君が望む永遠:速瀬水月の苦悩

2006-03-07 01:44:26 | 君が望む永遠
まずアニメ版について簡単に言っておくと、第二章は孝之と水月二人の視点が交互に描かれるという内容になっている。そしてそこには、水月の苦悩がしっかりと表現されていたのである(アニメ版そのものについてはいずれ述べる機会があるだろう)。

それを見て、私は水月の感情に対する自らの不明をなじらざるをえなかった。なぜならそこで描かれていた事は、イベントなどの形で明示されてはいないにしても、本文をきっちり読んでいればわかることがほとんどだったからである。茜にそっけない態度を取られるのが辛いということは、水月自身もはっきり言っているし、理解してはいた。また遥を裏切ってしまったことが彼女を苦しめていたことも読み取れていたし、水月ルートの最後(木の下で孝之と話すシーン)での彼女のセリフからそれは明らかだった。また、第二章の最初の方で家の人から結婚の話をされたり、あるいは遥ルートの最後の方(酔っ払った水月を慎二が介抱しているシーン)で水月が孝之との仲を聞かれて家にいられなくなったということも書かれていた(水泳を諦めたことでも何か言われたりしているかもしれない)。

そう、ほとんどのことは書かれていたのである。そしてアニメ版を見ていて思い出せるくらいに覚えてもいた。だが、その覚えていた情報は、ただそれだけのものとしてしか理解されていなかった。言い換えれば、それがいったい何を意味するのか?行動や感情にどんな影響を与えるのか?という思考的な作業を全く行っていなかったのである。だがようやく、断片的な情報は一つの方向性をもって構築されていった。それが「水月の苦悩」だった。これによってはじめて、「私には孝之しかいない」という言葉の重みを理解できたような気がする。

水月は、孝之とのことで遥との友情を失い、茜の尊敬を失い、水泳を失った。しかもそのことは、水月を今も苦しめ続けているのだ(もっとも最後の水泳に関しては、アニメ版を見なければ、つまり本編だけではわからないと今も思っているが)。そんな彼女には、安心できる場所など少ない。そんな中でおそらく最も安らげる場所が、孝之のところなのである。自然、孝之へ向けられる気持ちは強いものとなるだろう。またどの時点でどこまで意識されているかはっきりしないが、失ったものの大きさが孝之との関係との執着を生み出していることも推測される。そのもっとも強い発露が、大空寺ルート末(対決シーンw)における水月の発言であった。そこでは「世話をしてあげたじゃない!」ということが言われているのだが、本質的には自分が捧げてきたもの、すなわち孝之と付き合うことで失った大切な人たちとの関係などが念頭に置かれているものと思われる(注)。

まとめると、水月は孝之と付き合うことで多くのものを失い、それに苦しんでいた。また彼女には安らげる場所が少なかった。それが、水月の孝之に対する気持ちを強いものにしていた。そしてそこには、失ったものの大きさゆえに生じる関係への(意識的・無意識的な)執着もあったと思われる。

これらが、一見開放されているように見える水月が、孝之に対して強い愛情を抱き続ける理由であると考えられる。


(注)
だからこそ、大空寺の「私はパンを焼いてあげました。だからあなたもパンを焼いてください云々」という言葉が鋭く水月の心をえぐるのだろう。というのもそれは、「~してあげた」という言葉だけではなく、失ったものに縛られ、それらを失った意味さえ失う(=孝之を失う)と思って怯え、孝之と必死によりを戻そうとする水月の精神構造・行動様式全体を否定するものであったからだ。

なお、記憶によれば水月はここで水泳の話題を出さない。そんな話題まで持ち出したくないと思ったのか、言ったら逆にマイナスだと計算したのか、あるいはシナリオライターの念頭になかったのか…本文を読んだだけでは答えの出ない謎である。


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