佐藤洋一郎・赤坂憲雄編『イネの歴史を探る』(玉川大学出版部、2013年)を読む。
東アジア、東南アジア、南アジア、どこでも田んぼを目にする。長い間、人の手が入った自然である。コメやコメ料理が場所によって大きく異なるように、田んぼも土地それぞれの顔を持っている。
本書は、コメ作りのみならず、野生のイネについての研究までも紹介している。その野生イネもさまざまで、タネをつけないものもあった。それが、中国・長江流域(6千年前だという)やインド・ガンジス川流域から意図的な稲作が拡がっていき、収穫効率の良いタイプへと選択的にシフトしていくことになる。たとえば、背が高いものよりも低いものの方が、また、穂が自然に落ちるものより落ちないものの方が、収穫効率がよい。また、赤米から突然変異で生まれた白米が選択され、主流となった。
東南アジアの近代農法が普及していない地域では、農法だけでなく、コメのタイプにも古いものがまだある。しかし、近代的・画一的にすることが良いばかりではない。昭和の不作・飢饉は、そのような画一化により総倒れになったことが理由だという。東南アジアにおいて、たとえば頻繁に村々の間で種を交換したり、同じ田んぼでも多種多様なコメを栽培したり、といったことが行われ、収穫できないリスクを回避している。しかし、収穫効率を追求する近代農法ではそれは否定される。また、単一でないコメは流通させることができない。まさに、近代の陥穽というべきである。
本書ではじめて知ったものに、プラント・オパールというものがある。コメは珪素を取り込み、それはガラス体となり、焼かれたり分解したりしても残る。つまり、遺跡で出土されるプラント・オパールの分析が、当時の稲作を探る手掛かりとなるわけである。
それを含め、本書では、分析やフィールドワークの方法を紹介している。何でも、アジアのフィールドワークにおいて、自動車を止めることなく野生イネを見出す能力さえも要求される現場だという。別に稲穂が垂れているわけでもなく、ただの貧相なる草である。他にも、調査場所でのご飯の食べ方のコツなど、研究者の生の声がいちいち面白い。科学を人間の仕事として見せてくれている。
●参照
○佐々木高明『照葉樹林文化とは何か』
○2012年6月、サパ(本書にも登場する場所)