と書くとものものしい題だが、要するに出てきた結論だけを評価・判断材料にするとえらい間違いを犯しますよってことだ。全く同じコトを言っているのみ関わらずそこへ至る思考過程は全然違う場合が往々にしてあるわけで、結論とはそうした過程の上に浮かぶ氷山の一角に過ぎない。
こんな例を挙げてみよう。「我思う故に我あり」という言葉を聞いたことがある人は少なくないと思うが、この言葉だけでは何を当たり前のこと言ってん . . . 本文を読む
「ひぐらしのなく頃に」で、(負の方面で)最も印象深い曲は“soak”である。基本的にヘッドホンを付けてプレイしているのだが、この曲聴きながら「ひぐらし化」したレナのオヤシロ話を聞いていると脳みそがグチャグチャにかき混ぜられて心臓を冷たい手でなでられるような恐怖感がある。作中の人物もこんな心境だろうとは思うが、それにしてもこれほどホラーシーンを精神的に表現した曲をそれほどない . . . 本文を読む
家庭によるしつけが衰退したとよく言われているが、様々な(聞き取りなどの)調査によればそもそも家庭がしつけの主体と認識されるようになったのは戦後のことである(『日本人のしつけは衰退したか』)。要するに、新しい事態なのだ。原因としては核家族化や共同体の解体など色々あるだろうが、その主要なものとして欧米型家族の理想化と模倣があるのではないかと考えている。おそらくその窓口となったのは、(主に)アメリカのホ . . . 本文を読む