
山本周五郎、没後五十周年だそうです。
NHKBSプレミアムで「赤ひげ」(毎週金曜、午後8:00~8:45)8回連続番組をやっています。
周五郎の人間哲学「人間がひたむきにした事はみな善だ」が、久方ぶりに私の心によみがえってきました。
この作家は、「たとえ殺人であっても、飢えた我が子に食べさせるのにそれしか出来ない人間が行った行為なら」それは善だ、と考えます。
「貧困と病気と絶望に沈んでいる人たちのために、幸いと安息が恵まれますように」
~周五郎のことばです。
彼は小説の中で、貧しく無知になるしかなかった人間に、限りない慈しみの念を注ぎます。
そうした目で特に、江戸時代の庶民の、いとおしいほどの「ひたむきな姿」を描きました。
昭和40年代の日本人の多くが、彼の「人間愛」に心を温められました。
鹿嶋も二十代のとき、特にそうでした。
周五郎の突然の逝去に衝撃を受け、喪失感を埋めるようにして追悼書のようなものを、買いもとめたりしました。
『人間・山本周五郎』木村久邇典、
『山本周五郎~宿命と人間の絆』山田宗睦、
『わが山本周五郎』土岐雄三、
『山本周五郎~人間愛のうた~』川端康成編
・・・などが、今も書棚に残っていました。
久しぶりに取り出し、懐かしく読み返してみました。

<昭和年代最大の作家>
周五郎ってどうしてこんなに物語作りが巧みなのか、と当時思いました。
いまあらためてドラマを見てもおなじ驚きを感じます。
「昭和年代最大の作家」という評も、昭和がまだいつ終わるかわからない頃から、彼に対して有りました。
いま、平成になって30年近くが過ぎています。
あのときの評は間違いなかったと鹿嶋は思っています。
ちなみに彼は、まるで聖書の論理を知っているかの如くに「世の栄誉」を生涯拒否し続けました。
今も直木賞を断った只一人の作家ですし、その後の毎日出版文化賞、文藝春秋読者賞などみな辞退しています。

<西欧では共感は得られない?>
周五郎の物語の精神世界は、人間が共感と同情と慈しみの感性を全開させて生きる世界です。
だからこそ、江戸の庶民の心情をあれほどまでに深く繊細に想像し描けたのだと思います。
だが彼の作品が西欧社会に翻訳本で紹介されたという情報は、鹿嶋の知る限りではありません。
西欧で出版されても、読者からの共感はほとんど得られないからだろうと思います。
周五郎ワールドは、創造神理念はかけらも持たない人間たちの物語世界です。
だからこそ、あれだけ庶民が喜び、悲しみ、愛し、誤解し、憎しみあう世界を、あれほどに深く繊細に描き慈しめるのです。
手放しで慈しみの心に浸りきれるのです。
日本というのは、まことに不思議な文化圏だと思います。

<熟成した創造神理念を植え込めるか>
ここに不用意に、創造神の視野を介入させたらどうなるか。
物語に余計な不純物が入るだけに終わるでしょう。
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だが、もしも創造神理念を十分熟成させて介入させたらどうか。
それが成れば、周五郎の「慈しみの心」を損なうこと無く、知的な自立心を読者の心情に植え込むでしょう。
創造神への視野と、人間への愛と慈しみは基本的には併存できるのです。
イエスの命令~
「まず創造神を心から愛し、次に隣人(人間)を愛しなさい」
~は、それを示唆しています。
でも具体的にそんなことが出来るのでしょうか?
それを実践したのではないかと思える牧師さんが三重県四日市市におられました。
その方は「創愛キリスト教会」を創立され、今年亡くなられたた堀越暢治牧師です。
鹿嶋は、機会を得て師の仕事を考察してみたいと思っています。
