森元斎『国道3号線 抵抗の民衆史』(共和国、2020年)を読む。
なぜ九州なのか。なぜ国道3号線なのか。
西南戦争の原因は中央政府により切り棄てられた者たちの不満だった。チッソ(当時)はアセトアルデヒド生産のトップ工場であり、国力の維持のために中央政府により擁護体制が敷かれ、水俣病を止めることができなかった。炭鉱のかずかずも国のエネルギー供給上重要な機能だった。ここに国内の植民地的な思想があり、棄民政策があった。
興味深い点は、著者が「あわい」を視ているところだ。加害と被害のあわい、論理と実践のあわい、当事者と傍観者のあわい。たんなる両論併記などではなく、バランス感とやらでもない。これもまた思想である。
「現在にあっては、放射性物質が拡散し、COVID-19が蔓延し、なすすべもなく立ちすくむ私たちがいる。沖縄の基地を撤廃したい私たちがいる。石木の豊かな自然にダムなど作りたくない私たちがいる。そうしたなかにありながらも、日常生活を営み、暮らす。」
「私たちは何もできない。と同時に私たちは何でもできる。これらのあわいに私たちは悶え加勢しながら生きている。」
きのう東武東上線の電車で読んでいて、あっと叫んでしまいそうになった指摘がある。孫文を支えたアジア主義者宮崎滔天の兄・宮崎八郎は、反西郷でありながら西南戦争に参加し、政府軍の弾で死んだ。もちろん宮崎も大川周明も頭山満も内田良平も妖怪的な人であり、アジア主義者とはいえ日本が指導するというパターナリズムや侵略的な思想からは自由ではなかった。一方で、炭鉱労働者は東アジアから連行されてきた人が多かった。九州はやはり人流と思想の結節点だった。
「内実は異なれども、ある種のアジア主義を標榜せざるを得ないなにがしかを放つ場所、それが国道3号線沿いのベクトルめいたものなのだ。」
●参照
上野英信『追われゆく坑夫たち』
上野英信『眉屋私記』
『上野英信展 闇の声をきざむ』
伊藤智永『忘却された支配』
西嶋真治『抗い 記録作家 林えいだい』
奈賀悟『閉山 三井三池炭坑1889-1997』
熊谷博子『むかし原発いま炭鉱』
熊谷博子『三池 終わらない炭鉱の物語』
山本作兵衛の映像 工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』、『新日曜美術館/よみがえる地底の記憶』
本橋成一『炭鉱』
勅使河原宏『おとし穴』(北九州の炭鉱)
友田義行『戦後前衛映画と文学 安部公房×勅使河原宏』
本多猪四郎『空の大怪獣ラドン』(九州の仮想的な炭鉱)
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』
石井寛治『日本の産業革命』
原田正純『豊かさと棄民たち―水俣学事始め』
石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』
『花を奉る 石牟礼道子の世界』
土本典昭『水俣―患者さんとその世界―』
土本典昭さんが亡くなった
工藤敏樹『祈りの画譜 もう一つの日本』(水俣の画家・秀島由己男)
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』(行政の不作為)
桑原史成写真展『不知火海』
桑原史成写真展『不知火海』(2)
ハマん記憶を明日へ 浦安「黒い水事件」のオーラルヒストリー
浦安市郷土博物館『海苔へのおもい』
寺尾忠能編『「後発性」のポリティクス』
高野秀行『移民の宴』(沖縄のブラジル移民)
松田良孝『台湾疎開 「琉球難民」の1年11カ月』(沖縄の台湾移民)
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(日系移民)
大島保克+オルケスタ・ボレ『今どぅ別り』 移民、棄民、基地
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー
岡本隆司『袁世凱』
菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』
ジャッキー・チェン+チャン・リー『1911』、丁蔭楠『孫文』(辛亥革命)
大島渚『アジアの曙』(第二革命)
尾崎秀樹『評伝 山中峯太郎 夢いまだ成らず』(第二革命)
武田泰淳『秋風秋雨人を愁殺す』(秋瑾)
汪暉『世界史のなかの中国』
汪暉『世界史のなかの中国』(2)
中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』
井上勝生『明治日本の植民地支配』
玉居子精宏『大川周明 アジア独立の夢』
満州の妖怪どもが悪夢のあと 島田俊彦『関東軍』、小林英夫『満鉄調査部』
森島守人『陰謀・暗殺・軍刀』
大城立裕『朝、上海に立ちつくす』(東亜同文書院)
譚璐美『帝都東京を中国革命で歩く』