なかなかに香ばしいテイストの平城京跡を見学後、近くの資料館を訪問。
歴史公園と違い、こちらはなかなかに「手堅い」印象を受ける(さすがは奈文研…なのか?)。
それは木簡など見た目的には地味なものが多いのと、学生に興味を持ってもらおうという教育的意図がそこかしこに感じられるからだろうか。
こちらは土器に下書きをしたものらしい。当時は紙とかも貴重品だから、書き損じると勿体ない!てことで何だか親近感が湧いて微笑ましい。
「犬の餌の支給証」というのが一番驚いたwいや人間なら配給制度とか普通に聞きますけど、犬っすよね?その餌を公の機関が支給してたってのかい?しかも家畜なら生産力とかに関わるからわかるとしても、犬???色々疑問が付きませんなw
ペットについて、江戸時代には野犬がそこら中にいて、現代日本とは距離感が違うだとか(害獣として敵対してる訳ではないがそこまで動物愛護の感覚がない)、また猫のありがちな名前が「タマ」で、犬のありがちな名前が「ポチ」であるのはなぜか…なんて本を昔読んだ記憶が甦った(ちなみにタイとかだとアユタヤの遺跡群には野犬の群れが棲みついていたりするし、カンボジアのシェムリアップでは野犬がバザールの付近を闊歩していて誰も気にしないような感じだったが、おそらく日本の近世も似たようなものだったのだろう)。
ただ、古代とか中世の様態は考えたこともなかったので、これは新たな興味の扉が開かれたワ。
土器に描かれた顔がクソおもろいw
(・∀・)
(`・ω・´)
みたいなのがあって、いやこれ何の目的で書いたんだよとw
いや、待てよ待て…
これはつまり…日本のAAは古代にはすでに完成していたんだ!な、なんだってーーー!!!www
ちなみに形代(身代わりとなるお守りみたいなもの)の顔もお間抜けで笑える。
人形(ヒトガタ)の作られ方まで解説されてるのは丁寧だなあ。
古代日本人「生贄とか残酷やし、代わりに木でも使っておけばええやろ」
殷代の人々「解せぬ…」
まあ2000年以上も経ってるし多少はねってことで(・∀・)
ちなみに別の展示では、
以上のように環境考古学や災害考古学の説明もなされておりました。実際、インダス文明やクレタ文明あたりは塩害やら地震やらで滅びたとも言われており(諸説あり)、こういうアプローチは極めて重要だし、災害大国日本では、津波や噴火の影響が実際どのようなものであったかを文献以外から知ることもできる。
そう言えば日本のポンペイとも言われる嬬恋村にはまだ行ったことがなかったな。いずれ足を伸ばしてみるか…
そんなことを思いながら、資料館を後にしたのであった。
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