鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol. 17  ローマは「明かるい市民国」

2016年02月14日 | キリスト教の正しい学び方




こんにちわ。

「キリスト教の正しい学び方」・・・今日はキリスト教を大宗教にした土壌である、ローマ国をみておきましょう。

イタリア半島の中央を東西にくねるようにして川が流れています。
チベレ川です。
この流域には小さな部族国家がいくつかあったと思われます。

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国家というのは、統治者がいて、彼が発する秩序とその統治を大半の人民が受け入れて、
軍隊と警察がいれば、できあがります。

天才社会科学者マック・ウエーバーは、国家成立のための二本柱を、人民の「正当性意識」〈時の統治者の統治を正当と思う意識)と「物的暴力手段」〈警察と軍隊)だといっています。

国家はこの二本柱が成立すれば、出来上がるのですから、どの地方の部族社会も国家となることが出来るわけで、ローマ国はその一つでした。

これが異例に発展拡大したのが、後のローマ帝国です。




<血族王制>

異例に発展した原因のひとつ、それは、このが異例に濃厚なパブリック精神をを持っていたことでした。

人間は産まれてまず、肉親の濃厚な愛情の中ではぐくまれて育ちます。

それによって出来る血族感情は、成長後も意識のベースになります。

だから、社会のなかでも、各々は血族を土台にして活動します。

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その内の力ある一つが部族の全体に関わる問題でリーダーシップをふるいます。

そうして、全体を指導していく内に支配権をもち、統治者となります。

だから、国家統治は一つの血族が中心になって行うのが通常でした。

その頂点にたつ人物が王です。

そして王はその血族の中で継承されていきました。

それは自然の情に沿ったことで、古代の国家はこの血族王制が通常でした。




<パブリック意識が異例に強い部族>

ところが、後にローマ帝国となる部族の民は、パブリック精神を強く持っていました。

パブリックという語の意味を適切に伝える日本語はなかなかみつかりません。

当面、「公民」とか邦訳されていますが、日常語にはなっていませんね。

むしろ、「市民」の方が近そうですが、これも我が国では単に「都市に住む人」を意味することが多いです。

なかなかいい邦訳語がありません。




<パブリックとピープル>

英語で考えましょう。

パブリックはピープル〈人民)というのとは違います。

ピープルは国内の人々全部です。

対してパブリックは、一定の条件を備えた限定された人々を意味します。





<マン・オブ・ノー・プリンシプル>

ローマ国市民は現代の米国市民に似た面を持っています。

そこで、米国の例でいいますと、米国でのパブリックは、自分の哲学(人生観)をもち、普段それを明白に表に出す人々です。

人生哲学を持たなかったり、隠したりする人には「マン・オブ・ノー・プリンシプル(行動原理を持たない人間)」という言葉があるくらいです。

こう判定されたら、その人はバブリックではない、単なるピープルとなります。



米国では、このパブリックが「市民」です。

この多くの市民にもてる力をフルに発揮させ、それを結集して運営している。

これが米国の強大な国力の源泉です。


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こういうとそんなこと、当たり前じゃないか、そうでない国なんて有るか?
と思う人もいるでしょう。

ところがあるんですね。

人間は、自己の心情を隠して行動を読まれないようにしたうえで、他者の裏に回るようにして生きることもできます。

そしてその方が、当の個人には概して益が多いものです。

だが、そうすると、裏に回られて損をした人の中には、以後自分もそうしようと考えるものも出るでしょう。

この過程が進めば、ホンネを隠して腹を探りあう人が大半の社会になってしまうでしょう。

こうなるとコミュニケーション効率が急低下して国家社会の効率も悪くなってしまいます。



米国は社会の「効率」を金科玉条にしている国です。

こういう「コソコソ人間」に敏感なのです。

嫌悪して、「パブリック」(市民)として加え共に働くことをしないのです。


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歴史を学ぶと、ローマ人にもそれに似た精神資質が濃厚に感じ取れます。

社会効率重視の合理性を強く持っていた。

パブリック志向が、血族志向に勝るとも劣ることなく強かった。




<王制と共和制を入れ替える>

それは統治システムにも現れています。

当初この小部族国家は、王制で、王の血族が王位を継承していました。

ところがあるときに、王制をやめて、元老院での合議政治に切り替えているのですね。

これがいわゆるローマの共和政治です。


その方が、より多くのパブリックの力を国家活動に参加させ、力を伸ばさせることができます。

ローマ部族国家は、必要ならそれをチャッカリやってしまうのですね。




<必要なら王政復古もチャッカリ>

ところが、共和制では、有力者が複数で政治を行いますから、見解が分かれてまとまらないことも起きます。

特に国家規模が拡大すると、これが起きやすい。

すると、今度は皇帝を造って、王制復帰してしまう。

まったくローマ人は、目的合理性の民でした。

古代には異例な民族だったのです。




<パウロもローマ市民権を持っていた>

余談です。

ローマの「パブリック」である「市民」、これは特別な権利(市民権)を与えられていた。

そして驚くべきことにこの市民権は、多民族の人間に売り買いすることも認められていました。


初代教会時代に、大車輪の活躍をしたパウロという宣教者がいます。

彼は、ギリシャ居住のユダヤ人(これをグリーク・ジュウといいます)でした。

そしてローマ市民権をもっていたことが、新約聖書から伺うことが出来ます。

父親が買った市民権を相続していたのでしょうかね。

とにかくそんなことで、ローマ人はなんとも合理的な国民だったのです。





<強くなるべき国>


話を戻します。

人民の中から市民を選び、彼らを独自な形で編み上げて造った国家。

こういう国家は、経済力でも軍事力でも血族支配国家を凌駕して成長していきます。
(米国史をみたらわかります)

ローマ部族国家は、、チベレ川周辺の他の部族国家を、楽々と征服、吸収していったでしょう。

それに留まることなく、この国は他の周辺国家をも次々に征服して、大国家になりました。


そして、この国がキリスト教大普及の最初の土壌になった。

その内容を次回もう少し追加しましょう。



(「キリスト教の正しい学び方」   第17回  完)








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