【霊的感銘を補填する】
教理統一方式に話を戻します。
ここでは信徒(教会員)は、教団が正統だとする聖書の解釈を与えられます。
信徒は聖句探求を全くしません。
すると、聖句の奥義の発見をしたときの「真理を見出した!」という霊的感動は得られません。
この霊感の充足不全に対して、担当指導者は、様々な演出やサービスで補填をしました。
【荘厳な礼拝儀式】
その方策の代表は、荘厳な雰囲気での儀式です。
指導者たちは、日曜日に厳粛な礼拝儀式を開催して大衆信徒を敬虔な気分にしてあげました。
礼拝には壮麗な式服で登場してあげました。
献金でもって壮大な礼拝堂(聖堂)の建設もしました。
音楽は霊感を開く効果を持つので、訓練された聖歌隊に賛美歌の合唱もさせました。
指導者はこうした礼拝儀式を毎週準備し実施しました。
【週日にも儀式サービス】
彼らは週日にも、一般信徒の日常生活の折々に適した神秘感ある儀式サービスを提供しました。
近親者が死んだら葬送の儀式をし、結婚には結婚式をし、子供が生まれたら祝福の儀式をしてあげました。
信徒はその時々にあらたまった霊的な気持ちなることができました。
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指導者はまた、信徒を規律で縛ってあげました。
聖書にある律法(人間が守るべき、と与えられた法)を援用してそれを行いました。
規律は宗教的感触をも与えるのです。
荘厳な演出と適度な規律、教理統一教会は、その二つで「真理に触れた!」という実感の欠如を補いました。
【指導者需要が急増し職業僧侶が出現】
教会発足当時の指導者は、自発的奉仕のボランティアでした。
奉仕への自発的謝礼はありましたが、制度化された報酬(給与)はうけていなかった。
だが、教理統一方式を採ると、教会指導者の仕事は激増しました。
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聖書のわかりやすい要約を合意し合って作っていくのは大仕事でした。
荘厳な礼拝儀式を、毎日曜毎に挙行できるよう準備するのも大変でした。
週日に、信徒に様々な儀式サービスを提供するのも、骨の折れる仕事でした。
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このような業務をボランティア奉仕者だけでこなしていくのは不可能でした。
かくして教理統一教会では、指導業務に専念する職業僧侶の育成に進まねばならなくなりました。
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職業として専念すると、僧侶の業務能力は洗練され、多様化していきます。
教会堂設計に優れたものも、音楽編成能力に卓越したものも現れました。
神学(聖書解釈学)能力に秀でた者は、神学校設立に注力し、後継僧侶を養成しました。
【階層管理組織で統率することが必要になる】
教理統一方式の教会には、もう一つ課題が生まれました。
拡大する教会を、一体性を維持しつつ運営していくことがそれでした。
大衆信徒には、自由吟味者たちのように世界理念を深く共有しあうことがありませんでした。
だから自発的に一体化する力が弱く、指導者の方から統率する力を加えつつ運営する必要がありました。
そのためには多数化していく僧侶自身が、整然と組織的に仕事をしていなければなりません。
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これには管理階層を形成するのが有効なのは世の常です。
彼らは自らピラミッド型組織を形成しました。
そして、その命令系統の中に、信徒を組み込んで統率しました。
【司祭、司教、大司教】
職業指導者は司祭、司教、大司教という職位をつくりました。
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司祭の職務は、各地の教会の礼拝や聖餐の儀式を執り行うことです。
聖餐とは、イエスの肉と血を記念するため、パンと葡萄酒を口にする行為です。
イエスは教会ではそれをするよう、命じていきました。
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司祭の職位は会社でいえば、課長とか係長に相当するでしょう。
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司教の職務は、各地の教会やそこの司祭たちを地区ごとにまとめて統率することでした。
これは会社や役所ではでは部長です。
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大司教の職務は、司教の管理する地区をさらに複数まとめて管理統率することでした。
これは重役ですね。
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教団全体に関わる事柄は、当初は大司教の会議で決めていました。
だが後年、教皇(法王ともいう)という最終決定の絶対的権限を登場させます。
これは社長です。
これによって、大司教の会議で意見が分かれて膠着状態が続くようなことがなくなりました。
(Vol.4 <訳者解説>3 ~様々な霊感補填と管理階層組織~ 完)