最近『宗教改革の真実』(永田諒一著 講談社現代新書 2004)を読んでおり、また未修問題で話題になっていることもあるので、高校世界史の宗教改革の扱い方について感想を述べてみたい。
自分の高校時代を思い出すと、「宗教改革の何が「改革」なのか全くわからん」という印象が強く記憶に残っている。そんな調子だから、当然プロテスタントとカトリックの違いもわかるはずがなかったのだが、よく考えればこれは大きな問題であったと言える。というのも、宗教改革は現代の宗教と(社会)制度の関係の実態、及びそれに関する理念にまで関わってくる非常に重要な事件であると考えるからだ。
プロテスタントとカトリックの違いとは、大ざっぱに言えば個人的信仰を重視するのが前者で、教会・司祭を仲介した信仰を基盤とするのが後者ということになると思う。それゆえカトリックの方が、制度との結びつきが相対的に強いと言える。例えばキリスト教の秘蹟(サクラメント)。カトリックには洗礼、婚姻、告解など七種類の秘蹟があるのだが、プロテスタントの秘蹟(正確には「聖礼典」)には婚姻などは含まれない(なお、前掲書では現代では洗礼と聖餐の二つのみを聖礼典として定めているとのこと)。前掲『宗教改革の真実』では、アウクスブルクにおける宗教改革以前の婚姻のあり方と、その後のあり方について書いているのだが、プロテスタントが婚姻を聖礼典と規定しなかったため都市政府がそこに入り込み、都市結婚裁判所を作って市民の結婚を認可する役割を果たすようになったという。
これこそ、まさに宗教の果たしていた社会(制度)的役割が世俗の集団(政府)へと移行する過程ではないか。そしてその契機を作ったのが、宗教改革という事件であり、また個人的信仰に基礎を置き、それゆえ教会・聖職者の社会(制度)的役割を(相対的に)縮小するプロテスタントの傾向であった。もちろん、社会風潮的にはそう単純ではなかったことも指摘しておかなければならない。聖礼典から外されたことで、確かに新教徒は(今までと違い)教会に結婚の認証を求める必要が論理的・法的にはなくなった。しかしながら、実際には聖職者による認証がなければ(新教徒も)結婚が社会的には認められなかったというし、また都市結婚裁判所はカトリックのアウクスブルク司教と共に婚姻の認証を行っていたのであり、カトリックの役割が世俗権力に完全に移行したわけではなかった。とはいえ、今まで宗教が占めていた社会的役割を世俗権力(都市政府)が担うようになったこと、そしてそのきっかけを作ったのが宗教改革(という事件)とその精神だったことに変わりはない。
このように考えれば、宗教改革とは社会制度とカトリックの関係を批判する側面が強くあったという結論に到り、そこから逆に「宗教とは制度である」という当時の(特にカトリックの)実態もまた見えてくるだろう(付け加えておくなら、カタリ派を始めとして教会を否定した宗派は少なからず存在していた)。そしてさらに、個人的な信仰に基礎を置くというプロテスタントの形態、及び(社会)制度と結びつくことに消極的というその傾向が、世俗権力の制度への進出を促進して現代の政教分離を生み出す制度的・思想的要因の一つとなった、という具合に繋がっていくものと思われる(なお、日本における宗教と制度の結びつきについては「近世、特に江戸仏教の扱われ方について」)。
このように教えれば、宗教改革の何が改革であり、またなぜそれが重要な事件なのかも高校生に理解できるようになるのではないだろうか。逆に、そのように教えないなら、宗教改革の意義はおろかプロテスタントとカトリックの違いがそもそも全くわからないという生徒を大量生産し、結果以前書いた「カトリックとプロテスタント」のような事態が悪化することはあっても改善することは決してないだろう。そして日本人の宗教的無知はますます進行し、ますます世界は理解できなくなるというわけである。
今問題になっているように、世界史は必修科目である。強制的に生徒の時間を拘束する以上、その程度のことは意識して授業をしてほしいものである。
自分の高校時代を思い出すと、「宗教改革の何が「改革」なのか全くわからん」という印象が強く記憶に残っている。そんな調子だから、当然プロテスタントとカトリックの違いもわかるはずがなかったのだが、よく考えればこれは大きな問題であったと言える。というのも、宗教改革は現代の宗教と(社会)制度の関係の実態、及びそれに関する理念にまで関わってくる非常に重要な事件であると考えるからだ。
プロテスタントとカトリックの違いとは、大ざっぱに言えば個人的信仰を重視するのが前者で、教会・司祭を仲介した信仰を基盤とするのが後者ということになると思う。それゆえカトリックの方が、制度との結びつきが相対的に強いと言える。例えばキリスト教の秘蹟(サクラメント)。カトリックには洗礼、婚姻、告解など七種類の秘蹟があるのだが、プロテスタントの秘蹟(正確には「聖礼典」)には婚姻などは含まれない(なお、前掲書では現代では洗礼と聖餐の二つのみを聖礼典として定めているとのこと)。前掲『宗教改革の真実』では、アウクスブルクにおける宗教改革以前の婚姻のあり方と、その後のあり方について書いているのだが、プロテスタントが婚姻を聖礼典と規定しなかったため都市政府がそこに入り込み、都市結婚裁判所を作って市民の結婚を認可する役割を果たすようになったという。
これこそ、まさに宗教の果たしていた社会(制度)的役割が世俗の集団(政府)へと移行する過程ではないか。そしてその契機を作ったのが、宗教改革という事件であり、また個人的信仰に基礎を置き、それゆえ教会・聖職者の社会(制度)的役割を(相対的に)縮小するプロテスタントの傾向であった。もちろん、社会風潮的にはそう単純ではなかったことも指摘しておかなければならない。聖礼典から外されたことで、確かに新教徒は(今までと違い)教会に結婚の認証を求める必要が論理的・法的にはなくなった。しかしながら、実際には聖職者による認証がなければ(新教徒も)結婚が社会的には認められなかったというし、また都市結婚裁判所はカトリックのアウクスブルク司教と共に婚姻の認証を行っていたのであり、カトリックの役割が世俗権力に完全に移行したわけではなかった。とはいえ、今まで宗教が占めていた社会的役割を世俗権力(都市政府)が担うようになったこと、そしてそのきっかけを作ったのが宗教改革(という事件)とその精神だったことに変わりはない。
このように考えれば、宗教改革とは社会制度とカトリックの関係を批判する側面が強くあったという結論に到り、そこから逆に「宗教とは制度である」という当時の(特にカトリックの)実態もまた見えてくるだろう(付け加えておくなら、カタリ派を始めとして教会を否定した宗派は少なからず存在していた)。そしてさらに、個人的な信仰に基礎を置くというプロテスタントの形態、及び(社会)制度と結びつくことに消極的というその傾向が、世俗権力の制度への進出を促進して現代の政教分離を生み出す制度的・思想的要因の一つとなった、という具合に繋がっていくものと思われる(なお、日本における宗教と制度の結びつきについては「近世、特に江戸仏教の扱われ方について」)。
このように教えれば、宗教改革の何が改革であり、またなぜそれが重要な事件なのかも高校生に理解できるようになるのではないだろうか。逆に、そのように教えないなら、宗教改革の意義はおろかプロテスタントとカトリックの違いがそもそも全くわからないという生徒を大量生産し、結果以前書いた「カトリックとプロテスタント」のような事態が悪化することはあっても改善することは決してないだろう。そして日本人の宗教的無知はますます進行し、ますます世界は理解できなくなるというわけである。
今問題になっているように、世界史は必修科目である。強制的に生徒の時間を拘束する以上、その程度のことは意識して授業をしてほしいものである。
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