前回、鹿嶋は「やってみればわかります」と一度ならず申しました。
実際、聖句を手がかりにして想像の世界を巡るという知的精神的作業がもたらす効果は、
「やってみて体験」しないことには悟りがたいところが多いです。
だた実のところ、これは日本人の読者には、とてもとても実行しがたいことです。
<もう「見えない世界の話」は絶対信じない!>
戦後日本文化は、第二次大戦での敗戦によって開始されました。
それは「見えない世界」を信じたことへの大反省によって始まりました。
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~曰く、我々は「天皇は現人神であり、そのために死ねば霊魂は靖国神社に祀られる」と小学校から教育されて、信じ込まされてしまった。
そのため「神風が吹いて鬼畜英米をやっつける」と思って特攻隊員となって多くの若者が死んでいった。
だが、沖縄を米国艦隊が包囲しても、神風は吹かなかった。
目が覚めてみたら、あれは犬死にだったとわかった。
あれは真っ赤な嘘だったのだ。
もう宗教は金輪際信じないぞ。
見えない世界のことは絶対に信じないぞ。
~この単純な信念を敗戦後の大人は心に固めました。
そしてその哲学をベースに、戦後日本の精神文化は積み上がっていきました。
~鹿嶋は戦後当時、4~5歳の幼児でしたが、その空気をなぜかリアルに感受していました。
お兄さんたちは宗教を毛嫌いしていました。
彼らは「ああ、さっき坊主(お坊さん)を見てしまった。今日は一日縁起が悪い」と日常的に口にしていました。
われわれ子供たちもそれを真似しました。
今の若い人には信じがたいかも知れませんが、これ本当ですよ。
今はそれほどダイナミックではありませんが、基調は変わっていない。
今も日本は戦後文化の中にあります。
<強い嫌悪は「恐怖」につながる>
宗教を毛嫌いする心理は、「見えない世界」を想像することへの恐怖感につながっています。
戦後の大人たちは、見えない世界の話を聞かされると、とたんに、フリーズし固まってしまいました。
私たち幼児もその空気に中で、同じ心理習慣を身につけていきました。
鹿嶋も例外ではなかった。
そしてその気質は、成人になっても続きました。
「見えない世界」の話を聞くと、反射的に恐怖しました。
<戦中派に顕著>
この習性は、いわゆる「戦中派(戦時中に青少年だった世代)」にはとりわけ顕著でした。
現在はその世代は90歳近くになって、多くは逝去しています。
だが、その後の世代にもこの習性は濃厚に残存しています。
これはよほど意識して論理的に対決しないことには、消えることがない。
現在の鹿嶋は例外的日本人なのです。
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だから、「やってみればわかります」の言葉は、当面空転し続けます。
けれども、それでも正論は言い続けるべきと、鹿嶋は思っています。
経験的現実に標準を合わせてしまえば、本は売れやすくなる。
だがそれでは、『バプテスト自由吟味者』の制作主旨が貫徹しなくなってしまいます。
~今は売れなくても、これから一人、二人と「読んでみようか」と思う人が出てくるだろう。
そのとき、本が入手できるように、訳者の費用で在庫を保持しよう。
~そういう姿勢でやり続けます。
みなさま、恐怖感が希薄になったら、「やってみて」ください。
それまで鹿嶋は、「やってみなはれ、やってみなわからしまへんで」という
鳥井信治郞(サントリー創業者)の言葉を復唱し続けましょう。