに分け、そのうちの一人の家で旧約聖書の聖句を自由に討議させた。
彼らは新しく聖句を選んでそれが「どのようにイエスのことを(比喩で)示しているか」を解読しあった。
弟子たちは各グループにリーダーを一人選出させ、信徒が創造神礼拝も賛美もそこで行うようにした。
後にこれが「家の教会(house church)」と呼ばれることになる。
彼らはまた、複数グループで協力して活動することが必要なときには、各グループリーダーが交信し合って連携した。
その結果、この教会(信徒集団)では独特の組織形態が実現した。
通常社会では、大きくなった人間集団は、ピラミッド型の管理階層組織を作る。これが命令系統を形成して一般メンバーを統率する。
だが初代教会の組織は自由思考スモールグループの任意連携体とでもいうべきものであった。
教会には管理者の階層組織もなく命令系統もなかった。
自由発言の小グループがあって、他グループとの連携はリーダー会議でもってなされた。
使徒たちはそれらの活動に奉仕した(minister :大臣をministerというのはこれに由来している)。
時には長老として相談に乗り、時には牧師として説教した。時には監督として全体に目配りし、また時には自ら開拓宣教に出た。
だから彼らは時に応じて長老とも牧師とも、また監督とも呼ばれたのである。
初代教会はその方式でローマ帝国全土に宣教活動を広げ、短期間に信徒数が推定百万を超えた。
この大集団が小グループの自由連携方式でもって一体性を維持した。教団全体がまとまりをもって組織として存続・成長できた。これは組織論的にも画期的な出来事である。
今述べたように通常社会では、大きくなった人間集団は、ほとんどすべてがピラミッド型の管理階層組織を作る。これが命令系統を形成して一般メンバーを統率しつつ集団を運営していく。
ところが初代教会ではこの管理組織は出現しなかった。人類史初の「もう一つの集団運営方式」ともいうべき方式で初代教会は運営されていった。そしてこれは民主制度の極致のような組織形態といってもいいものでもあった。
だがこの集団は古代、中世の為政者には「神経をいらだたせる存在」でもあった。