Sightsong

自縄自縛日記

asinus auris@Ftarri

2020-11-17 07:32:12 | アヴァンギャルド・ジャズ

水道橋のFtarri(2020/11/16)。

asinus auris:
Chiho Minami 南ちほ (bandoneon)
Yoko Ikeda 池田陽子 (viola)

ご本人たちもすぐに読めないラテン語「asinus auris」はすなわちロバの耳。2019年の5月に高円寺グッドマンで行われたライヴが出発点となって、同年12月のFtarriでのらいヴでお目見え。今回は2回目または3回目である。

初回はともかく、前回と比べても、音響の有機的な結合がとてもおもしろくなっている印象がある。池田さんの軋みからはじまって、バンドネオンの蛇腹が運動するときには滑らかな弦、蛇腹が逡巡するときにはつっかかり軋む弦。セカンドセットではすでに慣性を得ており、音の振幅が大きくなっている。その中でも両者で幾何学的な図を思わせる音の展開をみせたり、止まってまたスタートするときの間合いを音楽にしたり。静的でも動的でもあって脳のあちこちに刺激信号が走った。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●南ちほ(鈴木ちほ)
ヨアヒム・バーデンホルスト+大上流一+南ちほ+池田陽子@不動前Permian(2020年)
ヒゴヒロシ+矢部優子、プチマノカリス/山我静+鈴木ちほ+池田陽子@なってるハウス(2019年)
ガトー・リブレ、asinus auris@Ftarri(2019年)
『今・ここ・私。ドイツ×日本 2019/即興パフォーマンス in いずるば』(2019年)
鈴木ちほ+北田学@バーバー富士(2019年)
宅Shoomy朱美+北田学+鈴木ちほ+喜多直毅+西嶋徹@なってるハウス(2019年)
宅Shoomy朱美+北田学+鈴木ちほ@なってるハウス(JazzTokyo)(2019年)
アレクサンダー・ホルム、クリス・シールズ、クラウス・ハクスホルムとのセッション@Permian(2019年)
鈴木ちほ+池田陽子(solo solo duo)@高円寺グッドマン(2019年)
種まき種まかせ 第3回ー冬の手ー@OTOOTO(2019年)
種まき種まかせ 第2回ー秋の手-@Ftarri(2018年)
impro cats・acoustic@なってるハウス(2018年)
鈴木ちほ+荻野やすよし(solo solo duo)@高円寺グッドマン(2018年)
鳥の未来のための螺旋の試み@ひかりのうま(2017年)
毒食@阿佐ヶ谷Yellow Vision(2017年)
晩夏のマタンゴクインテット@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
北田学+鈴木ちほ@なってるハウス(2017年)
りら@七針(2017年)
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年) 

●池田陽子
秋分の午後@喫茶茶会記(2020年)
マクイーン時田深山+池田陽子+池上秀夫 ― 弦弦弦@喫茶茶会記(JazzTokyo)(2020年)
815展でのパフォーマンス(広瀬淳二、池田陽子、渡辺隆雄、遠藤昭)@好文画廊(2020年)
ヨアヒム・バーデンホルスト+大上流一+南ちほ+池田陽子@不動前Permian(2020年)
池田陽子、増渕顕史、野川菜つみ、田上碧、メーガン・アリス・クルーン@Ftarri(2019年)
ヒゴヒロシ+矢部優子、プチマノカリス/山我静+鈴木ちほ+池田陽子@なってるハウス(2019年)
ガトー・リブレ、asinus auris@Ftarri(2019年)
Signals Down@落合soup(2019年)
815展でのパフォーマンス(矢部優子、広瀬淳二、池田陽子、渡辺隆雄、遠藤昭)@好文画廊(2019年)
Hubble Deep Fields@Ftarri(2019年)
謝明諺+秋山徹次+池田陽子+矢部優子@Ftarri(2019年)
アレクサンダー・ホルム、クリス・シールズ、クラウス・ハクスホルムとのセッション@Permian(2019年)
エレクトロニクスとヴィオラ、ピアノの夕べ@Ftarri(2019年)
鈴木ちほ+池田陽子(solo solo duo)@高円寺グッドマン(2019年)
大墻敦『春画と日本人』(2018年)
池田陽子+山㟁直人+ダレン・ムーア、安藤暁彦@Ftarri(2018年)
森重靖宗+池田陽子+増渕顕史『shade』(2018年)
佐伯美波+池田若菜+池田陽子+杉本拓+ステファン・テュット+マンフレッド・ヴェルダー『Sextet』(2017年)
クリスチャン・コビ+池田若菜+杉本拓+池田陽子『ATTA!』(2017年)


琉球弧の写真、石元泰博

2020-11-17 07:18:18 | 沖縄
琉球弧の写真、石元泰博
 
このふたつの写真展が終わってしまいそうなので、半休を取ったついでに東京都写真美術館に行ってきた(せっかく改称されたのに誰もTOPミュージアムって呼ばないね)。
 
沖縄の写真家が7人。こんな形で都内でまとまって展示されるのは2008年の『沖縄・プリズム』展以来久しぶりかな。今回おもしろかったのは、白黒フィルムの露出やプリントのちがいは、単なる方法論や技術のちがいではなく、写真家の意識のちがいをかなり反映しているように思えたこと。だから同じ写真を何度も観ることには大きな意味がある。
 
山田實は意外にハイコントラストでオリエンタリズムを強調する結果になっていて、ヤマトからの窓口という機能を思い出させる。比嘉康雄の極度な焼き込みは本人が規制側から観察側に転じたことと無縁ではないだろう。平良孝七の露出オーバーのフィルムを焼いたプリントは、炎天下を歩き続けた時間のせめぎあいを感じさせる。比嘉豊光のアレブレボケのあざとさについては、そこに身を置いた者を外から評価するとはどういうことなのかという視線を持たなければ誠実でなくなること(いやまあ、実にあざといんだけど)。伊志嶺隆の落ち着いた目線と柔らかな露出・プリント。平敷兼七の弱さというアイデンティティ。それから、石川真生さん。湿った空気がもろに伝わってくる。まおさんやっぱり最高。
 
階段を降りて石元泰博。『シカゴ、シカゴ』は構成の眼でつらぬかれた作品群で、わかってはいても眼が驚く(たしか、作品を酷評されたあとにモホイ=ナジの本を読んでやってみたら絶賛されるようになった、と本人がカメラ雑誌に書いていた)。その後の東京もすべてその視線によるもので、構成主義的でない街とのたたかいが逆にすさまじい緊張感をもたらしていることがよくわかる。だからノーファインダーで信号待ちする人の背中ばかりを撮った『シブヤ、シブヤ』は晩年の過激な挑戦だったのだな、と、しみじみ。大判カメラを持ち込んでの桂離宮なんて、むかし印刷物で観てなんてつまんないんだろうと思っていたのに、実は本人にとっては藤川球児のど直球を投げられる場だったことも実感。

山田實〈道遠し 宜野座〉

比嘉康雄〈人頭税石 平良市〉

平良孝七〈72・10 黒島〉

伊志嶺隆〈御神崎〉

平敷兼七〈勝連半島の食堂 屋ヶ名〉

比嘉豊光〈天願桟橋〉

石元泰博

●参照
『山田實が見た戦後沖縄』
豊里友行『沖縄1999-2010』、比嘉康雄、東松照明
平良孝七『沖縄カンカラ三線』
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
「日曜美術館」の平敷兼七特集
『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
比嘉豊光『赤いゴーヤー』
比嘉豊光『光るナナムイの神々』『骨の戦世』
伊志嶺隆『島の陰、光の海』
石川真生『日の丸を視る目』、『FENCES, OKINAWA』、『港町エレジー』
石川真生『Laugh it off !』、山本英夫『沖縄・辺野古”この海と生きる”』
コザ暴動プロジェクト in 東京
沖縄・プリズム1872-2008
仲里効『フォトネシア』
仲里効『眼は巡歴する』
須田一政と石元泰博
勅使河原宏『ホゼー・トレス』、『ホゼー・トレス Part II』
須田一政『凪の片』、『写真のエステ』、牛腸茂雄『こども』、『SAVE THE FILM』