女優の真行寺君枝が、破産、離婚、自叙伝『めざめ』の発表、その記念パーティー開催中の元夫の死などが話題になり、あらためて注目されている。沢渡朔が真行寺君枝を撮った写真集『シビラの四季』が好きだったので、本人のサイト『第一哲学 不死なるもの』とのギャップに、正直言ってかなり仰天していた。
今回、この『めざめ いのち紡ぐ日々』(春秋社、2008年)を読んでみて、さらに仰天した(引いた、というほうが正しい)。どうみても只者ではない。宇宙の開闢、ソクラテスやプラトン、デュシャン、シビラの自然、パレスチナなど位相もスケールも異なる事象が矢継ぎ早に語られていく。
「読者の皆様は私が話を飛躍させすぎるとお感じになられたかもしれません。しかしながら、個の悲劇は個に留まるものではありません。人間は受動と能動を相互に享受し合いながら歴史を形成してまいりました。人類は共存共栄の一集合生命体なのです。ということは同時に私たちは永遠の中に実存する生命体の一分子であるということで、必然の定めにより一つのリンクで結ばれているということに他なりません。」
ジョニー・デップやウディ・アレンが真行寺君枝のファンだそうである。また、ジェーン・バーキンとビョークは『シビラの四季』を英訳して読んでいるという。(良い意味でも悪い意味でも)オリエンタリズムというフィルタを通して距離を置いた存在として眺めるほうが、偏見なくこの異端の女優を評価できるのかもしれないなと思った。
真行寺君枝は、まだ本人のいう「地獄の季節」に突入したばかりの頃、資生堂の福原義春との対談を行い、『美しい暮らし、変わりゆく私』(求龍堂、1996年)を出版している。なぜ資生堂なのかといえば、真行寺の出世作である広告を大々的に打ったのがこの企業だからだ。「ゆれる、まなざし」というコピーが付された、十文字美信による真行寺の写真はいまみても新鮮である。
この対談集のなかには、沢渡朔が『シビラの四季』で真行寺君枝を撮ったとき、ライカのシャッター音が小さくて撮られていることに気がつかなかったというくだりがある。こんな小さい本に再掲されている写真はとても良くて、廃村とライカが妙にマッチするように感じられた。
真行寺君枝は、この時点ですでに独自のことばを発している。
「デュシャンの言葉のなかに、「変貌、変貌、変貌にこそ意味がある」というようなことを言っている言葉があります。イコール、メタモルフォーゼだと思うんです。変化し続けていく。」