「江戸を無血開城しなかったらどうなっていたか?」といった問いを始め、幕末の戦争にまつわるif話は時折耳にするが、あれこれ想像するよりも、非常にわかりやすい事例が水戸藩なので、それを参考にするのが早いだろう。
より具体的には冒頭に挙げた天狗党の乱とその顛末だが、後期水戸学という尊王攘夷の軸となる武器を持ちながら(例えば長州の吉田松陰は水戸の会沢正志斎に強い影響を受けている)、この乱によって天狗党と諸生党らが血で血を争う戦いを繰り広げた結果、どんどん人材を失って疲弊していき、倒幕はもちろん、維新後も目立った活躍をできず、完全に薩長土肥にお株を奪われたのであった。
で、この天狗党を倒幕派、諸生党を佐幕派に見立て、薩長土肥を英仏始めとする欧米列強に見立てれば、反面教師的図式の完成というわけである。まあ簡単に言えば、国内の二大勢力が争い続けた結果、外の勢力が漁夫の利を得る(植民地化)、ちゅうことですな。
この反乱とその顛末については、とかく理想視・英雄視されやすい幕末の志士の無謀・傍若無人な実態を知る上でも有益である。つまり、部隊の所属集団が貧しいため武器や糧食を確保する資金がなく、そのため行く先々で略奪祭りをやって集落を荒廃させた話などは、理想へ燃える姿や不利な戦いや仲間の死でも退かない様子ばかりクローズアップされがちな連中が、実際にどのようなことを行っていたのかを知り、多角的に物事を理解・評価する視点を得る機会にもなるだろう(それはもちろん、赤穂事件や五・一五事件などについても同様である)。
というわけで、水戸の内ゲバ祭り、天狗党の乱を参照すべし!
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