Sightsong

自縄自縛日記

旨いジャカルタ その3

2013-10-05 13:04:48 | 東南アジア

今年になって4回目のインドネシア。

■ Scusa

インターコンチネンタルの2階にあるイタリア料理。そこそこの値段で、かなりいける。


マトンのグリル


クリームソースのタリアテッレ

■ Hoka Hoka Bento

あちこちにある「ほかほか弁当」。日本のほか弁と資本関係があるのかどうか知らないが、こちらの略称は「Hokben」である。

いつもの味で、こういうものに馴染んだ口には嬉しいのであった。


「Bento 4」


「自己送サービス」って何だ

■ Harun Manis

外国人向けのインドネシア料理。店内では生バンドが演奏し、綺麗に整えられている。いつものナシゴレンもミーゴレンも一味工夫してあって旨い。


「ワンメーター・サテ」


イカフライとマンゴーソース


魚の揚げ物

■ 滝川

突然足腰が痛くなり、翌日は胃を猛烈な痛みが襲ってきた。(理由は不明だがウイルスでも入ったのだろう)

そんなわけで、気持ちにも身体にもやさしい日本料理。City Walkの2階にあった。



天ざる

●参照
旨いジャカルタ
旨いジャカルタ その2
カフェ・バタヴィア


2013年9月、マンダレーの北

2013-09-20 07:34:01 | 東南アジア

ヤンゴン、ネピドーから、ミャンマー第2の都市マンダレーに移動し、さらに山道を6時間ほどかけて北上する。

途中からは外国人立入禁止地域となっている。治安ではなく、宝石の産地ゆえ、市場を荒らされないためである。勿論許可を得て入るのだが、その町に日本人が来ることは極めて少ないらしく、少数民族・リス族の女性たちによるダンスやカラオケ大会など、たいへんな歓迎を受けてしまった。

空いた時間に宝石市場に足を運んでみた。小さいルビーが数十万円もする。何しろ相場も良し悪しもわからず、買うわけもない。


山道は自動車で


トラック


売店


売店



厨房


ルビー


宝石市場の落書き


宝石市場のビリヤード台


炭鉱町のような宝石市場


ミャンマー独自の外壁


宝石町


帰路、売店


ダゴンやチャーンのほかにあやしいドリンクも


売店

※写真はすべてペンタックスLX、M40mmF2.8、Fuji Pro 400による。

●参照
2013年9月、シュエダゴン・パゴダ
2013年9月、チャウタッジー・パゴダ
2013年9月、ヤンゴンの湖畔
2013年9月、ネピドー


2013年9月、ネピドー

2013-09-19 08:02:50 | 東南アジア

ネピドーは、2006年にヤンゴンから遷都された首都である。

ただ行政の中心機能を移転させただけであり、その印象は極めて不自然だ。不便な場所にあり、近くに大きな産業が立地しているわけでもない。空港から市街まではだだっ広い水田地帯の中に立派な道路だけがあり、多くの人が道路脇で整備をしている。もしかしたら、このインフラ整備こそが主要産業なのではないかとさえ思えてしまう。

違和感は、2日間の滞在中まったく払拭されないどころか、どんどん増幅していく。

ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダを模して建造されたウッパタサンティ・パゴダは、配慮したのか、本家よりごくわずか低いだけの巨大なものであり、夜遠くから眺めると、闇の中に奇妙に浮かび上がってみえる。そして、訪れてみると、仰天してしまうほどの近代建築だ。明らかに、権威付けの象徴である。

街の中にも、滑走路ではないかというほどの広い道路があり、走っている自動車は少ない。また、価格を抑えたと思しき同じ形の住宅が、見渡す限り広がっている様は異様でさえあった。しかし、おそらくはさほど入居が進んでいない。それにも関らず、無数のホテルが建設中であった。受け皿ばかりを造って、はたして、都市として機能するようになるのだろうか。


ウッパタサンティ・パゴダを遠くから眺める


道端の牛


ウッパタサンティ・パゴダ


ウッパタサンティ・パゴダ


トウモロコシの収穫


トウモロコシの収穫


トウモロコシの収穫と広い道路


通りすがりの人


住宅群と子どもたち

※写真はすべてペンタックスLX、M40mmF2.8、Fuji Pro 400による。

●参照
2013年9月、シュエダゴン・パゴダ
2013年9月、チャウタッジー・パゴダ
2013年9月、ヤンゴンの湖畔


2013年9月、チャウタッジー・パゴダ

2013-09-18 06:45:08 | 東南アジア

ヤンゴンには無数のパゴダがあって、チャウタッジー・パゴダはその中でも巨大な涅槃仏によって目立っている。何だか、いちいち大きさに驚いているような気がする。

涅槃仏と書いたが、この仏陀の足は左右揃っていない。この場合にはDying BuddaではなくSleeping Buddaなのだそうで、その意味では、スリランカ・ポロンナルワのガル・ヴィハーラにおける仏陀もSleeping、タイ・バンコクのワット・ポーにおける仏陀はDyingということになる。しかし、必ずしもそう見えるわけでもない。

写真はすべてペンタックスLX、M40mmF2.8、Fuji Pro 400による。

●参照
2013年9月、シュエダゴン・パゴダ


2013年9月、シュエダゴン・パゴダ

2013-09-17 23:34:27 | 東南アジア

ミャンマー・ヤンゴンの中心部に位置する、巨大なシュエダゴン・パゴダ

まずはその大きさと金色の持つ迫力に驚く。人びとは、スリランカの寺院でのような激しさとは異なり、穏やかに祈っていた。

記念にと、土産物屋で、パゴタの形をしたお香立てを買った。どの店も、あまり商売気がなかった。ヤンゴンでしつこいのは、空港の勝手な荷物運びだけだった。ただ、あるルポによると、夜の歓楽街は、これまでとは別世界になってきているのだという。

写真はすべてペンタックスLX、M40mmF2.8、Fuji Pro 400による。


ミャンマーの麺

2013-09-16 10:30:06 | 東南アジア

ミャンマーで食べた麺料理。名前は覚えていないか、普通の英語での説明だったか、言わずにホテルで出されたか。

ヤンゴンのアウンサンマーケット隣にある「ZAWGY HOUSE」にて、幅広の麺。

ネピドーのショッピングセンター内にあった「Moon Bakery」にて、豚肉の麺。正肉だけでなく皮やレバーも「これでもか」というほど入っており、何だか途中で獣臭さに辟易して残してしまった。

マンダレーのホテル内のレストランにて、卵麺。ひたすら親しみやすい味。

外国人立ち入り禁止の僻地にあるホテルにて(勿論、許可を得て入っている)、やはり親しみやすい味の焼きそばに目玉焼き。万国共通の鉄板の組み合わせか。

同ホテルにて、揚げ大蒜を散らしたあんかけそば。餡は何なのかわからなかったが、豆腐のような食感で旨かった。日本のラーメン屋も、このアイデアは「いただき」なのでは?

同ホテルにて、ジャージャー麺風の卵麺。

おまけ。ヤンゴンの「SKY BISTRO」にあったカツ丼。そこそこ旨いが、何しろカツが多く二枚重ねで、その分ご飯が少ない。また、海苔の使い方が今一つ。それでも食べたい味だった。

●参照
旨いヤンゴン


ミャンマーの空

2013-09-12 05:31:00 | 東南アジア

インドネシアからそのままミャンマーに移動してきて、もっとも驚いたことは、空の広さ。ヤンゴンからネピドー、マンダレーと北上し、標高も高くなってくると、雲が低くなってきたようにみえる。


ヤンゴン


ネピドー


ネピドーからマンダレーに向かう


旨いヤンゴン

2013-09-10 14:04:22 | 東南アジア

ミャンマー初上陸。ラングーンといえばまた感慨も異なるのだろうけど、ヤンゴンである。

予想を上回る田舎ぶり。

■ dining fukurou

いきなり日本食。

ミャンマービールははじめて飲むがあっさりしていて旨い。ミャンマーには他にダゴンビールというものもあって、そちらはやや強い。

日本企業が押し寄せているためもあるのか、そういうところの日本食はハイレベル。鯖の塩焼きなんて本当に嬉しい。

■ Minn Lane Lakhine Monte & Fresh Sea Food

風通しがいい小屋のレストラン、ローカル度100%に近い。確かに魚介が新鮮で、賑わっていた。昼から酔っぱらって笑いまくる地元の人たちを見ると、こちらも笑えてきたりして。

■ SKY BISTRO

ダウンタウンのSakura Towerの20階にあるレストランで、どうやらこれが市内でもっとも高いビル。

ヤンゴン川の河口やパゴダを眺める場所でジュースを飲んだりしていると、そのまま動きたくなくなるのだった。

■ ZAWGY HOUSE

アウンサンマーケットの隣。新しいのかずいぶん綺麗で、内装が洒落ている。ここのおすすめはダゴンビールのようだった。


旨いジャカルタ その2

2013-09-10 09:23:44 | 東南アジア

ジャカルタ3日間。(いまはネピドー)

■ Samarra

店のつくりが中東風だが、インドネシア料理を出し、場違いにアメリカのポップスをかけている。いろいろな種類のサテを食べることができて、かなり旨い。

■ Ninety-nine

Grand Indoesiaの地下にある。同行者たちが、去年ここで一度食べたはずだと言うのだが、何も思い出せない。つまり清潔な隔離空間であり印象が希薄。しかし、普通に旨い。

■ SKYE

Menara BCAの56階にあるオープンエアのバー。何と専用エレベーターで昇る。眺望は最高で、もちろん怖い。

バンコクのBanyan Tree Hotelの62階にも、同じような「Vertigo」(めまい)というバーがあった(>> リンク)。みんなこういうものが好きなのかな。

■ Dirty Duck Dinner

鴨料理。何でもバリ島名物だそうで、バリ島に住んでいる仕事仲間が連れていってくれた。骨付きであるから、誰もが無言で黙々と食べる。

●参照
旨いジャカルタ


ジョコ・アンワル『Modus Anomali』

2013-09-01 13:55:11 | 東南アジア

インドネシア映画、ジョコ・アンワル『Modus Anomali』(2012年)。原題は「異常なモード」とでもいう意味のようだ。

ジャカルタのDVDショップで、400円位で買った。仕事仲間のインドネシア人に見せると、何だ正規盤じゃないかと言われてしまった。コピー製品がそれだけ普通だということである。

帰国して早速観たが、あらすじを書きたくもない、陰惨で異常な物語。何を考えているのか。

もっとも、インドネシアのアクション映画をくれと店員に訊くと出してくれたわけなので、こんな気色悪いものだと知らなかった自分が悪い。廃棄処分決定。


旨いジャカルタ

2013-08-31 21:39:48 | 東南アジア

ジャカルタ1週間。

■ Aroma Pondok Sunda

Senayan Cityの地下1階にあるインドネシア料理店。リブのスープや空心菜の辛い炒め物が旨かった。


サテ


リブのスープ

■ NERAYAN 漁家荘海鮮酒家

シーフードレストラン。割に有名なようで、店には日本人がちらほら。名物だという蟹のカレー炒めは、タイのSomboonと違い、かなりスパイシー。


エビマヨ


蟹のカレー炒め


いつもビンタンビール

■ Ichi Tomi

工業団地にある日本料理店。当然、日本人駐在員ばかりであり、このようなところはレベルが高い。から揚げ定食も旨かった。


から揚げ定食

■ Jitlada Thai Cuisine

Senayan Cityの地下1階にあるタイ料理店。まずいわけはない。但し、都市ガスの臭いとしか思えないドリアンのアイスは例外。


パッタイ


ヤムウンセン


ココナッツアイス

■ ドライブインにあるパダン料理の店

店名不明。何でもパダン料理だということだが、小皿を次々に並べ、欲しいものだけ食べるというシステム。どれもこれも塩辛く、ご飯と一緒でないと喉が渇く。


テーブルに乗りきらない皿


しょっぱい

■ 飛鳥

これも工業団地にある日本料理店で、かなりまとも。駐在員しかいない。

以前は外国に行って日本料理を食べるなんてナンセンスだと思っていたが、考えを変えた。仕事最優先であるから、短期滞在といえど、食べなれたものが欲しいのである。


ビーフステーキ定食

■ 屋台のナシゴレン

仕事仲間大推薦の屋台。確かに旨かったし、料理するところをみることができるし、何しろ90円くらいと安い。


手慣れた手つき


はやい


ナシゴレン


クロポという菓子

■ Kafe Betawi

スーパーの中にあったファミレス。やっぱり東南アジア料理はどこでも口に合うのが嬉しい。


牛テール


ナシゴレン


高野秀行『ミャンマーの柳生一族』

2013-08-14 07:51:40 | 東南アジア

高野秀行『ミャンマーの柳生一族』(集英社文庫、2006年)を読む。おかしなタイトルだが、フィクションではない。

2004年。著者は、作家・船戸与一に案内役を依頼され、ミャンマーに入国する。著者は、それまで、ミャンマーには2年に1回くらいの割合で行っているが、基本的には「非合法で行く国」であった。なぜかといえば、反政府少数民族ゲリラの支配区を訪れるためであり、それにはタイや中国との国境を非合法に越えるしかなかったからだという。のっけから驚愕である。

それで、何が「柳生一族」か。江戸時代初期、柳生一族は、徳川幕府安定のために表でも裏でも活躍した。ミャンマーは、テイン・セイン大統領のもと民政に移管したとされているが、それまでは、長い軍政期にあった。その維持のために軍情報部が必要とされたのだが(KCIAなどのように)、著者は、その軍情報部を柳生一族になぞらえているのである。

しかし、ミャンマーにおいては前例のない話ではない。建国の父アウン・サンは、抗日活動前に日本軍に取り込まれていたとき、何と、「面田紋次」という名前を付けられていたというし(ビルマ=ミャンマーを意味する「緬」を姓名に分割)、彼と共闘したネ・ウィン(のちに大統領)の日本名に至っては「高杉晋」。冗談のようだが史実だ。

そんなわけで、著者の悪乗りは際限なく続く。柳生一族の大目付たるキン・ニュン(軍情報部のトップ、首相)は柳生宗矩、そのライバルであるマウン・エイは松平伊豆守。幕府の最高権力者として、アウン・サンは徳川家康、ネ・ウィンは二代目・秀忠、タン・シュエは家光。アウン・サン・スー・チーは千姫。面白すぎる。

いつか使えそうなネタはいろいろある。たとえば、千葉真一(サニー千葉)は「サニチバ」と呼ばれ有名。真田広之は「ヘンリー・サナダ」。

ふざけているばかりの旅行記ではない。カレン、カチン、シャンなどの少数民族問題や、アヘンを財源としていたシャン州の独自性については、数少ない人にしか書けないものに違いない。

この取材旅行が終わった直後、柳生キン・ニュン宗矩は松平マウン・エイ伊豆守との権力争いに敗れ、終身刑を言い渡された。それに伴い、軍情報部は解体、柳生一族は崩壊。

さらにタン・シュエ政権からテイン・セイン政権に変わった今では、柳生キン・ニュン宗矩は恩赦にて軟禁を解かれ、松平マウン・エイ伊豆守は失脚させられた。盛者必衰。

大推薦の本なのだが、今後、ミャンマーのことを考えるときには、必ず「柳生一族」という言葉が浮かんできそうで・・・。


シンガポールのクレイポットとバンコクのカニ

2013-08-07 22:34:33 | 東南アジア

所用ではじめて足を運んだシンガポール。評判が良いという「Uncle Sam's Claypot」という店で、チキンのクレイポットを注文した。

クレイポット、つまり素焼きの鍋が熱々になっており、そこにご飯と具材が盛られている。石焼ビビンパ以外にこのようなものがあったとは、知らなかった。当然、慌ててかき混ぜなければならない。写真を撮っていたら、少し焦げてしまった。

それにしても、「アメリカ人の素焼き鍋」とは何という名前か。

そのままバンコクへ移動。この街では、いつも、「Somboon」に行くことにしている。バンコクで仕事をする日本人は、ほとんどこの店を知っているといっても過言ではない。(ボッタクリの偽の店があるので要注意。)

目玉料理は、カニのカレー炒めである。ただ、カレー味はさほど感じない。カニ肉とふわふわの卵の組み合わせが、実に旨いのだ。


アピチャッポン・ウィーラセタクン『ブンミおじさんの森』

2013-06-23 00:22:59 | 東南アジア

アピチャッポン・ウィーラセタクン『ブンミおじさんの森』(2010年)を観る。

タイ東北部。森林や自然が残り、ラオスからもメコン川を越えて働きに来る者がいる地域。

腎臓を病んだブンミは、先が長くないと悟り、亡くなった妻フェイの妹ジェンと親戚のトンを呼び寄せた。夜、3人で食事をしていると、そのフェイが半透明の姿で横に座っている。さらには、しばらく前に姿を消した息子ブンソンが、目を赤く光らせ、猿のような姿であらわれた。自然に幽霊や精を受け入れる、彼ら。やがてその時期が訪れ、ブンミは、生者、幽霊とともに、森の中へ分け入って行く。

かつて、映画『象つかい』(チャートリーチャルーム・ユコン)で描かれたように、タイは国土の8割が森林で占められる国だった(現在は3割)。おそらくは、精霊信仰が根強くあったことだろう。生者、死者、森林そのもの、精霊などが、日常生活のなかで共存していたに違いない。いまも街のあちこちに、小さな祠が残っている。

この映画を観ていると、水蒸気が飽和した空気、奥深く濡れた森、タイ語独特の柔らかい響きのなかから、そのような共棲の感覚が立ち上ってくる。しっとりとして長く、茫然としてしまうような時間感覚の表現も見事。

ところで、ブンミがつくっている蜂蜜の味は、タマリンドとトウモロコシの風味がするのだという。タイの森の蜂蜜なんて食べてみたいものだ。

●参照
チャートリーチャルーム・ユコン『象つかい』